交通事故における信頼の原則

相談

事故現場は信号のある交差点。相談者は対面信号が赤だったので、片側2車線のうちの追越車線の停止線のところで先頭で停止していた。信号が赤から青になり、すぐにでなく少し間をおいて発進したところ、後続にいた車がセンターラインを越えて自車の右側方から自車より前方に進み右折しようとした。いわゆる早回り右折である。ところが対向車が来たため慌てて自車の前に回避してきた。急ブレーキを踏んだものの、自車の右前角と相手車の左側面が接触したという。相談者はゼロ主張である。相手も現場では自分に100%落度があったとしていた。それで警察へ届けなかった。

ところが、その後、相手側から、センターラインを越え、右折しようとしたのは認めるが、相談者側からぶつかって来たと主張を変えたということだった。そのため、相手損保から、今回の事故は相談者にも過失があると言われたというのだ。それぞれの主張を図にするとだいたいこんな感じになるだろう。

【相談者】

 
【相手】

 
もっと確認したいことがあったので、日曜日にご連絡いただくことになっていたが、連絡がなかったため、こっちから電話するのもあれなので、そのままになっている。

それはともかく、相談者の主張どおりなら、ふつうならありえない事故状況であり、ゼロ主張も当然だと思う。問題は相手主張どおりだったらどうなるかである。相手主張の事故状況については、実をいうと、既視感があった。

最高裁 平成3年11月19日判決

実を言うと、信頼の原則を適用した有名な裁判例があるのだが、その判例の事故状況によく似ているからだった(注)。

(注)似ているとはいっても同じわけではないため、この種の事故については、いずれ別記事で、過失割合・判例等もふくめまとめたいと思う。

 

最高裁 平成3年11月19日判決
道交法37条は、交差点で右折する車両等は、当該交差点において直進しようとする車両等の進行妨害をしてはならない旨を規定しており、車両の運転者は、他の車両の運転者も右規定の趣旨に従って行動するものと想定して自車を運転するのが通常であるから、右折しようとする車両が交差点内で停止している場合に、当該右折車の後続車の運転者が右停止車両の側方から前方に出て右折進行を続けるという違法かつ危険な運転行為をすることなど、車両運転者にとって通常予想することができないところである。

信頼の原則とは何か

信頼の原則について、ブリタニカ国際大百科事典ではこう説明している。

行為者は,他者が適切な行動に出ることを信頼して行動してよく,他者の予想外の不適切な行動によって生じた法益侵害については,その行為者は過失責任を問われない,とする法理。

 
なんだ、ごく当たり前のことが書いてあるだけじゃないか、こんな抽象的は説明ではなんのことだがよくわからないし、どういう事故なら信頼の原則の適用があるのだろうかと思った人も多いと思う。ぼくも、この記事を書きながらそう思った。そこで、もっと具体的な内容を知るために、法律書にあたってみた。

過失割合をなすか否かという場面において信頼の原則が機能することもある。被害者に過失と目し得る行為態様が認められる場合であっても、そこに加害者の行為態様に対する信頼(交通法規等を遵守してくれるであろう、自己(被害者)の行動に注意を払ってくれるであろう等)があり、その信頼を、社会通念上妥当なものと認め得るときは、被害者に過失はないものと認め、したがって過失相殺をしないことにする、あるいは、信頼の原則も勘案して過失割合を認定すると言うことが行われる。
「交通事故賠償法」(P305-)


 

特に車両同士の交通事事件における過失の有無の判断に当たっては、相手方の顕著な道路交通法規違反行為や異常な運転が事故の原因となっている場合には、道路交通法規に従って運転していた運転者には事故の発生につき予見可能性がなかった等として過失が否定されることがあり、このような考え方については、一般に、「信頼の原則」と呼ばれている。

もっとも、「信頼の原則」については、相手方が適切な行動に出ることを信頼することができる場合に適用されるのであるから、そのような適切な行動に出ることを信頼することができない幼児や高齢者に関しては適用されないとされ、その他の事案に関しても、その適用をめぐっては十分慎重に検討される必要がある。

いずれにしろ、交通事故の被害者である原告が、過失の評価根拠事実として・・・加害者である被告における定型的注意義務違反の存在について主張・立証した場合には、被告は自己の責任を争うときは、その評価障害事実として、被害者の道路交通法規違反の行為等の道路交通上の異常な事態により、交通事故の発生という結果を具体的に予見し、又はこれを回避することができなかったという事実を、特段の事情として主張・立証することになると考えられる。(「交通損害関係訴訟」P33))


 

