飲酒運転で免責、すなわち保険金が下りないとき

飲酒調査をされるための条件

保険調査の中に飲酒調査という種目がある。どういう場合に調査されるのか。もちろん飲酒の疑いがある場合だが、疑われる条件というものがある。

第一に夜間の事故。
第二に、警察届がされていない事故。
第三に、不自然な事故。たとえば直線路であるにもかかわらず、道路端の電柱にぶつけたというような事故。これが反対車線側の電柱にぶつけたなら、その不自然さは倍加される。

以上の3つの条件がそろえば飲酒調査は必至である。個々の条件のうちの2つに該当すれば、飲酒調査の対象に十分なりうるだろう。

以上は一般的な条件だが、個別的な条件もある。たとえばスナックのママさんとかの帰宅時の事故や、忘年会たけなわのシーズンの夜間の事故。飲み屋街がある繁華街に向かっているクルマは疑われにくいが、繁華街方面から出てきた走行車の事故などが疑われる典型例である。

こういう場合はたいていが自損事故だが、ときに相手車両とぶつかった事故で、相手から酒の匂いがしたと申告されることもある。その場合は、昼夜を問わず飲酒調査の対象になる。

どういう調査がされるかについての詳細については私は書かない。

モラル事案の相談にはのれないわけ

当サイトではいわゆるモラル事案については扱っていない。そのように告知してあるつもりなのだが、それでもたまにその手の相談がくる。本日もそういう相談があった。飲酒調査についてである。困るんですね。お酒を飲んでいなかったのに、保険金を請求をしたが保険会社から拒絶されたという話なのだが、もしかしたら、本当は飲酒していたのに保険金を請求している人からの相談かもしれない。そういうのはかんたんには見破れない。だから、一般論的なことはしゃべるかもしれないが、具体的な相談にはのれない。一切お断りしております。

警察の飲酒検査について

ただ、相談を受けていて気づいたことがあったので、飲酒調査の一般論についてちょっと思い出したことだけ書いてみよう。

飲酒があったかどうかは、ふつう警察で確認する。飲酒の有無とその結果である。しかし、最近は警察も飲酒の有無等について答えてくれないこともよくあることなので、その場合は、別のやりかたで確認するしかない。

その、警察による飲酒検査だが、運転者に飲酒があったかどうかどのようにして確認しているのだろうか。呼気検査あるいは血液検査と鑑識カード(顔色、話しぶり、匂い、歩き方など)を併用して、飲酒があったかどうかを判断している。その中の呼気検査や血液検査は、いわゆる任意捜査にあたるものだ。しかし、任意だから応じるか応じないかはこっちの勝手かと思われたなら、そうではないようだ。ネットで検索すると、

飲酒検査を拒否すると、公務執行妨害で逮捕される

――と弁護士が書いていた。

それが事実なら、「任意」でもなんでもなくて「強制」そのものじゃないかと思うのだが、よくわかりませんね(苦笑)。横道にそれそうなので、この件はこれくらいで。

呼気検査について

ところで、呼気検査を受けたことがある人はいるだろう。私も受けたことがある。検知器に息を吐き出してみたり、ちょっと歩いてみろといわれたり、視線が定まっているかどうかを確認されたりした。これが呼気検査及びそれに付随する検査である。この検査を受けた人が多いためその実態は比較的知られているが、血液検査というのはあまり知られていない。どういう場合に実施されるのか。

血液検査について

運転者が怪我をして救急で治療を受けている場合、怪我をしてたいへんだというのに、ちょっと息を吐いてみろとは言いづらい。それどころではないため、人道的見地から呼気検査を避けて、血液検査を実施することがある。実際は、病院で緊急措置後に廃棄された血液を医師の了解のもとに採取する方法と、車両内等に残された血液を遺留品として採取する方法の2つがある。これは、科捜研の鑑定に付される。遺留品として採取するのは任意捜査として許されており、アルコール濃度が基準値以上なら飲酒していたことの証拠として扱われる。なお、病院での飲酒の有無のための採血は、捜査令状が必要だ。ないと違法捜査になる。

