THE CLASHのサンディニスタ!

 

Oh! Mama, Mama look there!

Your children are playing in that street again

Don’t you know what happened down there?

A youth of fourteen got shot down there

The Kokane guns of Jamdown Town

The killing clowns, the blood money men

Are shooting those Washington bullets again

ねえママ、見て!

子どもたちがまたあの通りで遊んでるよ

あそこでなにがあったのか知らないの?

14歳の子が撃ち殺されたんだ

ごった返した町のコカイン銃

殺し屋の道化師たち、血で金儲けするやつら

彼らがまたワシントンの銃弾を撃ち込んでいるんだ

As every cell in Chile will tell

The cries of the tortured men

Remember Allende, and the days before,

Before the army came

Please remember Victor Jara,

In the Santiago Stadium,

Es verdad – those Washington Bullets again

チリのどの監獄でも

拷問された囚人たちの叫び声

軍隊がやってくる前の

アジェンデ(注1)とその時代を忘れないでくれ

どうかサンチアゴ・スタジアム(注2)の

ヴィクトル・ハラ(注3)を覚えていてくれ

And in the Bay of Pigs in 1961,

Havana fought the playboy in the Cuban sun,

For Castro is a colour,

Is a redder than red,

Those Washington bullets want Castro dead

For Castro is the colour…

…That will earn you a spray of lead

Sandinista!

1961年のピッグス湾(注4)

キューバの陽光を浴び、ハバナ(注5)はプレイボーイ(注6)と闘った

カストロの色は赤より赤いから

あのワシントンの銃弾はカストロを殺そうとした

カストロの色……

……それは鉛の雨を降らすだろう

For the very first time ever,

When they had a revolution in Nicaragua,

There was no interference from America

Human rights in America

かつて例のなかったこと

ニカラグアの革命に

アメリカからの干渉がなかった!

アメリカの人権

Well the people fought the leader,

And up he flew…

With no Washington bullets what else could he do?

Sandinista!

人民はリーダーと闘った

やつは逃げ去った

ワシントンの銃弾なくしてやつは何もできないのさ

サンディニスタ!

‘N’ if you can find a Afghan rebel

That the Moscow bullets missed

Ask him what he thinks of voting Communist…

…Ask the Dalai Lama in the hills of Tibet,

How many monks did the Chinese get?

In a war-torn swamp stop any mercenary,

‘N’ check the British bullets in his armoury

Que?

Sandinista!

モスクワの銃弾から逃れたアフガン義勇兵に会うことがあったら

彼に訊いてみてくれ

共産主義者に投票することについてどう考えているのかと……

……チベットの丘にいるダライ・ラマに訊いてみてくれ

どれだけの僧侶を中国人が殺したのかと

戦争でむちゃくちゃにされた沼地で傭兵を呼び止めたら

武器庫に英国の銃弾がないか調べてみてくれ

どうだ?

サンディニスタ!(注7)

 

日本語訳は下記のサイトより頂戴しました。もし問題があるようでしたら、ご連絡ください。
http://d.hatena.ne.jp/lever_building/mobile?date=20071222

ザ・クラッシュの「SANDINISTA!」というアルバムに収録されているぼくのお気に入りの1曲である。音楽はオトが基本で、意味はあくまで付け足しだとぼくは思っている。だから、ぼくがこの曲がお気に入りなのはオトとしてすばらしいからであって、どういう歌詞なのか、今回、記事にするまでまったく知らなかった。サンディニスタって何なんだという人もいるだろうから、この記事を書くために調べてみた。ぼくがこれまでに知っていることといえば、他の本もなにか読んだことがあるかもしれないが、歌詞の中に出てくるチリについての下記の本だけである。

独裁者ピノチェト政権で戒厳令下にあったチリに変装して潜入し、軍事政権を告発する映画を作った映画監督ミゲル・リティンの記録である。手元にあるかと思い探してみたが見つからなかった。詳しくはAMAZONのカスタマーレビューを参考にしていただきたい。つい最近読んだ本だと、「ショック・ドクトリン」が詳しかったので、そこから主に引用し、この歌詞の意味を理解するための一助にしたい。

