幼児の交通事故と判例

近所のおっさんが勝手に白線を引き出した

もう3年近く前のことです。ぼくの自宅前の道路で、近所に住むおっさんが路面に白線を引いておりました。自宅前の道路はいわゆる生活路なのに、昼間も夜も高速で通過していく車が絶えません。この道路は小学生や中学生の通学路であるだけでなく、近くにある幼稚園の子どもたちが保母さんの引率のもとよく歩いている道路なのです。そういうことがあるため、白線をひいて車のスピードを少しでも落とそうという、やむにやまれない気持ちから近所のおっさんが勝手に停止線としての白線を引いていたのでした。

白線を勝手に引いていいのかよとぼくはふと思ったのですが、おっさんいわく、警察に頼んでもすぐには対応してくれない。だったら自分で白線をひこうと思い立ったというわけです。警察は、交通規制は道路標識と道路標示の2点で規制するのが原則だから、道路標示である路面の白線だけなら警察の関与するところではないので、勝手にやるならいいと言ったそうです。

本当にそんなこと言ったのか? 「勝手にやるならいい」という部分に自分に都合のいい解釈がはいっていないのだろうか。そんな気がしたけれども、おっさんがいうように、警察にお願いしてもいつ対応していただけるのかわかりません。その間に、子どもたちが車の犠牲になることだって十分ありうることです。自宅前の道路上での、歩行者と車の接触事故こそありませんが、車同士の接触事故はこれまで何度もあったし、対向車が猛スピードで飛ばしていたため避けようして電柱にぶつかった誘因事故だってありました。だから、ぼくはおっさんのやっていることが仮に違法だったとしても責める気にぜんぜんならなかった。むしろ心のどこかでよくやってくれたと賞賛したい気持ちでした。

踏みつけにされた巻尺

それで、ぼくもちょっとは協力してあげなきゃという気持ちになって、巻尺を忘れてきたらしいおっさんにぼくの巻尺を貸してあげました。ところが、それから30分もしないうちにおっさんが自宅にやってきました。「申し訳ない。巻尺を使って計測していたら、そこへ車が猛スピードで通過して巻尺を踏みつけていきやがった。車はとまらずにそのまま行ってしまったのでどうしようもなかった」と謝罪しに来ました。壊れた巻尺をみると、数値がはいっているロッド面がほとんど引きちぎられている状態でした。

【踏みつけられた巻尺】

 
子どもたちがそばにいようが、ところかまわず猛スピードで通過していく車たち。器物を壊しても停止しようともしない車たち。おっさんが白線をひく1時間ほど前に、市の公有車が、「交通安全、お互い譲り合いの気持ちを・・・」と広報して自宅前を通り過ぎていたのですが、その文句のむなしさ、白々しさ。

交通安全教育が子どもに過失を問うための口実にされている

この画像は、警察が交通安全を啓蒙するために、幼稚園児にお話をしているところです。

 
「子どももルールをきちんと守って」もらうための啓蒙です。ぼくも自分の子どもが小さいときは口すっぱく「クルマに気をつけて」「急に飛び出したらダメ」「信号は信用するな」「道路で遊んだらダメだ」などと言っていました。このこと自体はやむをえないことです。現代の子どもは、このようにして小さなときからクルマの危険について学ばざる得ない。

しかし、子どもとは本来遊ぶものだし、注意力散漫だし、視野も狭い。それがクルマの通る道路だったとしても、大人がいくら道路で遊んではいけないと言っても、子どもは遊びに熱中し、ほかのことにおルスになります。道路で遊ぶなといってもそれは難しいことです。みなさん、子どものころのことを思い出してください。道草くいながら友達とわいわいがやがやするのが子どもたちのふつうの風景だったはずです。その道路がいわゆる生活路だったらなおさらそうです。

ところが裁判所は、子どもは小さいときから交通安全教育を受けているし、親などからもそのように「しつけ」をされていることを理由にして、子どもに「過失」を押し付けているという杉田聡氏の指摘がありました。これが事実なら、子どもたちが交通安全の教育やしつけを受ければ受けるほど、子どもたちに過失を問えることになる。そして、自動車側の罪を軽くし、免責することになりえる。なんて皮肉なことでしょう。交通安全教育に熱心に取り組んでいる婦警さんだって、こんな評価をされたのでは、むなしくなることでしょう。

子どもの事理弁識能力

そのあたりのことは、法律上どうなっているのかを調べてみました。ちょっと長くなりますが、潮見佳男「債権各論Ⅱ 不法行為」から引用しますね。

「責任能力」と「過失」は別々の制度目的に基礎づけられる概念でして、「責任能力がないから」と言って「過失を犯す能力がない」ということになりません。まして、責任能力は「他人の権利を害しないように行為すべき義務」に違反した加害者について問題となるのに対して、過失相殺で問題になっているのは、損害の公平な分配という観点から見たときに自己危険回避義務に違反した被害者への不利益の転嫁なのです。