道交法では、呼気濃度0.15mg/l(血中濃度0.3mg/ml)以上を酒気帯び運転としており、鑑識カードを併用して、話しっぷりや歩行状態などの外観的観察から、酒酔い運転かどうか判断している。

飲酒しているのに飲酒していないことにするための言い訳

余談だが、飲酒しているのに飲酒していないと言い張る人の特徴について書いておこう。もっとあると思うが、以下に、思いついたものを列記してみた。

①事故発生時刻でウソを言う。

夜間にあった事故なのに昼間あったかのように申告する。昼間の時間帯だから飲んでいるわけがないだろうと思わせたいらしい。

②事故場所でうそを言う。

飲み屋の隣で事故じゃまずいから。あるいは、目撃者がいたために本当の事故場所を言えず、たとえば人がいないような山道に事故場所を変えたりする。

③走行経路でウソを言う。

走行経路上に飲み屋があったりすると、そこへ聞き込みにいかれたらまずいからである。そのため経路でウソをつく。しかし、どうしてその経路を進行したのか説明がつかなくなることがある。名刑事コロンボも言っている。ふだんと違う行動をしたら、それはなぜなのか。

④替え玉を使う。

替え玉だから説明がうまくできない。こういうのはかんたんにばれやすい。やめといたほうがいいよ。

④事故前に行動をともにしたという証人を捏造する。

これも上記と同じ理由でばれやすい。あんた、保険金詐欺の幇助になり、立派な犯罪になるかもよというと、あせりまくる。あるいは、急にお茶ばかり飲んで、黙ってしまう奴もいた。

飲酒しているのがばれるのが怖くて現場を離れた場合

夜間のひき逃げとか当て逃げの多くは飲酒がからんでいるという話を聞いたことがある。私が調査した中にも、事故で大破し自走できないため現場に車を放置したまま自宅に逃げ帰った奴がいた。警察が自宅を訪問し、飲酒検査を実施したところ、「黒」だった。しかし、その被調査者は、事故のため気が動転して自宅で酒を飲んでしまったと言い張る。このような場合、呼気検査の「黒」の結果は、事故前の飲酒なのか事故後の飲酒なのかがわからない。警察は現行犯でもないかぎり飲酒で検挙するのがたいへんむずかしいようである。

刑事事件はこのように厳格な証拠を要求されるが、民事事件としての保険事故については、厳格な証拠までは要求されない。飲酒している蓋然性がたいへん高いことを立証すれば、免責、すなわち保険金の支払いを拒絶できるのだ。したがって、自宅で飲んだなどいう言い訳は、私には通じない。事故後自宅で飲んだら、事故前に飲んでいたんじゃないのかと疑われるに決まっている。どうして、そんなリスクのあることをやったのかと問い詰めて、何度か免責にしたことがある。このあたりは、警察よりも保険調査のほうが厳しい。

飲酒して保険金がおりない条件

余談はこれくらいにして、今回書くのはどういう場合に保険での飲酒免責になるかだ。すなわち、どういう場合に、損保が飲酒を理由に保険金を支払わないかということである。

損保が飲酒免責を主張するのはふつう車両保険にかかわってであるから、車両保険約款の規定を確認してみよう。各社によって表現に若干のばらつきがあるようだが、たいていは「道路交通法第65条第1項に定める酒気帯び運転もしくはこれに相当する状態」での運転中の事故に当たるかどうかである。また、傷害保険でも問題になる。こちらは「酒に酔った状態(アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態をいいます)で自動車を運転している間」と規定されている。規定の内容が違うのである。また、飲酒と事故との因果関係がなくても免責になることに注意したい。(なお、対人・対物賠償保険では飲酒があると20~30%の過失加算されるが、被害者保護の要請により飲酒で損害賠償金が出ないということにはならない。)

では、車両保険の「道路交通法第65条第1項に定める酒気帯び運転もしくはこれに相当する状態」とか、傷害保険の「「酒に酔った状態(アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態をいいます)で自動車を運転している間」とかは、具体的にどういう状態をいうのだろうか。

道交法では、「酒気帯び運転」は呼気1リットル中0.15mg以上のアルコールを検知した場合と規定している。そして、「酒酔運転」は検知結果に関係なく、「酒に酔った状態(アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態をいう)にあった者」と規定している。

