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私は何国人にみえるのだろう
海外の一人旅をしているとき、私は、たとえば香港人からはフィリピン人に間違えられたし、パキスタン人からはモンゴル人に間違えられたし、アメリカ人からは台湾人に間違えられたし、ベルギー人からは中国人に間違えられたし、シリア人からは韓国人に間違えられたし、中国人からはベトナム人とかインド人とかパキスタン人とかに間違えられた。それと、イギリス人とかもあったなあ(苦笑)。
日本への帰国の際に、航空機の中で日本人スチュワーデス(死語かも)に日本語で「新聞ください」と言ったら、真顔で「失礼ですが、どちらの国の新聞でしょうか」ときたもんだ。日本語で新聞くださいと言えば、ふつう日本の新聞に決まっているだろうに。このスチュワーデス、私のことをどこの国の人と間違えたのだろうか。それにしても、こういう言い方がもっとも傷つきやすくて失礼なことを知らないのだろうか。
日本人の典型的特徴とは
さて、日本人の典型的特徴とは何だろう。外国人が浮かぶ日本人の特徴やイメージをネットで調べてみたら(このときのコツは英語で調べること、日本語だと「すごいぞ日本」みたいな画像ばっかりだった)、冒頭の画像のようになった。
ちょんまげ。短足。蟹股。眼鏡。出っ歯。細目。背広姿。カメラを持っている。・・・なんかいいイメージがないんだよなあ。ちょんまげは別にして、個々の特徴のひとつやふたつはたしかに日本人ならたいていは持っている。しかし、日本人の典型的ともいうべき特徴を全部備えている日本人なんてほとんど実在しないという笑い話があることを思い出した。
RSD(CRPS)の認定基準
RSD(CRPS)の認定基準というのをご存知だろうか。基準になりうるものがいくつもあって、この疾患の解明があまり進んでいないということの反映なのだけれど、裁判では労災認定基準を使用するものが一番多い(「交通事故診療と損害賠償実務の交錯」P140より)し、自賠責も「①関節拘縮②骨の萎縮③皮膚の変化(皮膚温の変化、皮膚の萎縮)という慢性期の主要な3つのいずれかの症状が健側と比較して明らかに認められる場合に限られる」(「交通関係訴訟の実務」P241)として、労災に右へならえである。そして、それをもとに裁判所でもRSDであることを否認されることが多いという。
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「交通事故診療と損害賠償実務の交錯」P137によると、
(2003年の労災)改定作業当時、既に存在したIASP基準(1994年)では要件とされていない骨萎縮が要件に加えられたのは、「①カウザルギーと異なって末梢神経の損傷という明瞭な診断根拠がないこと、②疼痛自体の客観的な尺度がないことから、障害認定実務上、RSDと診断するに足る客観的な所見を必要と」したためであると、(改定にいたる経過説明の)報告書は述べている。
さらに別のところでは(P147)、
骨萎縮のような画像で確認できる事実を重視することは、訴えの裏付けに客観性を持たせるという意味で便利であり、加害者に対する説得力も増すように思える。しかしながら、骨萎縮等がなぜ生じるのかという点で未解明な点が残されているということであり、それがCRPS患者に必ず発症するとまで言えないことも踏まえると、それがないから重症ではないと即断することも相当でないと思われる。今後、客観的な症状に関して、CRPSとの関連が医学的に解明されることを期待しつつ、法律判断としての等級評価を行わざるを得ない。
・・・などとして、現状の、医療分野における診断基準(注1)にない骨萎縮を後遺障害認定の基準に加えることを肯定している。骨萎縮というのは、ふつうそこのところが痛いからなるべく動かさないようにしていたために骨が痩せるのだと考えられている。ところが、動かしていないのに骨が痩せていないCRPS患者もいるから、「骨萎縮等がなぜ生じるのかという点で未解明」なのだろう。
(注1:minds医療情報サービスより)
骨萎縮は日本人の「出っ歯」と同じ
骨萎縮というのは、典型的特徴のひとつであるが、「CRPS患者に必ず発症するとまで言えない」。つまり、日本人の典型的特徴のひとつであり、もっとも客観化しやすい「出っ歯」と同じである(たとえば歯の反り方が何度以上とかで決めたらいい)。そして、現状の後遺障害認定基準は骨萎縮がないからCRPSではない。つまり、「出っ歯」でないから、あんたは日本人ではないと言っているのと同じリクツである。自賠責保険の基準を引用して重度の骨萎縮を強調することが、加害者側のRSD否認の典型的パターンでもある。「出っ歯」でない日本人なんてふつうにいっぱいいるだろうに。
