自転車の車道右側通行が、どうして未必の故意による事故招致になりうるのか

【警察官だってやっている自転車車道右側通行】

バカでも風邪をひいた

最初から言い訳がましいが、このところ家庭の事情などもあってきわめて多忙である。さらにくわえて、バカでも風邪をひくのだと妻から言われてしまった。20年ぶりかの風邪ひきである。娘からうつされたのかもしれないが、のどの違和感から始まって、本日からはそれに鼻水と咳が加わった。午前中は調子がよかったのに、現在はやや微熱気味だが、いまのところまだ大丈夫みたいだ。高熱でうなされたらわからないけど、病院に行くつもりはまったくない。ぼくは、病院というところを病気を治すところではなくて、病気をもらうところだと考えているからだ。そういえば、咳がとまらない父を連れて病院に行ったのが1週間ほど前のことだった。父にうつされたか、待合い室でゴホンゴホンとやっている人がいたから、そこでうつされたのかもしれない。

相談も切実度の高いものからやっていきたい

さらにさらに、多忙になったのにはわけがあって、この3日間で相談がいっきに増えたことだ。この3日間で実に7件もの相談である。中に、高次脳機能障害の2件をふくめ後遺障害に関する相談が3件ある。実を言うと、高次脳機能障害の後遺障害を扱ったことがぼくにはあまりない。正直にいうと手で数えられるくらいで(汗)、5、6件くらいだと思う。それもずいぶん昔のことである。そんな経験でよく相談に乗るよなあと思った読者もいたことだろう。そう言われると反論のしようがないが、ちょっとした自慢話がないわけではない。その中には「意識障害なし」と主治医から診断書に書かれてしまって途方に暮れていた方がいた。当初よくて12級どまりだと考えられたが、その案件は自賠責で7級に認定できた。かなり苦労したのですよ。高次脳機能障害の経験が足りないからと言って、他へまわすわけにもいかないし、このような実績がまったくないわけでもないから、今回は相談に乗ることにしたのである。

そのようなしだいで、従来の相談の分で未解決の分も含めると、とても記事出しまではなかなか手が回らないのである。このところ遅れ気味の記事出しだが、本日は仕事が休みだし、1本くらいは出稿したかったので、こんな日々日常のことを書いてみた。

自転車の事故について

ところで、自転車との衝突事故で過失割合がどれくらいになるのかという相談もいただいている。この種の過失割合に関する相談がもっとも多いのだが、はっきりいえば、物損事故での過失の10%や20%の攻防など、相談される方にとっては重大事なのだろうけれど、深刻度ということでいえば大したものではなく、ぼくにとってはハッキリ言ってどうでもいい話だ。それにだいいち、ぼくは現場の確認さえしていない。したがって、今後、相談が多くなるようだったら、物損事故の10%の攻防については優先順位はかなり落ちると思うし、修正要素がどうなるのかの相談をよくされるが、現場の確認さえしていないぼくには気が重いということを承知していただきたい。

ただ、そうはいっても自転車の事故は個人的にたいへん関心のある分野なので、以前買った本で、パラパラ読みの積読状態に近かった「自転車事故の法律相談」という本を、今日は朝から気合をいれて読み返しているところである。

自転車の右側走行で無責とはこれいかに

ところで、この本のアマゾンのカスタマーレヴューにすごいのがあった。損保の保険調査員によるものだ。損保が本気でこんなふうに考えているのだったら、大問題である。引用しよう。

1)(自転車の)車道逆進。
言語道断の極悪行為。もし、クルマやオートバイが車道の右でも左でも勝手に走ってもいいとなれば大変なことになるのに、自転車は数台に1台が平然と逆進している。逆進は警察がバンバン検挙して反則金の青切符を切れば一気になくなる。また、損害保険は故意の事故で保険金を支払わないから、確信犯的車道逆進は「未必の故意」として自転車総合保険・個人賠償責任保険でも払ってくれない場合が考えられる(私は「無責」の稟議を書く)。