これらの規定から、車両保険の飲酒免責にあたるのは、呼気1リットル中0.15mg以上のアルコールを検知した場合となるし、傷害保険の飲酒免責にあたるのは、呼気濃度という客観的基準ではなくて、「アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態」という、定性判断によることになる。

原則は以上のようになるのだが、警察から飲酒検知をされていなくても、0.15mg以上のアルコールなのだから、ビール1本ていどの飲酒の事実が発覚すれば(身体の大きさも関係するが)酒気帯び運転に相当する状態だと判断されるし、同様に、それ以上の飲酒をしている事実が発覚すれば、「アルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態」だと判断される。いや、一滴でも飲んでいたら免責にしていた損保もあった。たった一滴でもダメなんですかと、驚いてこちらが聞き返したくらいだ。

このように、車両保険などの自動車保険の約款の文言と、傷害保険の約款の文言はやや違うものの、実質はほぼ同じ意味だと思ってもらったらいいだろう。

上野式血中アルコール濃度計算式

保険調査では下記計算式を使う。

上野式血中アルコール濃度計算(注)必要事項

①飲酒開始時刻
②飲酒終了時刻
③事故発生時刻
④被調査者の体重(kg)
⑤推定分解時間

アルコールの種類摂取量(ml)アルコール濃度(%)
ビール1,0005.0%
日本酒54015.0%
ウィスキー水割り408.0%

(注)上野式血中アルコール濃度計算式の詳細について知りたい方は、交通事故総合分析センターのサイトに詳しい解説がある。

裁判所は飲酒に厳しい

では、裁判だとどうだろうか。裁判所の少数例(大阪地裁平成21年5月18日判決)は、その約款を制限的に解釈して、酒気帯び運転のうちアルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態での運転を免責事由とする趣旨であるとしている。しかし、多数例は、たとえ一滴であれ飲酒していれば保険会社は保険金を支払わなくていいと判断し、さらに、因果関係や飲酒運転をしているという認識さえ不要としている。裁判所は飲酒に関しては保険会社の運用よりもきびしいくらいだ。

因果関係が不要なのだから、たとえば信号待ちで停止していたところに追突された場合、追突した側が100%事故の原因を作出しており、追突された側は100%の被害者なのだが、たまたま追突された側に飲酒があると、対人・対物賠償保険で20~30%の過失ありとされ、さらに車両保険や搭乗者傷害保険、人身傷害保険は免責となる。また、飲酒運転をしているという認識が不要なのだから、たとえば前夜の酒が体内に残っている場合でも免責になる。

飲酒に因果関係を問わないのは疑問だ

その考え方の基礎に、飲酒はたとえ微量であっても、認知力、情報処理能力、注意力、判断力の低下をもたらし、反応速度が遅くなって交通事故を起こす可能性が著しく高まるという前提がある。その前提から、飲酒での運転は量の程度にかかわらず絶対悪だと評価している。

しかし、この前提はどこまで正しいのだろうか。

私の手元に「歩行者 人動車 道」(牛生扇著)という本がある。副題が「路上の運転と行動の科学」とあるように、クルマを運転する人の行動特性を諸外国の多くの統計や研究資料に基づき考察した本で、目のうろこが落ちるような記載が随所にある。飲酒についてもこのように書いてある。

jindousya

シャイナーは、アルコールと事故とを直接因果関係で結ぶことは、極めて慎重に、これを避けて、次のように述べている・・・致命的な衝突事故の約半数は飲酒運転によるものであるということが、事故統計の数字を引用して報告されることが多い。しかし、これを裏付ける実験的研究は皆無である。それは、一定の条件を整えて、アルコールを与えた被験者群に、一般道路上を運転させて、死亡事故がどのように発生するかを見るような、死亡者が実際に出る実験計画を立てることが許されるはずがないからである。従って、できるのは事故統計や観察によりアルコールと事故との相関を求めることだけであって、因果関係の立証には不十分な観察的研究で我慢せざるを得ないからである・・・。

