医療照会や医療調査のための同意書について

同意書はなぜ必要か

損保と示談交渉をするとき、人身事故なら同意書の提出が求められる。損保はどうして同意書を求めるのか。

①は、治療先の治療費や治療内容、治癒状況を知るために診断書やレセプトを取り付けるためである。②が医療調査・医療照会をかけるためである。これらの確認のためには事故被害者の個人情報の提出が必要になるため、同意が必要だからである。①については特に問題はない。加害者側損保に医療費を支払っていただくためには止むを得ないだろう。もちろん、医療費を自分で支払って相手側に請求するというのが本筋だが、これはメンドーなことである。①のための同意書がなければ医療機関は医療費等を加害者側損保に請求できないからである。問題は②である。

問題のある医療紹介用の同意書

②の同意書とはどういうものなのか。その文言部分を示してみたい。

保険契約又は損害賠償の支払いに関する調査の為、○×損保又は同社委嘱の本書持参の者が、本書を提示し、上記患者の傷病に関して、患者が診察・検査を受けた病院・診療所に、その傷病内容(傷病名・症状・診療内容・経過・既往症など)を照会し、回答を受ける事、及び、診断書・証明書・検査データの交付を受ける事に同意いたします。

尚、本書の複写も本書と同等の効力があるものと認めます。
以上

 
これがぼくが調査員時代に使っていた同意書の文言である。どこが問題なのかというと、「本書の複写も本書と同等の効力があるものと認めます」とあって、コピーすれば同意書原本を1枚とりつければ、その後コピーした分だけ何回も使えたことである。しかも、有効期限が付されていなかったし、医療機関についても「    医療機関」となっていて、空白の部分にあとから特定の病院名を加えれば、どこの病院でも使えた。個人情報保護法が成立してからは個人情報の扱いが厳しくなり、さすがに現在はこんな同意書を使っていないと思うけれど、とにかく問題が多い包括的すぎる同意書だった。ただただ、事故被害者のための同意書でなく、調査する側にとってまことに便利な同意書だった。

このように問題が多い同意書だったため、医療機関からクレームになったことが何度かある。ひとつは有効期限の問題である。同意書の日付が1年くらい前だったためクレームがついたことがあったし、同意書のコピーではなく原本を提出しろというクレームがついたこともあった。いずれも、もっともなクレームだと思う。もっとも厳しい医療機関になると、原本提出や期限設定はもちろんだが、たとえば医療調査の場合は、別紙に質問事項を列記することを条件にしていたところもあったし、同意書だけでは信用してもらえず、事故被害者に直接確認する医師もいた。

事故被害者のための同意書

このことから、逆に本来あるべき同意書というのが見えてくる。

①医療機関を特定し、主治医も特定していること。
②同意書の有効期限を設けていること。3か月が好ましいようだ。
③コピーOKはもってのほか。
④調査内容の概要についても書くべき

 
このほかにも、医師面談の際に被害者の同席を条件にするものとか、医師面談の報告書を被害者にも提出させることを条件にするものとかがネット上に見られた。前者については、ぼくも事故被害者から要求されたことがあるが、保険会社が嫌がることもあるし、医師が嫌がることもあった。このあたりは交渉しだいだと思う。しかし、後者である医師面談報告書を被害者にも提出することは、事実として相当に困難なのではないだろうか。ネットではそれを条件にすべしとあるが、実際にそのような条件を飲む保険会社はほとんどないと思う。

リサーチに関するトラブルの虚実

そういうこともあったためなのか、「ハンドブック 交通事故診療」(P181-)という本にもリサーチなど調査機関に対する警戒心をあらわにしている記載があった。

リサーチについては全国でトラブルが増えたために、昭和59年12月日本医師会、損保協会、料率算定会の三者で協定ができました。その概要は

①社外調査機関の調査員による調査については、その業務範囲を限定し、示談交渉、医療費の値切り交渉、被害者(患者)の自由意志に基づかない社会保険への切替え交渉は、業務範囲に含めないものとする。

②損保会社は、社外調査機関に調査確認業務を委託するときは、文書により行わせることにした。

③調査員が現在入院中の患者に対する面談による調査業務を行おうとするときは、あらかじめ院内立ち入りについて医療機関に管理責任者の許可を得た上で行う。

④医療機関は、調査員の行う調査について、その内容および範囲を確認し、必要があるときは患者等の同意書の提示を求める等、了解できた場合に限り調査確認業務に応ずること。

