自転車道に平気で進入してくるクルマ社会・中国。交通弱者に平気でつけ回しをするクルマ社会・日本。

古代ローマの哲人の言葉

ローマにはいいところがいっぱいある。ありすぎていちいち指摘するのがわずらわしいくらいだ。だから、そういうわかりきったことをいちいち言わない。ローマの悪いところ、できていないところをとリあげてこそ意義があるのだ―――と、かつて古代ローマの哲人は語った。

自信がみなぎっている言葉だ。自分たちの築き上げた文明に対する絶対的ともいうべき自信と信頼。それがないとこうまでは言えない。

ところで、日本はどうか。過日の夜、テレビを見ていたら、日本のここがいいところだよと、日本に住んでいる外国人に語らせる番組をやっていた。それを見ていた妻と小学校5年になる次女は、やっぱり日本がいちばんだよねと相槌を打っていた。

すごいぞ、ニッポン

このごろ、こういう、「日本はすごいぜ」みたいなのが「はやり」なのかしらないけれど、ぼくはあまり好きになれない。日本にいいところがたくさんあることはよく知っている。そんなわかりきったことを取り上げるよりも、日本の悪いところ、できていないところをとりあげて、少しずつでも直していこうという姿勢のほうがぼくはよっぽど好きだ。そこには進歩がある。

この、今も昔も日本はすごいぞと思いたがる風潮とセットになっていると思われるのが、嫌中・嫌韓という風潮だ。学校にもこういう奴がいたよな。自分に自信がないから、劣等感のかたまりだから、自分を省みるのではなくて、自分よりも劣っていると思われる者、集団から孤立していると思われる者を執拗にいじめて憂さ晴らしする下劣な連中。あいつらの心性とどこかで通底しているものを、ぼくはそこに感じる。

嫌中報道の最近の例

つい最近のマスコミによる下劣な例も紹介しておこう。
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北京の自転車道への進入を阻止したお話

ところ変わって、北京のお話。自転車道にクルマが進入してきたため、自転車に乗っていた外国人が仁王立ちになって乱暴狼藉のクルマの進入を阻止し、抗議しているのが冒頭の画像だ(元記事は新華ニュースより)。

そういえば、ぼくも中国にいたときのこと。自転車に乗っていたとき、乱暴な運転のクルマとトラブルになったことがあった。場所は西安市の西安交通大学近くの路上だった。ぼくが自転車を運転し、荷台部分に当時交通大学の学生だった友人を乗せていたときだった。道路端を走行していたぼくの自転車に、後方からやってきたワゴン車が追突した。大事にはいたらず、自転車が凹んだだけだったが、そのときワゴン車から降りてきた男が、ひっくり返ったぼくたちに怪我がなかったのかと、一言かけてくれるのかと思った。ところが、ワゴン車の前部を入念に調べ出して、クルマが傷ついたからどうしてくれるのだと血相を変え、悪態をつかれて、弁償しろとまで要求された。

頭にきたぼくは、片言の中国語をめいっぱい使ってまくし立てた。でもぼくのつたない中国語ではラチがぜんぜんアカン。そのうちに、相手から「お前のかあちゃんのあそこはくさい」などと中国語で罵られたので、こっちも中国人に通じる「ばかやろう」で応戦して、わけがわからん状態になってしまった(笑)。そのため、友人の中国人が勝手に解決金を支払ってしまった。余計なことするなよなあ。徹底的にやるつもりだったのに。

やっぱり野蛮国・中国だ。それにくらべ、まずは「すいません」などと謝罪から始まる文明国・日本はすごい(注1)。・・・という結論を期待したのだったら、そうはぜんぜんならない(苦笑)。そのことは最初に予告しておいた。日本も似たりよったり。50歩100歩。クルマ優先社会の日本に、中国を笑う資格なんてあろうはずがない。

(注1)日本人の「謝罪」の軽さについてはこちらの記事で言及した。

クルマ優先社会のニッポン

日本の交通事情がどれくらいクルマ優先なのか、そのため市民の生活権がどれくらい脅かされているのか、日本という社会にどっぷりつかっている人はなかなか気づかない。日本の交通事情のその異常さについて、宇沢弘文はこんなふうに書いている。