シャイナーはさらに続けて、・・・事故統計などを使って行う観察的研究で得られた結果を解釈する際に、避けなければならない落とし穴がある。それは先に個人的不適応について論じたときに「相関と因果の区別」について説明したように、観察的研究では、関連する独立変数の全てを整理して操作することは不可能で、単にそのうちの幾つかの変数を観察できるだけであって、常に、混交変数の影響による「風が吹けば桶屋が儲かる」式の、見せかけの関係を観察する恐れがあるからである。

しかし、とシャイナーは続けて次のようにいう・・・そうはいっても、アルコールと事故との間には、因果関係があるのではないかと疑うに足る充分な先験的な理由が存在する。それは、アルコールは摂取量によっては、ドライバーの認知、判断、操作に影響を与え、運転機能の著しい低下を招くという多くの実験的研究の結果があり、また、ドライバーの運転行動を説明する理論的枠組みからも導かれる結果でもある、という理由による。

・・・それは確かにそのとおりである。しかしそれでも、とシャイナーはさらに続ける・・・やはり、それにもかかわらず、観察的研究によって得られた結果を観察するとき、そのデーターから直ちに因果的結論を下すことが妥当であるか否かについて、常に疑問を投げかけるだけの慎重さが欲しいものである。

(牛生氏はシャイナーの主張に対して)そのとおり、因果関係の存在を決定するには、常に慎重でなければならない。それは例えば、飲酒により、運転機能の若干の低下があっても、要求されるパフォーマンスの「閾値」内に留まるものであれば、事故との因果関係は生じないからである(と感想を述べている)。

因果関係や閾値に目をつぶる裁判所

裁判の多数例は、事故との因果関係や「閾値」にあえて目をつぶったものであり、先に紹介した少数例は「閾値」があることに着目した裁判例だといえる。さらに問題なのは、事故とは因果関係もなく、閾値以下の飲酒運転に対して、国家が社会的制裁を加えるための旗振り役をやっていることである。

当方の感想

飲酒運転はたしかに悪い。私はつきあいで酒を飲む程度で、酒なんかなくてもへいちゃらだから、運転する前に飲酒する奴の気がしれないし、断じて許せない。しかし、事故との因果関係がなかったり閾値以下の飲酒運転に対して法的非難を加えるのはおかしい。そういう問題は道徳や倫理の領域の問題だからである。とりわけ、閾値内かどうかの判断は難しい立証作業を伴うため、取り締まる側や保険金を支払う側はその困難さから解放されたいのだろう。今のご時勢でこんなことを言うのもなんだが、法が道徳の領域にまで口出しするのは、いくらなんでもやりすぎというものだろう。

事故と直接因果関係がない無免許運転等の違法行為の評価【16・12・29追記】

判例タイムズ過失相殺率基準本に、上記表題の、このことを考える上で参考になる記載があったことを思い出した。付け加えたい。

全訂3版においては、事故と直接因果関係がなくても、これを著しい過失又は重過失として取り扱う旨の記載があったが、倫理的側面は慰謝料の算定など別の観点から斟酌し得るし、そもそも修正要素として掲げるか否かに当たって、事故との相当因果関係は当然に考慮されており、違法行為のみ別の取扱いをする根拠に乏しいといえよう。

事故との相当因果関係を考慮するとしても、例えば、酒気帯び運転や酒酔い運転をしたり、一度も運転免許を取得したことがない者が無免許運転をしたりした場合は、法令の認識の欠如ないし不足や運転技術の未熟さが影響を及ぼすという意味において、事故と相当因果関係があると事実上推定されるであろう。

しかしながら、昼間、赤信号に従って停車中に追突された車両の運転者がたまたま酒気を帯びていたとしても、酒気帯びの事実が事故と相当因果関係があるとは考え難い。結局、無免許運転等の違法行為についても、他の修正要素と同様、事故と相当因果関係のある場合に考慮すべきであり、ただ、事故態様によっては、それらの事故との相当因果関係が事実上推定されることが多いと考えるべきである。(P44)

こういう方向の議論がもっと活発にあってもいいと思うし、その方向に判例が修正されるべきだと、私は思う。

【17・01・01追記】
上野式血中アルコール濃度計算式を追加。

【17・07・18追記】
2章~6章を追記。

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