自殺は、どのようにして決めるのか

保険免責としての自殺

保険調査で事故原因を調べるというのはよくあることだ。原因を調べる目的のひとつに、免責になる理由があるのかどうかである。すなわち、事故の原因がたとえば自殺なら、保険会社は保険金の支払いをしなくてすむからである。

自殺か過失死か

事件は断崖絶壁からの車両転落事故だった。現場は自殺の名所とされるところと目と鼻の先で、

 
緩やかな右カーブ路だった。

転落した車両はその右カーブ路を曲がりきれず、松が林立する間を、偶然にも松に接触することなく、その松並木をすり抜けるようにして断崖から転落し炎上した。その結果、運転者と同乗者の2人が死亡した。2人はいわゆる不倫関係だった。不倫関係を清算しようとしての逃避行中の事故だった。将来を悲観しての無理心中が疑われた。

調査の確認先は、現場、警察、レンタカー会社だった。現場を確認していたときに第一発見者にも偶然会えた。その方からも事情を聴取した。しかし、前夜宿泊したとされるモーテルがどこなのかけっきょくはわからずじまいだった。転落現場は、松と松との間がクルマ1台分かろうじて通過できるほどの間隙しかなく、松に接触しないで転落した状況などから判断すると、自殺の可能性が十分ありえる事例だった。しかし、警察は自殺については否定した。理由は単純明瞭である。遺書がないからというものであった。

日本の自殺者数の多さ

警察庁の発表によると、日本国内の自殺者数は平成10年から平成23年までいずれの年も年間3万人以上だった。ここ数年は3万人に若干満たなかったものの、それにしても途方もない数字である。あの交通事故戦争だと大騒ぎされたときでさえ交通事故死亡者数は1万人台だったから、そのすごさがわかるというものだろう。ところでこの自殺者数だが、どのようにしてカウントされているのだろうか。

自殺者数のカウントのしかた

人間の死亡は、内因死と外因死に大別される。内因死とは自然死・病死を指し、先天異常や老化・加齢現象による死亡、細菌感染、新生物(癌および肉腫など)による死亡をいう。外因死とは外力作用(毒物などを含む)に基づく死亡をいい、自殺や他殺および薬物中毒・自動車事故・労災事故などによる災害死を包括する死亡の総称である。

外因死の場合、自殺・他殺・事故死の判定は必ずしも容易ではない。大部分の国では、急死や外因死などの異状死体の場合には、法律の定める専門機関の責任において死体解剖を行い、死因および「死因の種類」などの究明がされているが、日本では主として他殺あるいは他殺と疑われる場合に限って解剖を行っており、自殺や事故死体が解剖されることは稀である。

監察医制度施行地域(東京都23区、横浜市、大阪市、神戸市など)では、犯罪に関係なくても、検案により死因が明らかでないときは「行政解剖」を行って死因を決定する。上記以外の地域では行政解剖制度がないので医師は検案のみで死因を確定しなければならない。

監察医制度のない地域では、一般の医師が異状死体を検案するが、行政解剖を行うことはできない。現実には検案のみでは死因が確定できない場合が少なくないが、これらの地域では検案をした医師が無理に死因を決めざるを得ないというのが現状である(P235)。

以上、「標準法医学・医事法」第4版(医学書院)より。

解剖に付されるのは、他殺かその疑いがあるものに限られる

上に上げた文章は「標準法医学」からの引用なのだが、読んでいてどこかおかしい点に気づかなかっただろうか。そう、この箇所である。

日本では主として他殺あるいは他殺と疑われる場合に限って解剖を行っており、自殺や事故死体が解剖されることは稀である。

 
ふつう、死因を明らかにするために解剖を行う。しかし、この文章だと、解剖前に自殺や事故死だとわかっていることになる。すなわち、日本では他殺だと疑われる場合にだけ解剖に付し、それ以外は検視といって、外表検査だけで、自殺や事故死、病死だと決めているわけである。外表検査というのは外面だけ見たり触ったりして、あとは経験による直感で死因を決めるのだ。

ぼくの経験した例でいうとこういうのがあった。死因は脳内出血で病死とあった。外表検査ではとくに異常はなかったということだったが、その事案は穿刺がされていた。穿刺検査というのは、髄液に血が混じっているかどうかを調べるための検査のことで、後頭下穿刺や腰椎穿刺のことである。血が混じっていたら脳内出血、クモ膜下出血、硬膜下血腫などが考えられる。しかし、穿刺だけではそれが内因死なのか外因死なのかはわからない。脳内出血はたしかに病死であることが多いが外傷が原因でなることだってある。クモ膜下出血はどちらもありうる。硬膜下血腫はほとんどが外傷だと言われている。

穿刺だけでは死因が外因によるものなのか内因によるものなのか決められないのである。そのため、外表検査との合わせ技で内因死か外因死かを決めているのが実情である。つまり、外表検査で頭部に出血や擦り傷があるのかどうか。あれば外因死、なければ内因死ということになる。しかし、この合わせ技による推定はぼくのような素人が考えてもかなりいい加減である。毛髪で覆われている頭皮の状態が見た目でどこまでわかるのだろう。医師の眼だけが超高性能というわけでもないし、出血があるかどうか、擦り傷があるかどうかの判断はぼくのような素人と医者でも大差がないはずだからだ。すなわち、見た目だけで判断するのは必ず見落としが生じる。そもそも、外傷を原因とする硬膜下血腫で頭皮に異状がない例などよくあることだ。

