「同文同種」だからという理由で、中国人に通訳をつけないのはおかしくないか

【梅棹忠夫考案ひらがなタイプライター】

中国語を使うことが格段に多くなった

春先からある会社で中国語にかかわる仕事をしだした。中国語での電話の応対とファックス文の翻訳である。週に昼間の2回だが、夜のバイトもあるし、サイト記事の更新もあるから、けっこう忙しく、だから慢性的に寝不足気味である。20年来あまり使う機会がなかった中国語だったが、最近は、昼のバイトはもちろん夜のバイトでもめっきり使う機会が増えだしたため、日常会話だけでなく、それよりもちょっと複雑な会話でもかなりいけるようになってきたと思う。このまえ、その昼間の会社から勤務日を今の倍にできないかと打診されたのだが、それは断った。家庭の事情があったからである。それと、永久に来ないと思ってほとんど諦めかけていたネットの相談が、たまたまの偶然なのか、それとも「後遺障害2000件、交通事故5000件」の殺し文句が利いたのか、ここたてつづけに5件も相談をいただけたという事情もあった。弁護士からの相談が2件。交通事故被害者からの後遺障害に関する相談が3件である。ひとつがCRPS1型(こんなのあったっけ。久しぶりに聞く傷病名だ)。ひとつが耳鳴りと頭痛。ひとつが頚椎椎間板ヘルニア。ボランティアだからというわけでもないけれど、リアルの世界は待ったを許してくれないので、どうしても重要度がさがってしまって、お返事がまったくできない状態が続いている(なんとか今日・明日までにお返事します)。それ以外にも、メッセージの返信が1か月以上滞ったままのもある。医学論文を送るといってそのままになっているのもあった。そんなしだいで、当サイトでの記事の更新も週2回が限度かもしれない。

こんなに忙しくなるとは思ってもみなかったので戸惑っているし、そろそろ夜のバイトは見切りをつけるか勤務日を減らしたほうがいいかもしれない・・・と思っていたところ、こっちのほうも、上司から9月からでいいから、もっと働けないかと打診されてしまった。人間関係も良好なので辞めるの一言が言い出しにくいなあと思っていたのに、さらに言い出しにくくなった。

そんなこんなで、ぼくの生活の中で、中国語の占めるウェートが非常に大きくなった。ところで、その中国語について、別ブログで中国語に対応できるサイト作りにチャレンジしてみたいと書いたことがある。1年以上も前になる。

日本には、中国語による交通事故対応サイトが存在しない

他の方のホームページを参考までに見ることが最近多いのだが、中に英語対応しているところがあって、いいアイデアだと思ったし、やっぱり都会だなあとも思った。ぼくのばあい、四苦八苦して自分なりの英文を作ったとしても、その文章がはたしてどこまで正しいのかチェックしてくれる人が周辺にいないからできないが、中国語ならできると思った。

ぼくの中国語はほぼ完璧に耳からはいってきた音声言語だけだ。中国に初めて旅行したとき、知っている単語はこの3つだけ。シェシェ(ありがとう)、ニイハオ(こんにちは)、ツァイチェン(さようなら)。

中国語の文章は漢字が同じだから、意味も同じだと思っている人が多くいるが、意味がまったく違うばあいだってかなりある。ただ、そうはいっても、漢字をみて大意がわかる場合が多いのも事実。ところが、ぼくのばあいは、中国語の文法も知らないし、文章にもあまりなじみがない。聞いたら、それなりに意味がわかる・・・という程度である。

近くに中国語の達人がいるので、ぼくもヒマができたら中国語に対応できるホームページにチャレンジしてみたいと思った。

 

どうして、中国語に対応できるサイトを作りたいと思ったのか

交通事故被害者は日本人に限らない。これまでぼくが経験した外国人は中国人や韓国・朝鮮人、日系ブラジル人、フィリピン人、パキスタン人、アメリカ人などだが、日本語を母語としている在日韓国・朝鮮人以外はその話す日本語はかなりあやしかった。要するに片言なのだ。本来であれば通訳をつけるべきだと思うのだが、通訳がつけられることはほとんどなかった。片言しかわからない外国人に対して、通訳もつけないで、事故状況や自分の権利主張をせよと言ったって土台無理な話である。

どうして通訳をつけないのかと、当時の上司に聞いてみたところ、中国人については、漢字を介しての同文同種の文化だからと言い放った。お互い同じ漢字を使っているのだから、筆談でだいたい言わんとするところはわかるだろうと言うのである。

あいた口が塞がらないとはこのことだ。もし、中国で交通事故にあったとしよう。日本語と中国語は同じ漢字を使っているから、意味もおのずとわかるはずなので、筆談で十分といわれ、通訳もつけられなかったらどんな気分だろうか。

「同文同種」というが、日本と中国はこんなにも違う

中国も日本もたしかに同じ漢字を使っている。しかし、中国語と日本語とは系統を別にするまったく違う言語である。同じ言語学的家族ではないのだ。系統的には、中国語は日本語よりもフランス語やドイツ語に近いとさえ言われている。言葉が違うだけでなく、文化も違うし、地理的条件も大きく違う。歴史も違うし、歴史的条件も違う。人口だってぜんぜん違う。違いは非常に大きいのだ。にもかかわらず、「同文同種」などという傲慢でかつ無知のかたまりのような和製漢語を使って、同じだと日本人は勘違いしている。