 
あまりにひどくて無視できないコメントなので、反論を書かせていただく。

こんなのでもし「無責」扱い、すなわち保険金が1円も支払われないとされたら、ぼくは断固抗議する。理由は、自転車は、クルマやオートバイと違うからである。だから、

クルマやオートバイが車道の右でも左でも勝手に走ってもいいとなれば大変なことになるのに、自転車は数台に1台が平然と逆進して

 

・・・いる事実があるのである。「数台に1台」も、どうして逆進しているのか。その事実にまずは眼を向けようとしない批判はおかしい。

実を言うと、ぼくは歩道でも車道でも逆進することがよくある。歩道はともかく、自転車の車道右側走行が違法だということを十分知っていてやっているのだ。しかし、交通事情や道路環境からそうせざるえないときがあるからやっているだけである。だから、コメント氏の憤慨する「確信犯的車道逆進」に該当する可能性が高いだろう。

さて、違法であることを知りつつ右側走行をしていたからといって、事故招致による未必的故意を持ち出すべきことなのだろうか。自転車の車道右側通行が違法だとの認識はもちろんぼくにはある。しかし、だからいってそれが事故招致につながるわけではないとぼくは思っているし、他の人も同じ気持ちだから「自転車は数台に1台が平然と逆進している」という事実があるわけだ。「確信犯的車道逆進」であったとしても、事故になってもかまわないとはちっとも思っていない。まして、相手を死傷させてもかまわないとまではぜんぜん考えていない。違法であることの認識が即、事故になってもかまわんとか、相手を負傷ないし死亡させてもかまわんとかいう認識・認容につながるわけでは決してないのである。つまり、違法であることの認識・認容と、事故招致や死傷に対する認識・認容というまったく別次元の話を一緒くたにしていないのだろうか。参考のため有名な判例を紹介したい。

最高裁平成5年3月30日判決

自動車のドアを蹴るなどの脅しをかけてきたBから逃げるために、Aが同人を路上に転倒させ負傷させることを認識しながら敢えて自動車を急発進させて同人を転倒させ、3日後に同人が死亡した。すなわち、傷害の未必の故意の結果として死亡という結果を発生させた。

保険会社は未必の故意が成立することを理由にBの遺族からの損害賠償金の支払いを拒否した。最高裁は、傷害に対する故意はあったけれど、死亡に対する故意まであったわけではないから、傷害に対する故意と死亡との因果関係を否定したという事案である。

未必の故意というのは本来殺人事件で問題にされたもので、それが傷害事件にまで拡大して適用されたという沿革があるらしいが、いずれにしろ、死亡や傷害に対する未必の故意など自転車右側走行をしている人にはないだろうし、事故招致についても、ふつうそのようなことを考えて自転車に乗っている人はいないだろう。

道路インフラの整備にもっと眼を向けるべき

道路インフラの未整備に眼を向けないで、自転車乗りの自己責任に安易に転嫁する。自転車の右側通行による過失加算するというならともかく、「無責」にするとはいくらなんでもやりすぎだろうし、根拠が不明である。万引きして、死刑にしてしまえと言うのとどこが違うのだろうか。

このコメント氏は、別のところで、

道路と信号も、自転車をまともに走らせるためには改正しないとだめだ。自転車に赤信号無視を奨励するような、無意味な交差点に信号機が設置され、どうやっても車道の左側端を自転車が安全に走れないような道路構造になっているところも多い。道路の構造と交通規制を、自転車が普通に走れるように直すのが先である。ボトルネックを放置して、強引に押し込んだところで日本の自転車シーンが益々混沌の度合いを深くするだけである。

 
ちゃんと事情がわかっているではないか。道路環境や交通事情のために自転車が右側走行をせざるえない場面というのはよくあるのだ。繰り返す。自転車乗りのマナー違反を指摘するのはいいだろう。しかし、そのことに目が奪われて「道路の構造と交通規制を、自転車が普通に走れるように直すのが先である」ことを忘れないでほしい。
 

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知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にする。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。よろしくです。

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