判例も、「722条2項の過失相殺の問題は、不法行為者に対し積極的に損害賠償責任を負わせる問題と趣を異にし、不法行為責任者が責任を負うべき損害賠償の額を定めるにつき、公平の見地から、損害発生についての被害者の不注意をいかにしんしゃくするかの問題に過ぎない」ことを理由に、「被害者たる未成年者の過失をしんしゃくする場合においても、未成年者に事理を弁識するに足る知識が具わっていれば足り、未成年者に対し不法行為責任を負わせる場合のごとく、行為の責任を弁識するに足る知能が具わっていることを要しないものと解するのが相当である」と述べています(最大判昭和39・8・24:自転車を2人乗りしていて8歳1か月と8歳2か月の男子が生コン運搬車に轢かれ死亡した事件を扱ったものです)。

もっとも、ここで、この判決が「被害者たる未成年者の過失をしんしゃくする場合においても、未成年者に事理を弁識するに足る知能が具わっていれば足り・・・」としている点に注目してください。過失相殺をおこなうためには被害者に責任能力が備わっている必要はないとしつつ、他方で、「事理を弁識するに足る知能」は必要だとしているのです。この知能を備えた能力は、事理弁識能力と言われています。

過失相殺をするには、被害者に責任能力が備わっている必要はないものの、事理弁識能力は備わっている必要があるのです。自分の行動が「善いことか、悪いことか」とか「おこなってよいこと、許されることかどうか」といったことについて認識できる能力は要らないが、「自分がこれから何をしようとしているのか」ということについて認識できる能力は必要だという意味で考えればよいでしょう。ちなみに、裁判例では、事理弁識能力として、大体6歳前後が一応の目安になっています・・・。(P103~104)

 


 
最後にご紹介する裁判例の中には、犬に吠えられ、恐怖のあまり道路に飛び出しタクシーに轢かれた4歳11か月の幼児に30%の過失相殺をしている例さえあります。事例はいわゆる生活路上で起きたことです。親の責任を問うならともかく、4歳の子どもに危険が認識できるはずだと責任を押し付ける。これが公平の正体ね。ただただあきれかえるばかりです。

子どもの交通事故に関する判例

札幌地裁 昭和45年5月27日判決
夜間、2階の窓から被告車が停車している路上にペンを落とし、幼児(男・2歳5か月)がそれを拾いに出たため、発進した被告車にひかれて死亡した事故。自動車運転者が停車中のの自動車を発進させるときは、単に運転席から見通しうる範囲内の安全を確認するだけでは不十分であり、自ら自動車の前方に回ってみるなどして死角の範囲内の安全をも確認すべき注意義務があるとした。他方、幼児が出たのを知りながら放置しておいた母親に過失ありとして、40%の過失相殺をした。

 

千葉地裁松戸支部 昭和50年7月2日判決
駐車中の移動図書館車で図書を閲覧中、車に装置された閲覧台に幼児(男・2歳9か月)の眼が触れて負傷した事故につき、「運行」による事故とはいえず自賠法3条の適用はないとした。また、右事故につき、閲覧台の角は金属製で先端が下方に緩やかに曲がり、少しギザギザにとがっているが、利用者あるいはその保護者が通常の注意を払えば何ら危険なものではないから、この角を被覆する等の義務があったとはいえないし、また閲覧台の設置または管理に瑕疵があったとはいえないとして、移動図書館車の所有者である市に国家賠償法2条の責任及び使用者責任を認めなかった。

 

福島地裁いわき支部 昭和50年10月20日判決
加害運転者が積荷を降ろし終え発進準備をしていた時点において加害車両からわずか1.1m程度しか離れていない地点に歩きはじめてまもない幼児(男・満1歳6か月)がいることを認識していたのにそのまま発進して左後部車輪でひいた事故。運転者はクラクションを鳴らすなどの事故の発生を未然に防止すべき注意義務があり、信頼の原則は適用されないとした事例。当該事故において、母親としての監護義務を怠った被害者に50%の過失相殺をした。

 

山口地裁宇部支部 昭和55年1月28日判決
犬に吠えられた女児が広場から道路(幅員4.1m)に飛び出しタクシーに轢かれた事故。広場の向かい側にカーブミラーが設置されており、16.5m手前から広場の状況を見ることができるとして、タクシー運転者の注意義務違反とした。他方、4歳11か月なら飛び出し行為の危険性について十分認識し得たものとして、30%の過失相殺をした。

 

佐賀地裁 昭和55年8月12日判決
停車中のバスの後方から飛び出した幼児(女・6歳)が対向の大型バスと接触した事故。現場は国道片側1車線路(幅員6.5m)。バス運転手としては、停留所に停車中の路線バスの後方の安全確認ができない以上、不測の事態に備えて減速し、クラクションを鳴らす等の注意義務があるとして注意義務違反の過失を認めた。他方、停車中のバスの後方から飛び出した幼児に60%の過失相殺をした。

 

神戸地裁 昭和58年2月28日判決
被害者(男・1歳9か月)が、マンションの駐車場に進入して左折しようとした加害車(普通貨物自動車)に近づき、左前付近に接触、転倒して、轢過され死亡した事故。同駐車場内の八百屋の出店で買物をしている間、被害者の手をつなぐなどの監視を怠った母親にも過失があるとして、10%の過失相殺をした。

 
(判例を追加予定)

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突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にする。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。よろしくです。

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