中国語で有名な言葉を3つあげよう。「再見」(さようなら)、「謝謝」(ありがとう)、「你好」(こんにちわ)。ぼくが中国に初めて旅をしたとき知っていたのはこの3つだけだった。それもオトとして知っていただけである。中国語についてまったく知らない日本人がこれらの漢字を見て、中国語の意味がわかったら、それは相当に想像力の豊かな人なんだと思う。ぼくなんかは「你好」と書かれたら、なんだかラブレターをもらったような変な気分になってしまうし、「謝謝」と書かれたら、どうしてこんなに謝られなければいけないのだろうと思ってしまうだろう。表意文字としての漢字は意味つきなだけに、こういう極端な誤解も生まれるのだ。

だから、通訳をつけないで事故状況を確認するなんて、どう考えてもおかしい。ローマ字を使っている欧米人に対して通訳をつけないで事故状況を確認することはしていないだろうが、もししていれば人権侵害だと抗議されるだろう。使っている漢字が同じだから通訳をつけないのもまた同じく明白な人権侵害なのである。

漢字について思ったこと

日本語は漢字を構成要素としている。この漢字を使用している国というのはけっこうあって、中国・台湾・シンガポールは現在も使っているし、かつての韓国・朝鮮やベトナムもそうだった。いわゆる漢字文化圏というやつである。その後、韓国・朝鮮はハングルに変え、ベトナムはローマ字化し、漢字を追放してしまった。表意文字としての漢字は使い勝手が悪く、文字数も多いため、その習得に多大な時間を要するからである。

漢字の生まれた地である中国も、たしか毛沢東だったか周恩来だったか忘れたけれども、漢字を追放し、表音文字としてのローマ字に変えようと呼びかけた時代があった。日本でもたとえば梅棹忠夫などが運動の中心になって、漢字追放を訴えた。ぼくも一時期梅棹氏の考えに共鳴し、ひらかなタイプライターを購入して、ひらかなだけで日記をつけていたことがある。

知的生産の技術 (岩波新書)/岩波書店

漢字の問題点

先にぼくは「漢字は使い勝手が悪く、文字数も多いため、習得に多大な時間を要する」と書いた。言語学の小難しい話はぼくにはさっぱりわからないけれども、たとえばローマ字は26文字しかないが、漢字は何万文字もある。極端な言い方になるが、ローマ字は26文字覚えれば文章が書けるが、漢字だと少なくとも数千は覚えなければいけないから、それを習得するために膨大な時間が必要になる(もちろん、ローマ字も個々のローマ字を組み合わせて意味のある語を作るわけだから、その組み合わせ方の知識を要するが、正書法が確立していれば、ふだん話している口語にあわせて文字を選択すればいいのだから、その負担は比較にならんほど小さいはずである)。

また、漢字は音を表すだけでなく、意味まで付着しているため、他の語との親和性に気をつけなければいけない。たとえば「字を書く」とはいえても「字を掻く」とはいえない。「字」という漢字は「書」という漢字と親和度が高いが、「掻」とは親和度が低いからである。

さらに、漢字特有の問題としての筆順というのがある。ぼくが中国を旅していたとき、ぼくの家庭教師をしてくれた中国の大学の教師から「お前の筆順は間違っている」と指摘されたことがある。ぼくはそのとき猛反発した。「貴方の指摘自体は正しい(ただし、日本と中国とでは筆順の基準は必ずしも一致しないようだ)。ぼくがまだ子供だったら喜んで筆順を直すと思う。しかし、ぼくはもう大人だ。すでになじんでしまったぼくの筆順を今から全部改めるには膨大なエネルギーを要する。だから、そのようなご指摘はありがたいが、従うつもりはまったくない」と答えた。表音文字、たとえばローマ字なら、このような親和度とか筆順とかというわずらわしさからも解放されるのである。

正書法

語の正しい書き方、またはある言語を書き表す正しい書き方の体系。正字法ともいう。ここで〈正しい〉とは、〈社会的に規範として認められている〉の意味である。オーソグラフィーorthographyの訳語で、orthographyはギリシア語のortho(正しい)+graphia(書き方)に由来する。欧米では主として正しいつづり字法・綴字(てつじ∥ていじ)法(スペリング)のことをいう。簡単に言ってしまえば、「書き言葉」をいかにして「話言葉」に近づけるか、そのためのルールのことだ。

たとえば明治時代に行われた言文一致の運動はこのような「書き言葉」と「話言葉」との間の差をちぢめようとした。また,言語音とその表記法との間にずれが生ずると(正書法orthography〉あるいは〈かなづかい〉の問題が生じ,さらに綴り字・かなづかいの改訂が要求されるようになる。
参考図書

当サイトは、いちおう中国語での電話やメッセージもOK

ところで、当サイトは中国語にも対応可能なので、日本国内で交通事故にあい、困っている中国・台湾の方がおられたら、いつでもご相談にのります。相談されるときは「メッセージ」にて。中国語のサイト作成はまだまだ先の話になりそうだ。

(本现场可以用汉语对应、如过在日本有遇到交通事故的无论是中国人还是台湾人、请随时商量、商量的时候、请在网上「留言」。)

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石川県加賀市大聖寺弓町18 グランコート2F
電話番号:090-1314-0234

当事務所の立場

突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にする。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。よろしくです。

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