自転車通学で交通事故にあったとき

娘が自転車通学を始めた

次女が中学生になった。自宅から中学校まで自転車通学を始めた。学校までの通学路は実を言うとあまり安全とはいえない。歩道があるといいのだが、歩道があるところまでの道路幅が狭く、車が行き違うだけで道路幅のほとんどを占めてしまうからだ。このような環境では、通学中に車に轢かれることもありうるだろうし、歩行者と接触することもありうるだろう。そのような時、法律上どのような請求ができ、あるいはどのような請求をされるのだろうか。以前「自転車事故の過失割合」という記事を公開したのだが、まだ完成しないままになっている。いずれ完成させたいのだが、この機会についでに表題のことも調べてみた。

子どもの損害賠償責任について

民法712条(責任能力)

未成年者は、他人に損害を加えた場合において、自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは、その行為について賠償の責任を負わない。

 
「未成年」と一口に言っても、18歳、19歳など、どうみても大人かとも思われるヒゲ面の「未成年者」もいれば、幼稚園児など、どうみても子どもらしい「未成年者」もいる。裁判所も、「未成年者」だから損害賠償の責任なしだと一律に同じ扱いをしているわけでなくて、そこのところを区別している。すなわち、小学生までは損害賠償の責任はないが、中学生以上なら責任ありとしている。個別事情もあるため、オオザッパなメルクマールである。

責任能力がない子どもの場合

小学生以下、責任能力がない子どもが加害者になった場合どうなるのだろうか。相手が子どもだったから運が悪かったとして、被害者は泣き寝入りしないといけなくなるのだろうか。決してそうではない。

民法714条(責任無能力者の監督義務者等の責任)

前二条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。

監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者も、前項の責任を負う。

 
という規定があるからだ。子どもの親が監督義務者としての責任を負う。あるいは幼稚園児だったばあい、「監督義務者に代わって責任無能力者を監督する者」である幼稚園あるいは幼稚園の先生が責任を負う。同条には「監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったとき」は、責任を負わなくてもいいと書いてあるけれども、この免責規定が適用になった例などないらしい。

責任能力がある子どもの場合

では、責任能力があるとされる中学生以上だったら、親ではなくて、その中学生以上の子どもに請求することになるのだろうか。リクツの上ではその通り。しかし、そんな子どもに損害賠償の請求をしてみたところで、実際の問題として、子どもがお金を持っているはずがない。そこで、子どもに責任能力があったとしても、民法709条により、子どもの親に責任追及できる場合があることを裁判所は認めている。

民法709条(不法行為による損害賠償)

故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

子どもの責任能力の有無が微妙な場合

小学生以下なら責任能力なし、中学生以上なら責任能力ありと、一般的な書き方をしたが、それは先にも書いたように「オオザッパなメルクマール」であって、小学6年生に責任能力を認めた判例もあるし、14歳の中学生の責任能力を否定した判例もある。つまり、12歳とか13歳だとか、その周辺は、責任能力があるのかどうか微妙なのである。 
【参考裁判例】

東京地裁 昭和52年12月20日判決
13歳の中学生の運転する自転車が歩行者に衝突し、歩行者が脳挫傷により死亡した事故につき、事故と死亡との因果関係を認めた事例。当該事故については、中学生の責任能力を認めず、その両親に監督義務者としての責任を認めた。被害者については、不注意で道路中央に出た過失があったとして、慰謝料請求額が低額であったことも勘案して、逸失利益についてのみ10%の過失相殺をした。

 
そこで、「自転車事故の法律相談」という本の中で、訴訟上の注意点について以下のように書いてあったのでご紹介しておきたい。

子どもの責任能力の有無が微妙な事案、特に子どもの年齢が11~14歳である場合には、民法709条の責任を求めて子どもを被告とする訴えと、民法714条の責任を求めて両親を被告とする訴えを単純併合・通常共同訴訟として提訴する方法(この場合同時審判の申出もできる。民訴41条)で、子どもと両親の双方を最初から訴える工夫をする必要もあるでしょう。(P64)