 

この曲はアジェンデ革命への賛歌である。アジェンデとは

(注1)アジェンデ
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1970年、チリでは大統領選挙で人民連合のサルバドール・アジェンデが勝利し、同政権はそれまで国内外の企業が支配していた経済の主要な部分を国有化する政策を打ち出した。アジェンデはラテンアメリカの新しいタイプの革命家の1人だった。チェ・ゲバラと同じく医者だったが、アジェンデはロマンティックなゲリラと言うより、気さくな学者といった雰囲気を漂わせていた。フィデル・カストロに勝るとも劣らない激しい調子で街頭演説を行なったが、チリにおける社会変革は武装闘争ではなく選挙によってもたらされるべきだという信念をもつ、徹底した民主主義者でもあった。(P88)

「共産主義国は暴力革命によってしか生まれない」と認識し、また共産主義の不当性の宣伝材料としてきたホワイトハウスにとって、選挙によって選ばれたアジェンデ政権は自説の正当性を揺るがしかねない存在であった。そのため、アジェンデが大統領に当選したことを知ったニクソンが、リチャード・ヘルムスCIA長官に「経済に悲鳴を上げさせろ」と命じたというのは有名な話だ。

しかし、何年にもわたるアメリカによる執拗なまでの不正工作にもかかわらず、1973年、アジェンデは依然として政権の座にあった。800万ドルの秘密資金をもってしても、彼の権力基盤を揺るがすことはできなかった。それどころかこの年に行なわれた中間選挙では、アジェンデの党は1970年の大統領就任時よりも得票数を増やした。資本主義とは異なる経済モデルへの願望がチリに深く根を下ろし、社会主義に対する支持が増大しているのは明らかだった。これは1970年の大統領選以来、アジェンデ政権の転覆を策謀してきた反対派にとって、ただ単にアジェンデを追放しただけでは問題は解決しないことを意味していた。誰か別の人物が彼に取って代わることが必要あった。より過激な計画が必要とされていたのだ。(P91~92)

アウグスト・ピノチェト将軍とその支持者は、1973年9月11日の事件を一貫してクーデターではなく、”戦争”と呼んでいる。サンティアゴ市内はまさに交戦地帯の様相を呈していた。戦車は大通りを走りながら発砲し、戦闘機が政府機関の建物に空爆を加える。だがこの戦争には奇異な点があった。戦う側が一方しかいないのだ。

最初からピノチェトは陸海軍と海兵隊、そして警察軍を完全に掌握していた。一方のサルバドール・アジェンデ大統領は支持者を武装防衛隊へと組織することを拒んだため、彼の側には軍隊はいっさい存在しなかった。唯一の反対勢力は、大統領政庁「ラ・モネーダ」とその周りの建物の屋上で民主主義の府を守るために勇猛果敢に抵抗した大統領と政権中枢の人々だけだった。フェアとはほど遠い戦いだった。官邸内にはアジェンデの支持者がわずか36人しかいなかったにもかかわらず、24発ものロケット弾が撃ち込まれた。(P104)

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クーデターの前、陸軍大臣だったアウグスト・ピノチェトは文官の上司にお世辞を言い、けっして逆らわないなど、へつらいとも思えるほどの従順さで知られる人間だった。だがいったん独裁者となると、ピノチェトは今まで見せていなかった性格をあらわにする。権力の座に就いたことを手放しで喜んでまるで絶対君主のように振る舞い、こうなったのは「運命」のなせるわざだと言ってははばからなかった。ほどなくクーデター内クーデターを起こして、権力を分け合うことに同意していた3人の軍指導者を解任、自らを大統領であるとともに国家最高元首と称した。支配者であることの証としての壮麗なセレモニーを好み、儀式に出るときは必ずブルシアンブルーの軍服の上にマントといういでたちだった。サンティアゴ市内の移動には、特注の黄金色の防弾ベンツを何台も連ねるのが常だった。(P108)

