自営業の休業損害

【だれだ、スイカにすり替えたのは】

相談

事故から1年経過して打ち切りの連絡があり、損保から示談書と計算書が送られてきました。休業損害の計算が正しいかどうか教えてください。

自営業(飲食店)者。妻と2人で経営。
白色確定申告書を提出。
治療期間409日
実通院日数206日
入院なし。

通院した日を休業したものとして計算。

事業所得金額391119円÷240日=1630円
休業損害額は1630×206=335780円

240日は本来なら365日とすべきところを240日で計算してあげたとのことです。不満なら、弁護士を立てると言われています。なお、事故翌日から治療期間中はランチ営業は通院のため休業して夕方から営業する形をとっていました。

損保のいいかげんな計算書

個人事業主の一般的な休損計算式

損保の計算書の積算方法がまった意味不明です。はっきり言っていい加減というか、わけのわからん計算書です(笑)。どこがどうわけがわからんのかというと、

個人事業主の一般的な休損計算式は、

(事故前年の確定申告額を基本とした収入額-変動経費)/365×休業日数

あるいは(事業所得+固定経費)/365×休業日数

 
だからです。

固定費は補償の対象になる

「わけがわからん」ということの理由のひとつは、すなわち、事業所得に固定経費が加算されていないことです。

個人事業主で、確定申告で事業所得ゼロという方がこれまで何人もいましたが、固定経費をプラスすると、自賠責の最低補償である日額5700円を超えることが決して珍しいことではありませんでした(でないと、生活できませんから当たり前の話です)。損保の顧問税理士が書き損保のバイブル的存在の本である「休業損害と逸失利益算定の手引き」(2010年度版・斉藤博明他著)でも、事業所得がゼロとなっている確定申告の扱いについて、「固定経費の補償は当然必要」(P199)となっています。その固定費が計算式から除かれている。いいかげんだとぼくが言ったゆえんです。


 

「240」はどこから出てきた数字なのか

また、365とすべきところを240としていることも、わけをわからなくしている理由のひとつです。固定経費を補償の対象に加えなかったために基礎収入があまりに少額になってしまったための単なる帳尻合わせの数字ではないかと思います。240という数字がどこから出てきたのか説明していただいたらどうでしょうか。

自営業で白色確定申告の場合の積算式

先にあげた式はいわゆるモデルケースの場合で、完全休業でかつ従業員や専従者がいない場合です。しかし、今回の特徴は、
 

(1)妻である専従者がいて
(2)完全休業でなく、事業規模を縮小して営業を継続しており
(3)白色確定申告だった

 
という点です。

そのことを式に反映させると、

事業所得+専従者控除額=A(年間手取額)
A×本人寄与率=B(本人寄与分)
B+固定費×本人寄与率=C(年間基準額)
C÷365日=D(1日基準額)
D×休業日数×(一日の営業時間に占める休業時間の割合)=休業損害額

となります。

この式は、先に引用した「休業損害と逸失利益算定の手引き」という本から引っ張り出しました。今回は白色申告の場合なので、所得に専従者控除の86万円(注:国税局HP)を加えた額を基礎とした判例があるため、その点も考慮しています。

税金を控除の対象にしているのは疑問である

ただし、この本では、年間手取額について、(過去1年間の事業所得金額+事業専従者控除額)-(所得税+住民税+事業税)となっていて、税金を控除の対象にしています。別の箇所で税金を控除するべきかどうかについて取り上げているのですが、その内容があまりに噴飯物なので、ここで参考のためご紹介しておきましょう。

逸失利益の補償として支払いを受ける損害賠償金は、非課税所得とされています(所得税法第9条第1項第16号)。

そこで逸失利益算定の際、本人寄与分の利益から、所得税・住民税・事業税等を控除したものを基準額とするという考え方があります。しかし、所得税・住民税・事業税等を控除すべきか否かについては、控除すべきでないとする考え方があります。

控除すべきでないとする考え方は、「所得税等を控除すると、非課税という規定の趣旨を没却し、加害者を不当に利得させることになり、相当でない」とする考え方によっています。これに対し、控除すべきであるとする考え方は、「被害者の現状回復、すなわち手取金額の減少部分を賠償すれば、加害者の賠償義務は、その限度において減縮される」という考え方によっています。

最高裁は昭和45年7月24日および昭和51年10月8日の判決で非控除説の立場を明らかにしましたが、その後の地方裁判所の判例では「平均給与額を大幅に超えて高額の所得を得ているものについては、公平の立場から所得税相当分を控除して算定の基礎とするのが相当である」として控除説をとるものもあります(京都地判昭和55年11月13日)。