 
として、共同訴訟を薦めている。

未成年者に責任能力がある場合の親の損害賠償責任

このことについては有名な判例がある。最高裁 昭和49年3月22日判決である。以下はその判旨である。

未成年者が責任能力を有する場合であっても監督義務者の義務違反と当該未成年者の不法行為によって生じた結果との間に相当因果関係を認めうるときは、監督義務者につき民法709条に基づく不法行為が成立するものと解するのが相当であって、民法714条の規定が右解釈の妨げとなるものではない。

 
親に民法709条に基づく不法行為が成立する場合は、親の709条による損害賠償責任と未成年者の民法709条による損害賠償責任とは、共同不法行為(不真正連帯債務)の関係が成立する。

子どもに請求しても無駄なので親に709条の責任ありとして裁判になった例を以下にご紹介する。

親の責任肯定例

東京地裁 平成22年9月14日判決
1月26日午後7時5分頃、住宅街での信号のない交差点での自転車同士の出合い頭衝突した事故。自転車に乗っていた12歳の小学生は塾からの帰りで友人と「鬼ごっこ」をしていた。裁判長は「少年が交差点に進入するとき減速した」点と2人の年齢(相手は高齢者)などを考慮した上で少年側と被害者側の過失割合を60対40と認定した。子どもの責任能力を認めたうえで親の責任を認定している。

【裁判所の判断】

子供の両親は、子供が塾への行き帰りに自転車を利用しており、帰宅時は夜間となること、その経路には本件交差点を含め住宅街の中の狭あいな道路からなる信号機による交通整理の行われていない交差点をいくつも通過し、見通しの悪いものも多く含まれていることは当然認識していた。
 
一般に、夜間における自転車の運転には昼間に比べてより一層の注意力と慎重さが必要となるが、特に、本件では,子供の帰宅経路に本件交差点を含め住宅街の中の狭あいな道路からなる信号機による交通整理の行われていない交差点をいくつも通過し、見通しの悪いものも多く含まれていていることに鑑みると、子供が夜間に塾から自転車を利用して帰宅することを認識していた両親としては、子供に対して自転車の運転について注意するよう口頭で指導をするに止まらず、子供が塾から帰宅するのにどのような走行経路をたどっているのか、その間にどのようにして自転車を運転しているのかといったことについて具体的に把握をした上、子供が危険な自転車の運転をしないよう、塾から自宅までの走行経路、その間における自転車の運転方法等を具体的に指導すべきであったというべきであるところ、子供は、当時、塾帰りに自転車で帰宅する友人らと「鬼ごっこ」をしながら帰宅することが多く、本件事故の際に「鬼ごっこ」中であったため、通常よりも速い速度で走行していたにもかかわらず、両親は、子供が塾帰りに「鬼ごっこ」をしていたことは把握していなかったというのであるし、ライトを点灯すること、なるべく明るい道を使用すること、交差点では一時停止することといった一般的な注意は与えていたようであるが、子供が夜間に塾から帰宅する際にどのように自転車を運転しているのかを具体的に把握しようとしていた形跡はないことからすると、両親には、子供が自転車の運転に際し交通法規を遵守するよう教育監督すべき義務に違反したと認められ、民法709条の責任を負う。

 
この判例にはびっくりした。子どもに責任能力がある場合の親への責任追及はハードルが相当に高い(たとえば潮見佳男著「債権各論Ⅱ 不法行為法」ではそうなっている)のかと思っていたら、必ずしもそうではなさそうだ。「鬼ごっごをしながら帰宅することが多い」のを知らなかったではすまされないわけである。

東京地裁 平成19年5月15日判決
13歳の中学生が運転する自転車が無灯火で相当な速度で走行し、交差点でブレーキを掛ける間もなく自転車を運転していた被害者と衝突した自転車同士の事故につき、当該未成年者の責任能力を肯定し、さらに両親につき、子どもが高速で自転車を運転しているリスクがあることを知りながら放任していたとして、交通ルールを守る監督義務を全く果たしていなかったと推認し、両親の監督義務違反と事故の相当因果関係を肯定。両親の709条に基づく不法行為責任をも認めている。