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(注2)サンチアゴ・スタジアム

機密解除されたCIAの報告書によれば、クーデターの直後、およそ1万3500人の市民が逮捕され、トラックで連行され拘束された。うち数千人はサンティアゴの2つのサッカースタジアム、チリ・スタジアムと巨大なナショナル・スタジアムに連れて行かれ、ナショナル・スタジアムではサッカーの代わりに見せしめの虐殺が行なわれた。兵士たちは頭巾をかぶった協力者を伴って観客席を回り、協力者が「破壊分子!」だと指差した者をロッカールームやガラス張りの特別観覧席に連行し、拷問した。何百人もが処刑され、やがて多くの遺体が幹線道路脇に放り出され、市内の水路の濁った水に浮かんだ。(P105)

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(注4)1961年のピッグス湾
ビックス湾侵攻作戦のこと。キューバの革命政権の転覆を目的に、亡命キューバ人で構成される部隊がアメリカの支援を受けてキューバに侵攻した事件をいう。この事件はアメリカ側の失敗に終わっている。アルゼンチンのジャーナリスト・ロドルフォ・ウォルシュがキューバ滞在中に、事前にアメリカ軍の暗号を解読し、キューバ側が侵攻を迎え撃つ準備をすることができた。

(注5)、ハバナ(注5)はプレイボーイ(注6)と闘った
「ハバナ」とはキューバの首都のこと。「プレイボーイ」とはマリリン・モンロー等多くの女性と浮名を流した当時のアメリカ合州国大統領・ケネディのことだと思われる。

(注3)ヴィクトル・ハラ
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サンティアゴでチリ・スタジアムに連行された人々のなかには、伝説的な左翼フォーク歌手ビクトル・ハラがいた。彼が受けた扱いには、一つの文化を圧殺しようとした猛烈なまでの決意が如実に表れている。チリの真実和解委員会の報告書によれば、兵士たちはまずハラが2度とギターを弾けないように彼の両手を打ち砕き、それから銃で44回も撃ったという。死後も彼が人々に影響を与えるのを恐れた軍事政権は、彼の演奏のオリジナル録音をすべて破壊するよう命じた。(P147)

(続報)

南米チリの首都サンティアゴの控訴裁判所はこのほど、1973年のピノチェト陸軍司令官によるクーデターとたたかった国民的人気歌手ビクトル・ハラの虐殺に関与したとして、元軍人8人に対する逮捕状を発行しました。警察は2日までに4人を逮捕。遺族らは同日会見し、裁判で虐殺の真相が40年ぶりに解明される可能性があるとして期待を表明しました。

報道によると、まだ逮捕されていない4人のうち、虐殺の主犯とされるペドロ・バリエントス氏は現在、米フロリダ州に住んでいます。チリのテレビ局は昨年5月放映の番組で「バリエントスは、ハラが質問に答えなかったことに激怒し、至近距離で彼を撃った」とする元軍人の証言を紹介していました。

遺族らは会見で、バリエントス氏の逮捕は真相解明に不可欠だと強調し、米国政府に対し同氏をチリ側に引き渡すよう求めました。チリ司法当局は2日、米国にバリエントス氏の身柄引き渡しを求める方針を明らかにしました。

ハラの妻、ジョアン・ターナー氏は同日、「元軍人らの裁判は真相解明の道を開き、犠牲者の遺族にとって希望になる」と強調。遺族の弁護士であるネルソン・カウコト氏は、事件から40年経過しても犯人を追及することについて「独裁の犯罪者は場所と時間をこえて訴追されなければならない。犯罪者が裁かれないと犠牲者は安心して眠れない」と語りました。(赤旗2013年1月5日記事)

(注7)サンディニスタ

アルバムのタイトル名「サンディニスタ」は、発売年である1980年の前年に独裁者アナスタシオ・ソモサ・デバイレを政権から引きずり下ろしたニカラグアの左翼ゲリラ組織サンディニスタ民族解放戦線に由来している。

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突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にする。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。よろしくです。

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