基本が100・ゼロの事故で過失を認定するのは難しいし、基本が100・ゼロでない事故でゼロ主張も難しい

2日前にメールしてくれたIさんへ

2日前メールでご相談いただいたIさんへ。貴方のメールに以下のような警告が表示されていました。

keikokumesseji
 
申し訳ありませんが、貴方宛てのメールへの送信はやめにしました。送信が可能なようにメールアドレスを別のものにしていただけたらと思います。ただ、文面自体は真摯な内容だったので、誤送信の可能性もあります。せっかく書いた返信なので、今回は記事として取り上げました。個人が特定されないよう配慮したつもりだし、個別的な回答ではなくて、記事としての一般化もしました。そのあたりは自分の事例にあてはめてお考えください。

修正要素を認定するのはハードルが高い

相談事例の中で目立つのが表題にあるようなゼロ主張をしたいとか相手のゼロ主張を回避したいとかいうケースである。ここでまとめてぼくの主張や感想を述べてみたい。

基本が100・ゼロの事故というのは3つある。信号が赤・青のケースとセンターオーバー事故。それと、追突事故である。それ以外にも停止中の車両への衝突事故も加えておこう。いずれも基本が100・ゼロだが、ゼロ側に対して過失を認定するのはかなり難しい。たとえば、信号が赤・青のケース。判例タイムズの過失相殺本によると、図【98】が適用される。基本が100・ゼロになっているが、修正要素のところにこう書いてある。

信号に従っている車両であっても、前方左右に対する通常の安全確認をせず、又は信号違反車の発見後容易に回避措置をとることができたのに、これを怠った場合には、過失を認めてもよいであろう。したがって、ここでいう過失とは、通常の前方(交差点内ないしそれに近接する場所)に対する安全不確認又は発見後の回避措置懈怠を意味する。例えば、信号待ち後青信号で発進するに当たり、軽度の注意で赤信号車を発見することができるのに、信号のみを見て発進した場合等がこれに当たる。(P208)

 


 
青信号車に上記のような過失が認められれば、青信号車側のゼロ主張を回避できる。しかし、これを立証するのはかなりたいへんなことであり、そのハードルはかなり高い。そして、青信号車は自分が無過失だったことを立証する責任はまったくない。その過失の立証責任は、青信号車側の過失が認められることによって得をする赤信号車側にある。センターオーバー事故や追突事故についても同様に考えてもらえればいい。

さて、2日前に相談のあった事例は、後退車による停止車両への逆突事故である。通常は後退車側が100%悪い。したがって、逆突された停止車側は自分の無過失を主張する必要はなく、後退車側が、停止車側の過失を主張・立証する必要がある。

以上がいわば原則的な説明である。しかし、実際はこうはうまくいくとは限らない。相手側は停止車側がクラクションを鳴らすべきだったのに鳴らさなかったと主張したり、示談段階ではいったん認めていた逆突の事実を反故にし、当初の争いであった追突か逆突だったのかという争点を蒸し返すかもしれない。裁判になればそういうこともいちおう覚悟しておかないといけない。そうなると、相談者の立証のハードルは俄然高くなる。そのことをよくよく知っておいてもらいたい。クラクションを鳴らしたかどうかについては停止車側である相談者は鳴らしたと主張している。仮に相手が言うように鳴らすのが遅れたとなったら、遅れたことの合理的な説明が必要になる。合理的な説明ができたなら、やはり相談者の無過失を押し通すことができるだろう。

停止中の事故かそうでないか

停止中だったのかそうでないかは車の破損状況でわかるばあいがある。今回のような追突か逆突かの争いではないが、参考にはなるだろう。以下はあるアジャスターの話を再現したものである。

自車が駐車場内の駐車スペースからバックで通路側に進入、その結果、通路側の相手車と衝突した事例。衝突部位は自車側が後部正面、相手車は右側面の運転席よりもやや中央寄り。自分のほうに後方確認不足あり、相手はぶつかるかもしれないと思ったが、停止中にぶつけられたと0:100を主張。その場合の解決策。

自車側が相手車の存在に気づかずバックし衝突したからといって、相手が停止中であったという主張への反論が必ずしもできないわけではない。たとえば、相手は自車の後方でどうして停止していたのかその理由を確認すべし。ぶつけられるかもしれないと相手が事前に危険を感じていたのなら、なおさらそうである。にもかかわらず相手車はぶつけられる位置で停止した。その理由は何か。停止しないといけない何か必然性があったのかどうか。この点は過失にかかわる重要なことなので必ず確認すべき。

さらに、今回の事故は相手車の運転席側側面の車体真ん中付近にぶつかったということだ。もしそうなら、自車が相手車の心向きに衝突したということになる。その結果、仮に相手車が停止中だというのが事実なら、衝突面が横滑りしていない、いわゆる押込み変形だけが残るケースである。相手が走行中なら、衝突面に横滑りが発生するから、押込み変形といっしょに摩擦力が作用する方向の引きずり痕が印象される可能性が高くなる。さらにさらに、相手車の右前輪に衝突した事実はなかったのかどうか。もし右前輪に衝突していたなら、走行中ならタイヤが回転していたことになるわけで、タイヤが回転していたために発生する特徴的な痕跡も刻印される。そのような痕跡が残っているのかどうか。

なお、追突か逆突かの鑑定方法については、「新・物損処理のポイント」(自動車保険ジャーナル)にかなり詳しい説明がある。この説明も紹介しようかと思ったが、自動車工学的な論点もあったので、ぼくは詳しくないため今回は遠慮することにした。

感想

事故状況についていくつかわからないことがあるが、ここでは割愛する。ひとつだけにしたい。「月に1回くらい」と答えているが、これは右折先の間違いじゃないのか。

ぼくの感想としては、無過失主張が正当だったとしても裁判だと示談の時の提案を反故にされ、最初の争点を蒸し返されるおそれがある。そのあたりの立証もできる自信があるならともかく、多少の妥協をして、9対0くらいでまとめられたらとは思った。相手損保もこれなら応じやすいかもしれない。いや、それでは不満だというのだったら、裁判を視野にいれないといけないだろう。軽微な物損事故での過失10%の攻防。人身事故ならともかく、これで裁判をやるのはたいへんだと思う。相手損保も示談をしたいという気持ちがある提案なのだから、納得いかないかもしれないが、そこは妥協もときに必要な気がする。これがぼくの正直な感想である。

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知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

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