「中傷」は断じてダメだけれど、「批判」は大いにやるべきではないだろうか

批判をしないことが立派なことなのか

ある行政書士さんのブログを拝見していたら、自分の失敗談は積極的に公開するという主張をされていた。自分の失敗は頬被りする人が多い中で、その主張にはいたく共鳴した。だけれども、次の段では、もうひとつこんなことを主張されていたのでズッコけてしまった。

>極力、他者を批判する記事を書かないように心がけること

というのはまったくいただけない。

「批判」は「中傷」とは違う

この人物にとって「批判」することは、罪深いことなのだろう。そこで「批判」ということばを字引でくってみる。

[名](スル)
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。

 

ネットで検索すると、「批判」には「よい批判」と「悪い批判」があるとか書いている人もいるけれども、「批判」の定義に別に悪い意味はない。間違いを根拠をあげて正すことである。間違いをそのままほったらかしにしておかないということである。ぼくなんかは、自分に間違いがあれば早く指摘してほしいと思う。間違ったことを書き連ねてそのまま放置することは、恥をさらしつづけることだからである。「批判」と「中傷」が、明確に区別されていないで使われていないだろうか。

ちなみに、「中傷」とは、

[名](スル)根拠のないことを言いふらして、他人の名誉を傷つけること。

 
ぼく自身はこの定義に満足していない。仮に根拠があったとしても、相手の人格を否定するような表現は、やはり「中傷」に含めていいと思うからである。

たんなる予防線にしか感じられない

ところで、他者批判をしないというと、なんだか立派そうで常識のあるすぐれた人格の持ち主のように受けとられがちだが、ぼくに言わせれば、おれに間違いなどあるはずがないという自信過剰家か、そうでなければ、逆に自信がなくて、恥をかきたくないために、自分は批判しない代わりに、自分の書いた記事への批判は一切受け付けない。そのための予防線のようにも思える。だいたいが、自分の失敗にどうやって気づくのか。他者からの批判があって気づくのがふつうだろう。間違っている情報を鵜呑みにして被害にあう事故被害者がいるかもしれないことを考えるならば、他者批判をしないとか受け付けないとかいうのはぼくにはさっぱり理解できない。つまり、この筆者は、前段でタテマエを述べているだけで、本音は批判を許さないという考えの持主なのだろう。

中傷は断じてしてはいけない。しかし、自分の書いた記事に間違いがあればそのための批判は受け入れるべきだ。こう書くとだれも反論しない。だったら、批判を事前に封殺するような、自分は批判をしないから、あんたも批判しないでよねと受け取られかねないメッセージは決して発しないことである。だから、ぼくは批判は大歓迎とわざわざ断っているし、他者批判も続けたい。

自分のことを知るのがいちばん難しい

他者批判を受け入れることのいちばん重要なことは、孫子の兵法書の有名な一節「己を知り、相手を知れば百戦危うからず」にある。


 
正式には、

「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。敵を知らずして、己を知れば、一勝、一敗する。敵を知らず、己を知らざれば、戦うごとに必ず危うし」

もっとわかりやすくすれば、

「相手のことを知り、自分のことを知れば決して負けることがない。相手のことを知らなくても自分のことを知れば勝ったり負けたり。しかし、相手のことも自分のことも知らなければ必ず敗れる」。

ぼくら保険調査員の強みは、かつて損保側にいた人間だから、事故被害者にとって利害関係が対立する相手側である損保のことをそれなりに知っていることだ。そこが他の交通事故専門家にない強みだとぼくは思っている。

問題は、自分のことをどれくらい知っているかである。自分のことはいちばん自分が知っていると言われているけれど、たいていは客観的評価よりも自分を高く評価しがちである。自身を知るというのはかんたんそうにみえて、実は大変むずかしいことだ。自分としては正しいと思っていても間違うことはありえる。自分でこれこそが正しいと思い込んでいるのだから、自分でその間違いに気づくことはおよそありえないだろう。そういうことは第三者から指摘をうけて初めてわかることである。ところが、第三者からお前の書いていることはおかしくないかと指摘されると、自分の蒙を啓いてくれるありがたい指摘なのかもしれず感謝すべきなのに、逆に、逆上して、断固拒絶反応を示す交通事故専門家が決して少なくない。

ある例

1例を挙げよう。後遺障害専門家だと称するある行政書士は、歯牙障害について明らかに間違っていることを記事にしてホームページで公開していた。それで、ぼくはおせっかいかとは思ったけれども(なお、おせっかい電話は後にも先にもこれ1回だけである。これでこりごりしたからである)、なるべく失礼にあたらないようにことばを選んで電話でその間違いをその行政書士に指摘した。すると、「ああ、それはわかっています・・・」とあせりながら慌てたような言い訳をした。それで、すぐにも訂正するのかと思ったら、そのまま放置である。訂正したのは1年以上も経ってからだった。すぐに訂正しなかったのは、そのとき、ぼくの指摘の意味が理解できなかったからだろう。批判されると自分の間違いを認めず知ったかぶりで返す。その結果、自分を知るためのきっかけまで失ってしまう。この手の「専門家」は2次被害の加害者になる可能性が非常に高いとぼくは思う。

当サイトへの批判は大歓迎である

そういう思いがたいへん強いので、ぼくは自分の書いた記事に対する批判・感想は大歓迎である。200以上の記事をこれまで書いてきたから、記事の中にはいくつも間違いがあるのかもしれない。枝葉末節な間違いは大目に見ていただくとして、基本的な間違いだけはしないよう心掛けているつもりだが、それでもやらかしているかもしれない。もし、そのような間違いがあるようでしたら、どうぞご指摘ください。自分自身を知り、自分の蒙を啓いてくれるきっかけをぜひ与えてください。そうすることでしか、自分自身を知るのはなかなか難しいのではないかと思う。批判されることを恐れるあまりに、失敗することがないよう、石橋を叩いて渡るような、教科書に書いてあるような記事は、なるべく書かないようにしたい。

そういうしだいなので、よろしくお願いいたします。

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突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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