車の自動運転化と不老不死の薬

【妖怪バリバリ】
ある弁護士さんのサイトを見ていたら、あと3年後の2020年になると、車の自動運転化が本格化するために、交通事故は激減するのだという。え・え、そうなの。ぼくは商売していないけれど、交通事故で食っている人は商売あがったりだなあと思った。そして、ぼくもこんな自己満足サイトをやっている意味がなくなりそうで、ちょっとさびしくなった。なんだ、お前、ふだんは事故被害者のためとか立派なことを言っているくせに、事故が減りそうだと聞いて「さびしい」はないだろう。・・・まあ、そうかもね。

そう言われても仕方ない。でも、そう思ったのは本当なのでバカ正直に書いただけである。ただ、ちょっと反論しておくと、さびしいけれど、交通事故が減ることで不幸になる人も減ることはたいへんいいことだ。そうに違いない。そういう、矛盾した思いになったというのが本音である。

ところで、この話を知って、最初に思ったのは以上のことだが、その次に、「ゲゲゲの鬼太郎」の話の中にあった、不老不死の薬のことだ。それを思い出した。知らない人のためにどういう筋の話だったのか、ネットで探したらすぐにみつかった。以下に引用する。

現代の心配を本人に代わって解決。こんな事業を始めたねずみ男。1971年にアニメ放映されたゲゲゲの鬼太郎の「心配屋」の回の話だ。

製薬会社の社長は、息子の凡太が平凡すぎることに悩んでいた。それを聞いたねずみ男は「心配屋」というビジネスを立ち上げる。悩み解決をビジネスにするなんてセンスがいい。解決方法は、妖怪バリバリを使うというもの。妖怪バリバリの卵を飲んだ人間は非凡になるという。ベートーベン、聖徳太子、ヒトラーも妖怪バリバリのチカラだと目玉の親父は話す。

競争の激しい製薬会社の社長は平凡の息子だと先が思いやられるという深い悩みを抱えていたので、非凡になれるというねずみ男のオファーを受けることにした。

後継者である息子の凡太は、妖怪バリバリの卵を飲み、非凡になってからモーレツ社員に大変身。苦手だったセールスも積極的に行ったり、下積みの苦労も知らないといけないといって、雑務もこなしたり、見違えるようにバリバリと働き始めた。

しかし、喜びも束の間。社長である父親を困惑させることをモーレツ凡田はやりだす。それは、究極薬品をつくるということ。一切の病気がなくなり、老衰という自然死だけになる世の中を実現するための「究極の薬」をつくるというのだ。

その研究をみていた社長は、「ばかもの!そんなもの発明したら日本の製薬会社は全滅だぞ!」と、殴りかかる。

「だって、今の薬は効かないものが多すぎます!」非凡のチカラを手にいれた凡太は言い返す。

社長は声を荒げる、

「それでも、薬をつくることがわれわれの崇高な使命なんだ!」

「薬の副作用で、また病気が増えるということが、新薬の開発となって、我々の産業の発展になるんだよ!

「うちの会社が儲かるような薬を つくりだすことだけでも考えろ!!」
【出典:Walk on the Wild Side

 
・・・とまあ、こういう筋の話である。

車の自動運転化のつづきには、交通事故の激減により車の台数も激減するとバラ色の予想がされている。本当にそうだろうか。技術的な側面だけみているとそうなるのかもしれないが、世の中はそれだけでは動かない。経済的な、あるいは政治的な側面もみないと、予想を大きく間違えることになりかねない。

利益相反の関係。車が売れなくなればメーカーにとって死活問題である。ぼくがメーカーの社長なら車の売り上げが悪くなるような技術開発など決してやらないし、やれない。ぼくでもそう思うのに、営利企業であるメーカーがそんなことに一生懸命になるとは、ぼくは思わない。その影響はメーカーだけにとどまらない。保険会社など自動車関連産業は日本経済の基幹部面でもある。

現にメーカーは自動運転化の技術開発に一生懸命になっているではないかと言われるかもしれないが、メーカーには、予想とは違った別の思惑があるのではないのか。薬品会社と同じ論理によって。別にメーカーを批判しているわけではない。営利企業という事実を無視した予想に、ぼくは安易に乗せられたくないだけである。
 

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突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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