後遺障害の相談には、ぜひセカンドオピニオンを実施してください

百聞は一見にしかず。後遺障害に関する本を何十冊読んでも、後遺障害業務をやられた方の体験談を何十回聞いても、実際に自分で一度やってみること、1つの経験が百聞よりも大切だということがあります。一度経験すると、ああすればよかったとか、ここが足りなかったとか、何か反省するものです。今度はこうしてやろうと、そこに創意工夫が生まれる。そういう気づきが大切なのだと思います。

では、後遺障害業務を一度だけでなく、月に5件やれたとして、年間60件。10年で600件ですが、これで多いかというと、ぼくに言わせれば少ない。1000件ならどうか。これでもやっぱり少ない。「少ない」となぜいえるのかというと、ぼくがこれまでにやった件数がだいたいそれくらいになるからです。1000件やって後遺障害の何たるかがわかっているのかというと、はっきり言ってあまり自信がない。まだまだダメだと思っています。損保人身担当者からみれば、まだまだだと言われるに決まっています。

では何件やったらいいのか。必ずしも件数だけではないと思いますが、それでも1500件くらいはやったほうがいいのではないかと思います。1500件もと思われる方が当然いらっしゃるかと思いますが、相手が日常的に後遺障害案件を数十件かかえている百戦錬磨の損保人身担当者だということを考えれば、それくらいの経験がないと不安です。

ところで、先に、必ずしも件数だけではないとぼくは述べました。というのも、百聞は一見にしかずの続きにこういう言葉があるそうです。

百聞は一見にしかず
(いくら人から聞いても、自分で見なければ本当のことはわからない)
百見は一考にしかず
(いくらたくさん見ても、考えなければ前に進まない)

 
経験が足りないところは、「考える」ことでカバーできるということです。ぼくのばあい、経験は十分とはいえないものの、そこそこあるのですが、あまり考えないでこれまでやってきた。もっと考えればよかったと、今さら嘆いてみても後の祭りです。そのツケが今になって回ってきて、ああ、せっかくの環境があったのに、もったいないことをした。もっと利用しておくべきだったと、すごく後悔しております。

ところで、後遺障害業務に関心があって、ぼくのブログを訪問していただいている方がいると思うのですが、ぼくの場合は現役でないため、過去のおぼろげな記憶を頼りに記事を書いていることのほうが多い。本当ならナマの情報をお届けしたいとの思いがたいへん強いのです。それで、後遺障害をふくめた相談を無料でやっています。ただし、電話やメールだけなので、直接相談者とお会いしたことはありません。そもそも、名前も住所も知らないことのほうが多い。そして、相談にのっていて、ときに、医師面談を実施するなど、ぼくならこうやるんだけれどなあと思うこともあります。こうやればもっと高い等級が望まれるのに残念だと思うことも少なくありません。しかし、相談者がだれかにすでに依頼している場合、横からしゃしゃり出てきて、ああだこうだと、限られた情報だけでものを言うのも、気がひけます。ただで相談にのっていて、そのことが原因で他の人から万が一恨まれでもしたら、まったくワリにあいません。

そうは言ってもナマの相談がぼくには一番ためになります。どうぞ、遠慮されずに相談されてください。ただし、ぼくの回答は遅れ気味だし、間違っているかもしれません。だから、常に、当方の言うことを鵜呑みにせずにセカンドオピニオンを実施してください。どなたかの意見と比較した上で結論を出してください。

また、日常後遺障害業務をやれている方で情報の交換がしたいという方がもしおられるようでしたら、メールなり電話なりしてください。ひとりよがりにならないために、情報は少ないよりも多くあったほうがいいと思います。横のつながりも大切です。お願いいたします。
 

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当事務所の立場

突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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