自殺はどのようにして決めるのか

自殺は外因死に分類される。その外因か内因なのかの判断が、実はこのようにいい加減なのだということを言いたいがためにここまで書いてきた。要するに自殺かどうかなんて見た目と事故状況や遺族の話などから、言い方は悪いかもしれないが、警察がかなりテキトウに決めているのが実情なのである。現に、警察の捜査で自殺と断定された事件がのちに事故または殺人事件だったという例はいくつもある。自殺なのに病死扱いされた例はもっと多いに違いない。そういういい加減な数の集計が年間自殺者数3万人とかの数字である。したがって、これは氷山の一角であって、実際の自殺者数はその何倍もあるとも言われている。

不可視の内戦状態

日本の自殺者数の多さを指して、かつて、作家の辺見庸氏が「不可視の内戦状態」だと形容していたことを思い出した。

すなわち、日本の自殺者がここ(注:辺見氏執筆当時のこと)10年連続で3万人を上回り、30数万人もの人々がみずから命を絶っている状況に対して、辺見氏は、「これがどれほどものすごい数字かは、イラク戦争とそれにつづく内戦による市民の犠牲者数とくらべてみればわかる。米英の非政府組織イラク・ボディーカウントの発表によると、イラク民間人の死者数は2003年の開戦以来、ことし6月までの5年間に最多推計で9万2千数百人である。酸鼻をきわめるイラクの戦闘にまきこまれて非情にも殺される人々よりも、平和国家とされる日本でみずから死を選ぶ者たちのほうが圧倒的に多い。これはいったいどういうことなのか」と疑問を投げかけ、続けて、「貧困の原因を個人の努力・工夫不足のせいにする昨今の傾向と同様に、自殺原因の解析でも、国家と社会の病弊を故意に捨象し、個人の心身の病を強引に“真因”としているように思えてならない。希望の見えないこの社会では、戦闘こそないかもしれないが、こころは依然、内戦的緊張にさらされている」としていた。

この自殺大国ニッポン。「内戦」という狭い定義からは外れるだろうけれども、「不可視の内戦状態」という捉え方は決して間違っているとはぼくは思えない。

内戦状態を見えなくさせているもの

近代国家は国民国家だといわれるように、地球上のあらゆる民族を国家に編入し、統治するために「国民化」する過程でもあった。国家という枠の中に編入された国民に対して、支配層は国家内外での矛盾が顕在化し出したとき、国家の内と外をうまく使い分けた。すなわち、内に問題があるときは外に問題があるかのようにフレームアップし、外と矛盾がある場合は、内に向けて国家の意思統一をはかるためにフレームアップしてきた。この事実はいわゆる独裁体制だけの専売特許ではなくて、体制とは無関係に、社会主義でも民主主義でも起こった。国民を、国家の枠という穴から外界を眺めるようにできれば、その統治は完璧である。

内に向けての国家の意思統一というのは、国民がその所属する国家に帰依することである。国家にアイデンティティをおくといってもいい。現在の日本は帰属感を持ちうる集団と自然を失いつつある。ふるさとはブルドーザーでぶっ壊され、家族とのつながりも過疎や長時間の労働で壊れている。そのようなふるさとや家族への帰属感を持つことは、それよりも大きな存在である観念的な集団である国家にやすやすとからめとられない。しっかりしたふるさとという実像が目の前にあれば、投影された虚像に惑わされにくい。

そして、国民の意思を国家に収斂・統一するために、あるいは内部の内戦状態から眼をそらすためにいつも利用されてきたのが領土問題だった。尖閣列島も竹島問題もそういう文脈で考える余裕があるなら、すぐにけしからんなどと怒りだし思考停止に陥って大騒ぎに巻き込まれなくてもすむはずだ。戦後日中間で保留にしてきた尖閣列島問題についてあえて国有化しわざわざ挑発ともとれる行動をとるのは、改めて内の矛盾から国民の眼を逸らす材料を増やそうとしているのではないのか。


 
領土問題は国民に国家の内と外を再確認させるには最適だからである。

【「検視官の臨場率78%」17・02・25追記】

ぼくが参照した資料が古かったため、追記したい。今朝の北陸中日新聞に「検視官の臨場率78%」という記事があったので、ご紹介しておきたい。

昨年に全国の警察が取り扱った遺体は前年より1474体少ない16万1407体で事件性の有無を判断する検視官が現場に立ち会った割合の臨場率は78.2%だったことが警察庁のまとめで分かった。臨場率は前年より2.2ポイント高くなり、過去最高だった。

2007年の力士暴行死事件など、犯罪による死亡事案の見逃しが相次いだことをきっかけに、政府は死因の究明体制を強化。07年4月に147人だった検視官は、昨年4月時点で341人と2倍以上となり、臨場率も11.9%から大幅に向上している。

これに対し、全国の医療機関などの解剖医は昨年4月時点で約145人。解剖率も12.7%にとどまっている。

警察が取り扱った遺体の内訳は、犯罪による死亡が明らかな遺体が598体、犯罪の疑いがある遺体が2万144体、病死の疑いなども含むそれ以外の遺体が14万665体だった。東日本大震災関連や交通事故関連は含んでいない。

事件性が強く、捜査や死因特定のため裁判所の令状に基づいて実施する司法解剖は8326体で、前年より98体の減少。事件性が不明でも遺族の承諾なく解剖できると規定した死因・身元調査法による解剖は2605体で、13年4月の施行から増加傾向にある。

事件性は薄いが死因不明な場合に、自治体の監察医が行う行政解剖や医師が遺族の承諾を得て行う解剖は9487体だった。

 

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突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にする。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。よろしくです。

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