自動車や歩行者は、他の自動車・歩行者が道路交通ルールに従い適切に行動するであろうことを信頼することができ、かかる信頼が相当である場合には、それによって事故が発生しても責任を負わないとする考え方。すなわち、信頼の原則により、他の者の違法な行為によって発生した結果については、予見可能性がない、または回避義務がないとして、過失なしとされる。ただし、過失相殺があるので、適用は慎重にとある。さらに、信頼の原則は対等者間で働くものであるから、車両と歩行者との事故については、あてはまらないというべきであるとしている。

また、信頼の原則は訴訟手続的には、事実上、被害者側の立証責任を緩和する働きをするとしている。(「交通事故訴訟 (専門訴訟講座)/民事法研究会」

信頼の原則を適用した判例

最高裁 昭和44年12月28日判決
対向直進車が突然センターラインをオーバーしたために生じた事故について、特段の事情のない限り、対向車が急に自車線に進入してくる(原文のママ)ものと信頼して運転すれば足りるとして免責を認めた。

 

最高裁 昭和45年1月23日判決
自動車の通行の頻繁な幹線道路では、歩行者の飛び出しがないものとして信頼して運転すれば足りるとして免責を認めた。

 

最高裁 昭和45年10月9日判決
信号機の表示する信号により交通整理が行われている場合、同所を通過する者は、互いにその信号に従わなければならないのであるから、交差点で右折する車両の運転者は、通常、他の車両の運転者も信号に従って行動するであろうことを信頼し、それを前提として注意義務を尽くせば足り、特別な事情のないかぎり、信号を無視して交差点に進入してくる車両のありうることまでも予想して左右後方の安全を確認すべき注意義務を負わない。

 

最高裁 昭和48年6月21日判決
青信号で直進する車両に速度違反があっても免責が認められる。

 

最高裁 昭和52年2月18日判決
赤信号を無視して交差点に進入する車両があることを予想して、交差点手前で停止することができるように減速して、左右の安全を確認すべき注意義務はない。

 

名古屋高裁 昭和52年9月28日判決
交差点で右折しようとする運転者は、適切な右折準備態勢に入った後は、後続車が違法異常な運転をすることまで予想して後方の安全確認を尽くすべき注意義務はない。

 

千葉地裁 平成18年4月11日判決
信号のない交差点で、Xが自転車に乗って横断歩道を横断中、時速70キロ(制限速度40キロ)で走行してきたトラックに衝突され負傷した事案。加害車の速度超過は重過失といえること、被害車の走行速度はゆっくりとしていたことに加えて、「自転車運転者は横断歩道を通行することで他の歩行者と同様に注意を向けてくれると信頼するのが通常であり、車両等の運転者は横断歩道を通行する自転車に対して歩行者に対するのと同程度の注意義務が課せられていること(道交法38条等)に照らすと、Xに過失があるということはできない」とした。

 

東京地裁 平成22年5月26日判決
国道の変形交差点で、自転車と乗用車とが出合い頭衝突し、自転車運転者が死亡した事案。対面信号黄色で交差点に進入した乗用車でも、交差道路を走行する車両が赤信号で交差点内に進入してくることはないと信頼して走行するのが通常であるとして、自転車運転者の過失を70%とした。

 

東京本部平成5年3月22日裁定・本審第312号)
事故状況は、T字路交差点において、直進車(相手車)が、追い越しのための右側はみ出し禁止規制に違反して、前方に停止中の訴外右折車両を追い抜くために対向車線にはみ出して走行したところ、折から右側交差道路から左折して交差点に進入してきた普通車両(申立人車)と衝突した事故につき、相手車には、追い越しのための右側はみ出し禁止の道路で、右側にはみ出して走行し、また交差点内において追い越しをした重大な過失があり、他方、申立人には相手が追い越し禁止に違反することまで予想して行動する義務はないとして、過失相殺を認めなかった事例。

相手の主張は、自分が走行していた道路(甲道路)が優先道路だったことから、旧・判例タイムズの【56】に該当するとし、基本20対80、追い越し分を10%過失加算して、30対70を主張した。それに対して、申立人側は、ゼロ主張であった。

【裁定の理由部分】
本件事故は相手が第三車両を追い越そうとして対向車線にはいって進行したため、申立人車の前部と相手車の左側面とが衝突した。相手は追い越しのためのはみ出し禁止(道交法30条3号)に違反しているという意味で、その責任は重大である。本件の場合、甲道路がたとえ優先道路であるとしても、相手が対向車線に進入することは許容されておらず、【56】の類型にはあたらない。他方、申立人としては、相手がはみ出し禁止、交差点内における追い越し禁止に違反することまで予想して行動することを要しない。→「交点の生じない事故」類型に該当する。詳しくはこちら