なお、自賠責保険が非控除の取扱いをしていることから、低所得者については控除しないという配慮が必要でしょう。

したがって、ここでは個人企業利益(事業所得)そのものが少額の場合を除いて、本人寄与分の利益から、所得税・住民税・事業税等を差し引いたものを、基準額として取り扱うことにします(P11)。

 
これもよくわからない解釈です。最高裁が非控除説をとり、地裁は高額所得者に限って控除してもいいとしたのが、このことからここでは低所得者以外は控除していいっておかしな結論になっている。自説に都合のいいすり替えにしかみえないのだけれど。だから、ぼくが先にあげた式では税金分は控除しなかった。当たり前の話です。

自営業の休業損害で問題になる点

さて、この式で積算上問題になるのが以下の3点です。

第1

妻との共同事業であるため相談者の寄与分を考慮しないといけないことです。寄与分というのはその事業に対する貢献度のことです。妻がどれだけ貢献し、相談者がどれだけ貢献したのか、妻の分と相談者の分とを分けて計算する必要があります。ここでは、本人の寄与率で乗じる必要があります。

しかし、被害者の妻だと家庭の財布がいっしょなため、給与の支払い関係が曖昧なのが実情であり、その場合は、便宜的に妻の適正給与額なるものを想定して、事業主の寄与分を仮定するようです(ただし、実際上この寄与分の算出は困難な場合もあり、その場合は賃金センサスの平均賃金で収入額を推定している)。

 

第2

今回の事例に特有なことになりますが、昼間の時間帯だけ相談者が働けなかったことによる損失をどのようにして算出するかです。本来ならここは実際にどれくらいの損失があったのかを書面で立証すべきです。ここでは便宜的に(一日の営業時間に占める休憩時間の割合)とするしかありません。

 

第3

どれが固定費でどれが変動費なのか、利害関係が対立する相手損保と事故被害者では判断が必ずしも一致しないことです。固定費としては、損保が認めているのは減価償却費、地代家賃、損害保険料です。これは「休業損害と逸失利益算定の手引き」という本が挙げている科目です。

では、それ以外は全部変動費かというと、法定厚生費や公租公課が変動費であるとは思えません(政府の発表する「中小企業の減価指標」でもこれらは固定費扱いになっている)。通信費についても電話の超過料金は変動費だが、基本料金は固定費ということになります。このように固定費を制限的に解釈している本なので注意が必要ですが、もし承服できないのだったら、いやいやそれはそうじゃないと、そのことを証明する必要が被害者側にあります。

固定費と変動費の相違点

なお、固定経費というのは、たとえば税金とか家賃とか保険料とかのことで、休業期間中も出費を余儀なくされる性質のものを言います。たとえば家賃についてですが、休業期間中だけ店をたたむわけにいかず、その間も家賃は支払わないといけない。廃業しない限り家賃の出費は避けられないため補償の対象になるわけです。従業員の給与も場合によっては固定経費になります。

他方、変動経費というのは、休業期間中、出費を免れることができる経費のことです。たとえば食材とか車のガソリン代とかは、休業期間中、購入の必要がなくなります。そういうものは補償の対象にならないわけです。

損保の計算書のおかしなところと、当方が考える算定の考えを述べてみました。当方の考えよりももっと適切な考えに基づくやり方ももちろんあろうかと思います。当方の考えにも問題点があるかもしれません。いわゆる叩き台です。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


事務所所在地・連絡先

ホームズ調査事務所:
石川県加賀市
電話番号:090-1314-0234

電話・メールをされる前に、「お問い合わせ」欄を読んでくださいね。

当事務所の立場

突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

【当サイトご利用上の注意】

当サイト内の情報を利用したことにより何らかの損害が発生しても、一切責任を負いません。自己責任でお願いいたします。また、記事を書いた後に、法律が変わったりするなど、現状を反映していないことがあります。その後の改正等についてはフォローしていくつもりですが、ご注意ください。

著作権にかかわることですが、当サイトの記事をコピーされる方が後を絶たない。公開した記事なので、コピーしていただくのはまったくかまわない。ただし、判例文のコピーによる引用は別にして、それ以外の文章の引用については、引用元を示したうえで、どこからどこまで引用したかも明示してください。

なお、当サイトは中国語でも対応可能である。電話でもいいし、メッセージでもよろしい。

本现场可以用汉语对应、如过在日本有遇到交通事故的无论是中国人还是台湾人、请随时商量、商量的时候、请在网上「留言」。

おすすめ記事

アーカイブ

カテゴリー

ページ上部へ戻る