これによれば、リサーチが損保会社からの依頼文書を見せてきた場合にのみ、調査に応じてもよいとなっています。しかし、リサーチの交渉方法は以前と全く変わりません。文書を提示することは皆無です。

 
ぼくが在任中のことで言うなら、当たっているものもあるし、当たっていないものもある。たとえば、健康保険の切替手続は患者の自由意志に基づいてやっていたし、その後、有資格者(社労士)に任せるなど、取扱いが変わった。リサーチが損保の依頼文書を見せていたかどうかについては、ほとんどまったく見せていない。医療機関側から見せろといわれたことがないからである。「ほとんど」としたのはただの一度だけ依頼文書を見せてくれと言われたことがあったからである。つまり、医療機関側は依頼文書の提示を求めないのだ。そのような事情があったため調査員が依頼文書を携行することはほとんどなかった。しかし、ぼくが会社を辞める1、2年前に、依頼文書を携行しろと上司から言われたことがあった。それまでは、ただの一度も携行したことがなかった。また、入院患者とお会いするときは、ナースーセンターに訪問目的は告げていた。ただし、告げた相手が管理責任者かどうかまでは確認していなかった。

ウソの報告をしてどんなメリットがあるのか

ネット情報の中に、調査員をウソツキ呼ばわりしている記事がみつかった。でもそれは誤解だと思う。ほとんどありえないことだからである。どういうことかというと、

損保からいきなり治療の打ち切りを言われることがよくある。そういうばあい、ときにあるのが、主治医は治療の必要なしなどと言っておらず、打ち切りを宣言していないのに、損保担当者が勝手に打ち切り宣言があったとして、事故被害者に虚偽の事実を伝え、治療を打ち切る例が多いというのだ。

損保担当者の中には、損保から打ち切り調査の依頼をうけた調査員も当然含まれるだろう。しかし、主治医が治療はまだ必要だと言っているにもかかわらず、その事実を歪曲して、治療は必要なし、打ち切りOKなどと損保に報告するだろうか。ありえないとはいわないが、調査員にとってどんなメリットがあるのかである。

仮に、主治医から治療の必要なしのことばを引き出したとしよう。そのこと自体は、もう治療費を支払わなくていいという大義名分が立つから、依頼先の損保にとってたいへん有利な証言である。その調査員もそのときは褒めてもらえるかもしれない。それは認める。しかし、主治医が言ってもいないことを「言った」と報告すると、大クレームになりかねない。その結果、その調査員は、当該医師との面談がもう2度とできないだけですまず、その医師の所属先が大病院だったら、そこからの医療調査が一切できなくなることにもなりかねない。悪くすると、個人の問題だけですまず、調査会社全体の問題にもなりかねない。つまり、その調査員は一発で免職ものなのである。

ぼくの実体験

実をいうと、ぼくも一度だけ(あくまで1度だけですよ)ある病院から出入り禁止を告げられたことがある。そこの整形外科のN先生を怒らせたようで、整形外科だけでなく、全科の医療調査ができなくなった。「なにやらかしたんだ」と、当時の上司がぼくに質問してきたが、ぼくには皆目見当がつかなかった。そもそも、面談時、怒った先生なら覚えていそうなものだが、そんな記憶もなかった。

医者は自分がエライと思っているのがふつうだから、医療調査で聞かれたくもないことを聞かれたためそれで怒ったのかもしれない。しかし、聞かれたくもないことをうまく引き出すのがぼくらの仕事である。普通の医師ならここまでは大丈夫という一線があるのだが、その先生には通じなかったようだ。医師の言ったことについての虚偽報告の話ではない。単に怒らせただけでこうなるのだ。

ぼくの出入り禁止は無期限で、しかも全科に及んだ。解除されるのにけっきょく2年ほどかかった。が、整形外科だけはその後もこちらが立ち入る気持ちになれなかった。

繰り返す。ウソの報告をしてどんなメリットがあるのか。
 
なお、医療調査自体の問題点について書いた記事がある。「調査会社の調査の正確性・信頼性について」。こちらも併せて読んでいただけたらと思う。

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当事務所の立場

突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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