被害者請求か任意一括かどちらがよいかを形式的に論じても意味がない

交通事故に関するサイトはあまり見なくなった

政治に関するサイトでほぼ毎日のように訪問するところがあるものの、交通事故に関するサイトについては最近は時間がなくて、記事を書く際に必要なために訪問することはあっても、そうでないときはほとんど訪問することはありません。もちろん例外はありますが、あってもひとつかふたつです。アメブロで相互読者になっている某弁護士さんのサイトと某行政書士さんのサイトです。週に1度ていどしか交通事故に関する記事を書いていないので、毎回訪問することはありませんが、交通事故の記事を書かれたときはだいたい常に訪問しています。そのふたつくらいです。

ほかにも、たいへん参考になるため、かつては毎回のように訪問していたサイトがあったのですが、そのうち精彩のない記事が3つも続いたため訪問しなくなりました。たぶん書き手が違うのだと思います。若手にでも書かせたからか、つまんないものになってしまったのだろうと憶測しています。ぼくもだから手抜き記事が3回続かないよう心がけているつもりです。1度離れてしまった読者を呼び戻すのはたいへんだからです。

被害者請求についてひっかかった記事

そのサイトに今回何か月かぶりに訪問しました。どうして訪問したのかというと、過去に書かれた記事でひっかかるものがあったためです。そのときの記事のテーマは被害者請求の是非についてでした。その記事では、結論として被害者請求であろうと任意一括であろうとどっちでやっても同じということでした。にもかかわらず、行政書士の指導をうけた被害者の方が、被害者請求にすれば、もっと高度な後遺障害が認定できたはずだと誤った認識を植えつけられている。しかし、実際はどっちでやっても同じだ。被害者請求すればテマヒマがかかる分、むしろ任意一括のほうが楽だといえる――そういう趣旨でした。

総論は賛成、でも・・・

ぼくも被害者請求がいいのか任意一括がいいのかについて、被害者請求でやるべきだと頭から唱える行政書士には賛成できません。だから、そこのところは大いにこの記事に賛同したのですが、その理由が納得できないものでした。その記事では、後遺障害認定のため自賠責調査事務所に提出する書類は以下の4つであるとして、

① 後遺障害診断書
② レントゲンやMRIといった画像
③ 毎月の診断書
④ 毎月の診療報酬明細書

それ以外の書類を提出しても、参考にされることもなく見ることもないから、被害者請求でやっても意味がないというのです。大切なのは後遺障害診断書にどういった内容のことが書かれるか、それを裏付ける検査を実施しているかどうかだということでした。

大切なのは専門家のレベル

ぼくも大筋で賛成なのです。被害者請求といっても被害者自身がするわけではない。それを指導する専門家がいるはずだからです。問題はその専門家の力量です。被害者と同じレベルか、それにちょっと上乗せしたレベルではまったく話になりません。少なくとも損保の人身担当者レベルくらいはないと困る。それも、損保の窓口の女の子レベル(差別だといわないでください。大手損保の窓口は女の子だからです)じゃ話になりません。窓口のまとめ役くらいのレベルは必要だと思います。

ところがそのレベルに達している専門家がどれくらいいるのでしょうか。たぶん、相当に少ないと思います。そのレベルに達していない専門家に頼むくらいなら、任意一括でやったほうがいいと思います。任意一括は事務的に処理しますが、都市伝説的に語られているような、被害者と相手損保は利益相反関係にあるから、後遺障害認定ではより低い認定のほうに誘導するような意見書を提出されてしまう――と言われていますが、ぼくは必ずしも正しいことだとは思っていません。

このあたりについて、ぼくも意見書なるものを何度か見たことがありますが、たしかに被害者にきびしい意見書も見たことがあるし、逆に被害者の等級があがることを求める意見書も見たことがあります。ぼくの限られた経験を一般化できないのはわかっていますが、意見書をつけた際に、積極的な妨害行為(たとえば後遺障害認定の決め手になる画像検査資料を隠すなど)まではまずやらないのではないでしょうか。

したがって、被害者請求か任意一括かを形式的に論じてもあまり意味がないと思います。下手な専門家に任せるくらいなら、たとえ事務的な処理であれ任意一括のほうが断然いいと思います。

参考資料は提出するべき

ぼくがひっかかったのは実は別のところです。すなわち、

① 後遺障害診断書
② レントゲンやMRIといった画像
③ 毎月の診断書
④ 毎月の診療報酬明細書

以外の書類を提出しても参考にされず、見てもくれないとあったからです。

これもぼくの狭い経験によるものですが、例えばカルテとか提出すれば見てくれていました。カルテよりも信頼性の落ちる被害者の陳述書についても目を通してくれていました。だから、上記以外の書類は参考にされないというのは、ぼくの経験上はおかしい、それは間違いです。提出された基本の書類だけでは、確信が持てない場合が多々あることで被害者自身の記載した書面は参考になることもあるからです。ただ、事務所によっては忙しいため、上記4点以外の書類は見ないということもあるのかなあ。そういうことなのでしょう。

だたし、専門家と称する方が書いた陳述書を1度だけ見たことがありますが、これじゃ、最初の数行だけ見てそれで放り出されると思われる陳述書でした。被害者が痛いと言っている。なんとかしてほしい・・・と、ビジネスライクにA4用紙2枚も使って縷々と書かれている。これは陳述書というよりも嘆願書だなあと思ったことがあります。このような陳述書では相手にされません。

要は、被害者の訴えている症状の具体的事実やそのありようを被害者に寄り添ってどこまで肉薄できるかだと思います。それに加えて、一例ですが、加害者の対応がひどいばあいはそれがストレスになり、治癒までを遷延化させる要素になります。こういうことは自賠責調査事務所がなかなか気づいてもらえないため、もしそういう事実があるなら、陳述書に書いておいたほうがいいです。というか、書くべきです。以上のような内容をしっかり書いて、自賠責調査事務所の担当者に注目させるべきでしょう。

このことは、専門家の書かれたふだんのブログ記事を見ているだけでも、そういう書き方を心がけてくれるかどうか、あるていど予測がつくようにぼくは思います。こういう書き方をすると、おまえはいつもえらそうな言い方をすると反発される方もいるようです。たしかにたいした経験も知識もないことは自覚しております。だからこそ、少しでも進歩したいと、反発されるのを覚悟の上で思い切った記事を書くよう心がけています。リスクを負った記事を書いているつもりです。

おまえの記事の内容が間違っていると思われるのでしたら、どうぞご批判なさってください。理由を示さない批判(そういうのはただの中傷だろう)は別にして、ぼくは批判されたからといって感情的に反発したことはこれまで一度もなかったと思います。訂正する必要があるなら、すぐにも応じるつもりです。とにかく議論がないとそこに進歩もありえないでしょう。損保の人身担当者レベルというのも夢の話で終わります。
 

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当事務所の立場

突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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