まとめ

信頼の原則が適用された判例を概観してみると、信頼の原則が適用される事故状況というのは、基本の過失割合がゼロ対100にあたる信号無視事故とか、センターラインオーバーによる対向車同士の正面衝突事故とかに適用されている。それ以外は、右折車と後続からの右折車というような、異常で、かつ、それを認めたら交通秩序の根底がひっくり返りそうなものを全否定するために適用されている。

信頼の原則というのは、つまりはこういうことである。対面信号が赤から青に変わった。さあ、進行しよう。いや、待てよ。交差道路側からもしかしたら信号を無視する進入車があるかもしれない――と考えたとしよう。それなら、たとえ信号が青でも、交差道路側の状況をよく確認しながら進行するしかない。あるいは、センターラインが引かれている片側1車線の道路。そこを進行している車が、もしかしたら対向車がセンターラインを越えて進入してくるかもしれない――と考えたとしよう。そのときのために備えてすぐにも停まれる徐行速度で進行するしかない。

事故になるかもしれないと考えて、もしいずれもこのような運転をしていたら道路はたちまち渋滞に陥ってしまうだろう。つまり、交通秩序を根底からひっくり返してしまうような大混乱になってしまうに違いない。

ここで「信頼の原則」の定義について改めて考えてみよう。先のところで法律書から引用して「信頼の原則」をこのように説明した。

過失の有無の判断に当たっては、相手方の顕著な道路交通法規違反行為や異常な運転が事故の原因となっている場合には、道路交通法規に従って運転していた運転者には事故の発生につき予見可能性がなかった等として過失が否定される

 

この説明だけではわかりづらい。省略されているところを加えて以下のように整理してみた。

リクツの上では予見可能だったかもしれないが、「相手方の顕著な道路交通法規違反行為や異常な運転が事故の原因となっている場合」にまで、「道路交通法規に従って運転していた運転者には事故の発生につき予見」する必要はなく、「(予見)可能性がなかった等として過失が否定される」。その場合のことを指して「信頼の原則」という。

この原則については、その運用をめぐってまだ統一されているとはいえないこと、したがって「信頼の原則」自体にアイマイさを含む。にもかかわらず、いったんこの原則が認められると絶大な威力を発揮する。伝家の宝刀みたいなものだ。そのため、この原則の適用については、抑制的でないといけないようである。
 

コメント

    • どら
    • 2017年 7月 20日

    信号交差点で右折車線から左折し左隣の直進車線を直進する車両に衝突した場合どうなるんでしょう…

    あまりに馬鹿馬鹿しすぎるのか類似の判例なりが見つけられないです…
    相手損保N火災はなぜか50:50を主張してきているというか無理な主張だとはわかった上で解決する気は無いのでそう主張しているようです。
    あらかじめ左端によらない左折車、で8:2からスタートして加害者側不利にどれだけ過失修正するかの争いになるのが普通だと思うのですがそういう話にさえたどり着かない状態です。

      • ホームズ事務所
      • 2017年 7月 20日

      どらさん、コメントありがとう。

      これで五分五分ですか(唖然)。なんでもとりあえず言ってやれってことですかね。

      これと同じような事故の調査をしたことがあるのですが、昔のことなので忘れてしまいました。申し訳ない。ぼくのほうでも判例あるか探してみます。いかにもありそうな事故なのにね。しばらく、といっても1週間は待たせませんから、お待ちください。

      相談がほかにも何件かあったり、ぼくに直接会いたいという人もおられるなど、ちょっとたてこんでおります。すみません。

    • ホームズ事務所
    • 2017年 7月 24日

    判例を調べてみたところ、事故状況的に近いかなあと思ったものがふたつありました。ただ、交差点内の事故ではなくて、交差点直前の単路上の事故です。交差点内も念のため探しましたが、探し方が足りないのか、みつかりませんでした。

    東京地裁 平成10年3月24日判決<出典> 交民集31巻2号416頁
    片側3車線の道路で、加害車の前方に右折待ち停車車両が重なったため急に左方の車線更したため、その車線を走行してきた被害乗用車と衝突した事案で、方向指示器を出さず左折した加害車に対し、被害車も前方不注視の過失を15%認めた事例。

    名古屋地裁 平成11年11月24日判決<出典> 交民集32巻6号1833頁
    進行する道路が右折レーンとなるため、突然左車線に車線変更した加害車と左車線を並進する被害車とが接触し、対向車線にはみ出し対面進行してきた訴外車に衝突した事故につき、被害車に自動車運転者として期待される一般的な注意義務があったものと2割過失を認めた事例。

    どらさんの見立てでいいように思いました。

       
       
       

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ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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