圧迫骨折による後遺障害確認の医療調査で、ぼくが使っていた質問状を公開

本日2本目の記事。前回記事との関連で、調査員時代にぼくが使っていた「圧迫骨折による後遺障害」の確認のための質問状を公開する。

①新鮮・陳旧性・病的の別

1.新鮮
2.陳旧性
3.病的な骨折

②新鮮な骨折の場合、その理由

1.初診時のMRI(T1強調・T2強調)画像において、低信号もしくは高信号を認めたことから、出血・浮腫が推察されたため
2.各レントゲン画像において、経時的に圧潰の進行が確認できたため
3.受傷機転による
4.その他→

③陳旧性・病的な骨折の場合、その理由

 

④骨粗鬆症の程度・治療の有無

1.骨密度測定ありの場合

測定時期
測定部位
測定方法
測定結果:同性同年齢比  %、YAM  %

2.骨密度測定なしの場合

腰椎レントゲン画像からの慈恵医大式表による分類
jikeiidaisiki
以上から、骨密度の程度
ア:生理的減少の範囲であり、年齢相応である。
イ:生理的減少の範囲を超えており、年齢以上に悪い。
ウ:年齢よりも良い
エ:その他→
今回受傷前からの骨粗鬆症治療歴:不明・なし・あり→治療先・治療期間・治療内容
今回入、通院期間中における骨粗鬆症治療:なし・あり→治療期間・治療内容

⑤骨粗鬆症が本件圧迫骨折受傷に与えた影響および影響度

ア:なし
イ:あり→100・75・50・25%、あるいは、極めて大きい・大きい・半々、小さい・極めて小さい
ウ:不明

上記いずれの場合もその理由
ア:まだ  歳であり、骨粗鬆症自体が存在しないから。
イ:前述の骨粗鬆症の程度から
ウ:その他→

⑥後遺障害

(いずれも症状固定時期当時における内容)
1.今回の傷病以外の、陳旧性としての圧迫骨折の有無

2.ありの場合、
部位:第  胸椎・腰椎
受傷時期:
受傷原因:

3.症状固定時期における可動域制限
ア:なし
イ:あり
ウ:確認していないので不明だが、おそらくなし
エ:確認していないので不明だが、おそらくあり
オ:確認していないので不明
カ:その他→

4.胸腰椎の可動域
ア:前屈(参考可動域合計75度。2分の1以上か)
イ:後屈
ウ:右回旋(参考可動域合計80度)
エ:左回旋
オ:右側屈(参考可動域合計100度)
カ:左側屈

5.可動域制限がある場合、陳旧性の圧迫骨折の影響を除いた、本件圧迫骨折のみによる、考えられる胸腰椎の可動域制限の有無・程度
ア:なし。
イ:あるが、各可動域(特に主要運動について)は参考域値の2分の1以上あったと考えられる
ウ:あるが、各可動域(特に主要運動について)は参考域値の2分の1未満にまで制限されていたと考えられる
エ:その他→
#可動域制限の原因について

6.硬性コルセットを常に必要とするか(最終時点で)
ア:常に必要
イ:起きたり座ったりする時以外は必要
イ:不要
#必要とする場合はその理由

7.後彎の有無・程度
ア:有無
イ:部位
ウ:各部位の前方椎体高  ㎜、後方椎体高  ㎜
エ:上記画像測定日

8.側彎の有無・程度
ア:有無
イ:コブ法による側彎度は50度以上か

9.疼痛が存在する場合
ア:通常の労務に服することができるか
イ:時に強度の疼痛のために労働にある程度差しさわりがある
ウ:医学的に証明もしくは推定できるか・証明手段、推定理由

特記

圧迫骨折の後遺障害確認のための基本的な質問事項。医師面談の時間は10数分ていどがふつうなので、質問事項と予想される回答例を作って、アンケート形式にテキパキやらないと間に合わない。

個別にはもっと質問を加える必要があるだろうが、基本的なことはだいたい網羅したので、たいていはこれでいける。答えにくいことでも答えてもらう、予想以外の回答があったときに臨機応変に対応できることこそが調査員の腕の見せどころである。

なお、当時は「慈恵医大式表」を使って骨粗鬆症の程度を調べるのがふつうだった。現在は、精度に問題があるという批判が強い。

別記事の「圧迫骨折と後遺障害」と併読していただければ、質問および回答例の意味を説明してあるので、わかりやすいかと思う。

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交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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