 

親の責任否定例

東京地裁 昭和58年4月28日判決
過去に事故歴や問題行動もないことから、親の責任を否定した事例。

 

名古屋地裁 平成14年9月27日判決
75歳の女性Aが狭い道路(白色実線の外側歩道表示は有り)右側を歩行し電柱を避けて車道に進出時、対向側から14歳の中学生Bの運転する無灯火の自転車と衝突した。女性は頭部外傷により、後遺障害2級の障害を残した。A はBに対しては 709条に基づき、Bの両親にも監督責任があったとして、709 条に基づき損害賠償を請求した。裁判所は Bの責任を肯定した。ただし、Bには事故歴がなく、格別、日常生活に問題行動はなかったことなどから親の監督責任との因果関係がないとして両親の責任を否定した。

親の保証契約

小学生以下の責任能力のない未成年者が事故を起こした場合の、親への責任追及はほとんどフリーパスといっていいほどかんたんだが(注)、中学生以上の責任能力のある未成年が事故を起こした場合の、親への責任追及は、一般的にはハードルが高いと言われている。そのため、未成年者の不始末を親に肩代わりしてもらうべく、親の保証契約や債務引き受けを成立させる方向で示談交渉を運ぶことがある。

保険調査員は弁護士ではないから、このような交渉事にかかわるのはご法度である。しかし、不始末をしでかした子どもの親にそのような意思があるのかどうか、あからさまではなくて、それとはなく、その意思のありなしを確認してほしいと依頼先から頼まれることがあるらしい。ふつう、子どもがしでかした不始末は、親権者である親の責任でもある(と思われている)から、子どもに払ってもらえと言い放つ親などいない。仮に、責任能力のある未成年者の親への責任追及が難しいという知識をその親が持っていたとしても、知らん顔をする親は少ないだろう。

また、被害者は、加害者の子どもではなくその親と交渉するのがふつうだから、そのときのやりとりしだいでは、例えば「親が賠償すると約束した・しない」となって、後に裁判に発展することがある。前掲書「自転車事故の法律相談」から引用する。

裁判でも親の重畳的債務引受を認めた【東京地判平成元年5月26日・公刊物未登載】や親に連帯保証を認めた【大阪地判平成8年10月22日交民29巻5号1522頁】があります。いずれの裁判例も親が念書・合意書を作成していた事案です。親が書面を作成していない場合には、民法446条2項で保証契約は書面によらなければ効力が生じないとされたこともあり、親の契約責任は否定される傾向になるでしょう。

他方、前記の【名古屋地判平成14年9月27日交民35巻5号1290頁】は、父親により誓約書が作成されていた事案で連帯保証の有無が争われましたが、賠償責任を保証する旨の記載がないことや署名押印が父親個人の資格ではなく子の保護者の資格で行われていることを理由に、連帯保証が否定されています。(P67)

 
(注)サッカーボールによるバイク転倒事件最高裁判決(後日記載予定)

代理監督者の損害賠償責任

責任能力のない未成年者が交通事故の加害者になったとき、親以外に責任を追及される立場の人もしくは施設がある。代理監督者である。典型的な例としては、幼稚園児や保育園児に対する幼稚園や保育園の保母さんや園長あるいはその施設である。もちろん親などと違って、責任の範囲は限定されており、幼稚園・保育園での生活場面およびそれと密接に関連する生活場面に限定される。たとえば、園が預かっているときに園児が自転車に乗って事故を起こしたら、それは代理監督者の責任の範囲内である。

ところで、親などの監督義務者の責任と代理監督者の責任はどういう関係にあるのか。参考になるのが東京地裁 昭和37年11月2日判決である。

学校の損害賠償責任

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当事務所の立場

突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にする。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。よろしくです。

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