医療分野の診断基準に存在しない「骨萎縮」要件を加えることは、客観性による後遺障害認定の線引きの役割を「骨萎縮」に担わせることによって、定型的・画一的処理をすることを旨とする自賠責実務では、あるいはやむをえないことなのかもしれない。しかし、個々具体的に判断することを旨とする裁判で、それに「右へならえ」は安易すぎてあんまりだろうと、私は思う。
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傷病名は経過をたどって決まるもの
ところで、傷病名はいきなり最初に決まるものではない。最初にいくつかの症状があって、これはこの傷病かなあ、あるいは別の傷病かなあと医者は仮説を立て、症状の変化や検査結果や医者の見立てから、治療を行いながらいくつか候補にあがった傷病名を取捨選択して臨床上確定させていく(鑑別診断)。最初に傷病名ありきではなくて、症状ありきなのである。とりわけ多彩な症状があるCRPSならなおさらそうである。候補にあがった傷病名をひとつひとつ消去していって、最終的にCRPSと診断する。こういう流れである。分野は違うものの、たとえば精神医学の分野ではこのような順序をたどって診断している。すなわち、
精神医学では「外因性」「内因性」「心因性」と原因を3つにわけた上で、
いろいろ問題があるのにこの3分法がいまだに使われるのは、臨床上便利だからである。まず「外因性」がないことを確かめ、「内因性」かどうかを吟味してから「心因性」を考えるという順序が、安全だからである。「外因性」の病気、たとえば脳腫瘍を見落とすことは生命にかかわるので最優先となる。統合失調症を神経症と誤るのは、逆の誤診よりも一般に罪が深い。脳炎を神経症と誤ることだってないわけではない。「看護のための精神医学」より
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ところが、賠償分野ではその流れとはまったく逆に、CRPSなら典型的症状はこれとこれとこれで、あ、1つ足りないわあ、だからCRPSではないと判断している。世界がさかさまになっている。それも、診断基準にない骨萎縮なるものを「客観性」を保持するためとかいって勝手に持ち出して。
骨萎縮のないCRPS患者は心因性、すなわち詐病なのだろうか
骨萎縮なる要件を新たに加えたのは客観性保持のためとしている。すなわち、他の要件だけだと患者の主観的行為により左右されるため詐病患者等の混入がさけられないから、その排除のためということだろう。しかし、何か月あるいは何年にもわたって病気のフリをすることが可能だろうか。とりわけ壮絶な闘病生活で知られるCRPSは
角をためて牛を殺す
そんな激しい痛みを長期間にわたって演じられる患者というのが何人いるというのだろうか。絶対いないとまで言うつもりはないが、いてもごくごく少数である。それに対して、骨萎縮がないために後遺障害の認定を拒否されたり、低評価に甘んじているCRPS患者はどれほどいるのだろうか。(実際に存在するかどうかも怪しい)ごくごく一部のフトドキ者を排除するために、救済すべき肝心の多くの患者まで排除していたら、角をためて牛を殺すことにならないのだろうか。
このことを考える上でたいへん参考になったのが、以下の一文である。長くなるが、私はたいへん勉強になったので引用したい(「名古屋の弁護士による交通事故ブログ」より)。
臨床の診断の現場では、「その症状を生じる疾患として何が考えられるか。」を検討し、対象となる病態を特定して治療するのに必要な限度で診断が下されます。病態がある程度特定できれば治療を行うことができるので、正式な診断がなされないまま治療が行なわれることもしばしばあります。
患者の症状についてCRPSが疑われ、CRPSにより一応の説明できる場合には、「CRPSではないとすれば他に可能性の高い候補があるか。」を検討します(鑑別診断)。他の疾患の可能性が排除されればCRPSと診断できます。鑑別対象の疾患を広げすぎるときりがないので、ある程度可能性が高いものに限定して鑑別診断を行ないます。
これに対して、CRPSが検討対象に挙がった後に、CRPSとする積極的根拠のみを探し続けることはナンセンスです。ところがギボンズの基準は積極的根拠をスコア化して積み上げるもので、鑑別診断の視点が欠けています。裁判例でも「その疾患の特徴をより多く備えている場合に、その疾患であると診断できる」とする類の致命的な誤りが非常に多く見られます。
診断は典型性の度合いの判断ではありません。この誤りに陥るとごく一部の重症化した典型症例以外はその疾患と診断できないことになります(ほとんどの疾患には必須の症状はなく、典型症例とされる症例の占める割合は大きくありません)。