自賠法に基づく政府の自動車損害賠償保障事業

つい最近の相談で、相手が原付で自賠責未加入だった。どうしたらいいのか。

自賠責に未加入だから自賠責の補償は無理だが、自賠法には政府保障事業というのがある。ネットをみたら、原付は政府保障事業の対象になるとあった(→http://www.jibaisekihoken.com/column/bike-accident/hit-run-accident.html)。ひき逃げのため加害者が特定できない場合だとかの典型的な事例は知っていたけれど、自賠責未加入でも政府の保証事業の対象になるらしい。恥ずかしながらよくは知らなかった(汗)。ネット情報はいまいち信が置けないところがあるから、政府保障事業の詳細について、赤本(民事交通事故訴訟 損害賠償算定基準)などを参考にしながら、この際だから調べてみることにした。備忘録として以下に記事にした。

自賠法72条

政府保障事業というのは自賠法72条に規定されている。まずは条文をみてみよう。

自賠法72条1項

政府は、自動車の運行によつて生命又は身体を害された者がある場合において、その自動車の保有者が明らかでないため被害者が第3条の規定による損害賠償の請求をすることができないときは、被害者の請求により、政令で定める金額の限度において、その受けた損害をてん補する。責任保険の被保険者及び責任共済の被共済者以外の者が、第3条の規定によつて損害賠償の責に任ずる場合(その責任が第10条に規定する自動車の運行によつて生ずる場合を除く。)も、被害者の請求により、政令で定める金額の限度において、その受けた損害をてん補する。

「自動車」に原付は含まれるのか

条文では「自動車の運行によって」とある。「自動車」とあるから、「車両」であることが条件になっている。自転車などは「軽車両」であるため「自動車」の仲間だから車道を走れと声高に叫ばれているが、他方、補償の面からは「車両」でないことを理由に自賠責から除外されている。原付については「車両」にあたるため、自賠責の対象であり、したがって、自賠責の対象になるものについては、基本的には政府保障事業の対象になりえる。ご相談の件についてはこれで終わりである。

次に、自賠責保険契約の締結強制規定の適用除外車(自賠法10条。自衛隊、在日米軍、国連軍等の自動車や、道路上での使用が認められていない構内自動車)による事故は、自賠責保険無保険車ではあっても、政府保障事業でのてん補対象とはならないと書いてあった。対象にならないのは、「十分な賠償資力を有すると想定される国・米国・国連・構内専用車の所有者に対して損害賠償請求することで損害填補がなされるため」(「逐条解説 自動車損害賠償保障法」P215)だとしている。

十分な賠償資力があることと損害が填補されることとはまったく別問題である

ぼくと相棒とで交通事故を扱った件数はこれまでに5000件は優に超えていることだろう。その中で、やっかいな相手というのがいた。つい最近の例だが、ぼくは無料で可能なかぎり相談に応じているが、ときにどれだけ説明しても、理解していただけないおばちゃんもおられる。頑として自分の主張を譲らない。

たとえば追突と被追突。追突した側が基本的に悪いのは説明を要するまでもないことだと思っていたが、どんだけ説明しても、前にいた車が悪いと言って譲らないのだ。理屈が成立しないのである。こういう方を論外としても、他にもたいへんやっかいな相手がいる。そういうとだれもが思いつきそうなのが、たとえばやくざがそうだろう。他にもあって、自賠法で「十分な賠償資力がある」ことから高く評価されている自衛隊も、実はまったくやっかいな相手なのである。当たり前のことだけれど、十分な賠償資力があることが損害が填補されることとはイコールではない。まったく別問題なのである。自賠法は、このごく当たり前のことがまるで理解できていない。自賠法の欠陥である。どうしてやっかいなのか。どうして欠陥なのか。

交通事故の相手が自衛隊車両だったら

交通事故の相手が自衛隊車両だったら・・・でネット検索すると、いくつかの回答がみつかった。まず1番目。

 
2番目。

 
3番目。

 
どの回答が正しく、どの回答がどう間違っているのか。結論を先に記せば、全部の回答が全部間違っている。当該記事は政府保障事業の概要を述べることが主目的なので、このまま長々とこの件について書くと横道にそれるため、最後に述べることにしたい。
(つづく)

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当事務所の立場

突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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