日本における自動車通行のあり方が、世界のどのような国と比べても、歩行者にとって危険なものとなっている・・・。日本で、とくに大都市で育って、生活している人たちにとっては、いつの間にか現在のような自動車通行のあり方は当然のこととおもわれるようになっているのかもしれない。しかし、このように歩行者がたえず自動車に押しのけられながら、注意しながら歩かなければならない、というのはまさに異常な現象であって、この点にかんして、日本ほど歩行者の権利が侵害されている国は、文明国といわれる国々にまず見当らないといってよいほどである。

このような印象を受けるのは、わたくしだけではない。久しぶりに帰国する人々はほとんどみな、わたくしと同じような経験をしたであろう。また、日本を訪れる外国人がまず最初に感ずるのも、日本において自動車通行がいかに歩行者の権利を侵害しているか、ということであり、また、このような自動車通行を許している日本社会に対する不可解な感じであろう。かつてポール・サミュエルソン教授が日本を訪れたときに、自動車のことにふれて、「まともなアメリカ人だったら、東京の街で1か月間生活いていたら完全に頭がおかしくなる」という発言をしていた。このサミュエルソン教授の言葉に、他の外国人もおそらく共感を覚えているにちがいない。ただ、サミュエルソン教授のように遠慮のない発言をしないだけであろう。

日本における自動車通行の特徴を一言でいえば、人々の市民的権利を侵害するようなかたちで自動車通行が社会的に許されているということである。ところが、自動車通行にかぎらず、すべての経済活動は多かれ少なかれ、他の人々の市民的権利になんらかの意味で抵触せざるをえないのが現状である。このことは、産業公害の例を出すまでもないことであろう。ところが、経済活動にともなって発生する社会的費用を十分に内部化することなく、第三者、とくに低所得者層に大きく負担を転嫁するようなかたちで処理してきたのが、戦後日本経済の高度成長の過程の1つの特徴でもあるということができる。そして、自動車は、まさにそのもっとも象徴的な例であるということができる。(「自動車の社会的費用」まえがきより)


 
この本が岩波から出たのが1974年6月20日。その後日本がどれくらい変わったのか。経済活動にともなって発生する社会的費用を内部化しようとせず、交通弱者にその負担を押し付ける構造は、今もほとんど変わっていないのではないのか。いや、以前よりももっとひどくなっている気さえする。

いびつな自転車保険義務化条例

前にも書いたことだけれど、だれも言わないので繰り返す。兵庫県自転車保険義務化条例案にぼくが異議を述べたのは、道路インフラの整備など社会的費用の内部化の視点がそこにはまったく欠けていたこと、自転車保険を自転車利用者に義務化することで、行政の不作為を自ら棚あげしようとしていることからだ。現在は、大阪府もそれを狙っているようだ(注1)。自己責任が大好きなハシシゲ治世下の大阪らしい。

(注1)

自転車保険義務化、府が条例案提出へ /大阪
毎日新聞2016年1月9日 地方版

府は8日、自転車保険への加入義務化を柱とした「自転車の安全で適正な利用の促進に関する条例案」をまとめた。増加する自転車事故への対処が必要と判断した。府民から意見を募り、府議会2月定例会に提出する。成立すれば、兵庫県に続いて全国2例目。

条例案は、現在は任意の自転車損害賠償保険に「加入しなければならない」と義務づけ、未成年者にも保護者に加入を義務化する。昨年3月に成立した兵庫県の条例と同じく、罰則は設けなかった。また、自転車を使う高齢者に、ヘルメット着用を努力義務とすることも盛り込んだ。

 

ぼく自身は自転車保険の義務化に実を言うと賛成なのだ。が、条例案にあるような「任意保険の義務化」(?)でなくて、強制保険である自賠責保険の自転車への適用の拡大だ。そのための財源は、自転車利用者ではなくてクルマ利用者やクルマで利益を得ている集団に負担させればいい。これまでの日本の道路はクルマのための道路であったし、そのため自転車はその存在をほとんど常に無視されてきた。昔も今もそうだ。道路のハシッコをかろうじて利用させていただいている自転車利用者に自転車利用のリスクを負担させるなんてどうかしている。どう考えてもおかしな話だ。

こんないいかげんな条例案なのだから、反対する人ばかりかと思っていたら、たいていは無関心。関心がある人でも、この条例案に大賛成し、ありがたがって拍手喝采までしている。ああ、これだから、中国を笑えないよと言ったのだ。奴隷根性丸出し。

自動車強制保険の各国事情

以前、自動車強制保険の各国の事情を比較した記事を書いたことがある。その記事から一部引用したい。

保険の制度設計としては自賠責保険と任意保険の2本建てでなくて、他国にあるように、自賠責1本にすべきだったと思う。すなわち、現行の自賠責の基本3000万円の補償を無制限にし、人身だけでなく物損にも適用範囲を広げる。公的救済制度を拡充させるってことである。

公的救済制度の特徴は被害者のコストの全部または一部を、潜在的加害者の集団、または被害者が被害をこうむるに至った活動によって利益を受けている者の集団に負担させて、損害の分散を図ることである。ただそれでも潜在的加害者に限定して負担を強いているということで、民事責任とのつながりを残しているから、さらに徹底させて、社会保障化させるのが一番理想的だとぼくは思う。現に、ニュージーランドでは人身事故について社会保障化されていると聞いたことがある。

(以下は、国際保険法学会の1998年アンケート調査結果による)

【各国の交通事故賠償責任法理】
①推定過失責任主義
日本(人身のみ)
イタリア
アルバニア
アンドラ
ポーランド
サンマリノ
バチカン
ユーゴスラビア
アルジェリア(物損のみ)
ペナン
ブルキナファソ
カメルーン
中央アフリカ
チャド
ガボン
コートジボアール
マリ
モロッコ
ニジェール
コンゴ
セネガル
トーゴ
チュニジア

②無過失責任主義
ⅰ(人身のみ)
ベルギー
フィンランド
フランス
スペイン
スウェーデン
アルジェリア
コスタリカ
パラグアイ
オーストラリア
ニュージーランド

ⅱ(人身、物損両方とも)
オーストリア
デンマーク
ドイツ
ギリシャ
チェコ
ハンガリー
アイスランド
リヒテンシュタイン
マケドニア
モナコ
ノルウェー
スロバキア
スイス
インド
イスラエル
クウェート
ナミビア
ブラジル
チリ
ドミニカ
グアテマラ
ジャマイカ
メキシコ
ニカラグア
ウルグアイ

【各国の強制自動車保険制度】
日本のように人身損害のみにつき強制保険制度を採用している国もあれば、イギリス、フランス、ドイツのように人身だけでなく物損についても強制保険を採用している国もある。また、イギリス、ドイツ、フランス、ベルギー等は限度額(日本の場合は死亡で原則3000万円まで)を設けておらず無制限としている。

(参考にした本・「交通事故賠償法」初版および第3版の「諸外国の交通事故補償システム」より)

島国根性丸出しのニッポンジン

他国の事情も知らないくせに、テレビで見たことだけを本気にしてそれ以上に知ろうともしないくせに、海外旅行に行っても団体で固まって決まったところしか行かないくせに、それで外国のことが分かった気持ちになって、やっぱりニッポンはサイッコっすと言っていたかつて勤めた会社の同僚たち。

島国根性丸出し。井の中の蛙大海を知らず。そういう連中が嫌中報道などをみて、優越感にしたり、差別意識を助長させる。自転車保険義務化条例にしても、他国の事情を知れば、そうかんたんにいいぞとは言えなくなるはずなんだけれどもね。

 
(16・5・06追記)
損害保険料率機構のHPより【主要各国の自動車損害賠償保険制度比較表】
jibaisekikokusai

3年前の資料。最新版を確認したかったので上記HPを探してみたが、探し方が不十分だったのかもしれないが、資料そのものが見つからなかった。現状、これが一番新しい資料のようにも思われる。

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知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にする。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。よろしくです。

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