「自動車事故工学」(江守一郎著)

前前々回、交通事故に関する記事で江守一郎氏の「自動車事故工学」という本を取り上げた。取り上げたといっても、かんたんなコメントだけだったので、あらためてこの本の感想を書いてみたい。

交通事故鑑定というのは、対象となった交通事故を可能なかぎり再現することである。江守氏はそのように交通事故鑑定を定義されたあと、「はしがき」のところで交通事故鑑定の勘所をこのように述べられている。

事故を再現するにあたって一番始めにすべきことは、非常に常識的に事故の態様を頭の中に描き出すことである。車両のどことどこが接触したのか、車両は2回接触したのか、車両はそのまま停止したのか、または1回転して停止したのか等々、全く数式抜きで車両や人間の運動を想定し、しかもその想定された事故の態様は、現場に残された物的証拠をすべて無理なく説明できるものでなければならない。この段階では、数学は全く入ってこない。この本にはかなり多くの力学的数式が書いてあるから、そのような計算をしないと事故の再現ができないような錯覚を起こしている方がおられるが、これは全然見当違いである。すなわち、この本にある数式抜きの一般的な原理だけを理解して下されば、数式を用いずに誰でも事故の解析はできるし、また自分で行った事故の解析を誰にでも数式を用いないで納得してもらうことができるはずである。

私は美しい力学的計算をした多くの事故解析の中に、明らかに常識と矛盾するものが多いことを発見した。すなわち、解析手法そのものは正しいかも知れないが、問題の事故とは基本的に異なった事故態様の解析をしているのである。この本にある力学的計算は、正しい衝突態様が確立された後に細かい詰めをする段階で初めて役に立つ。(赤字は引用者による)

 
さらに「序」において、

自動車事故には、人間、自動車、道路(すなわち環境)が関係しているので、そのおのおのについて最小限度の知識がなくては、事故という複雑な現象を理解することはできない。しかも事故の種類は多様であり、著者も、かなりの自動車事故を扱ったが1つとして同じような事故に出合ったことがない。事故にはきめ手になる原因がなく、むしろ人間・自動車・環境が構成するシステムの崩壊と考えた方がよい場合が多い。したがって、この本では事故の原因を列することは避け、理解に必要な原理を説明することにした。(P3)

 
難しい数式は後回しでいい。数式に惑わされるな。それよりも、「常識」とか「一般的な原理」から見てどうなのか。事故の再現にとってそれがもっとも大切だと言っているわけである。

それでは、ここでいう「常識(的)」とか「一般的な原理」とかいうのはどういうことだろうか。この点の説明に詳しいのが、類書と一線を画す江守本の特徴である。たとえば、

車のこわれ方を見ただけで特別な場合(たとえば正面衝突)以外は衝突速度を推定することは困難である。このような簡単な力学を理解しないで事故再現のエキスパートと称し、車のこわれ方を見て推定速度を推定している人々を私はアメリカで沢山見かけた。(P15)

 
とか、

人間が情報を読みとって行動を起こすまでの遅れ時間を反応遅れという。陸上運動で100mのスタートをみればわかるように、人間は情報に反応するにはそう長く時間はかからない。陸上競技の選手で1/10秒ぐらいだが、普通人はたいてい2/10秒ぐらいと考えてよい。これらの値はある現象が起きることを期待し、注意力をそのことに集中している場合の反応遅れで、自動車を運転したりほかのことを考えていれば、当然もっと長くなる。

 

以上は、何が起こるかをあらかじめ知っている場合であるが、自動車事故ではだれも衝突が起こることを予期しない場合が多い。このような場合には、まず何が起こったのかを発見しなければならないから、反応遅れはさらに延び、秒のオーダーになってくる(P18-)

 
とか、

人間の反応遅れは事故に関するかぎり厄介の性質である。とくに、人間の反応遅れが衝突の継続時間(あっという間の時間、正面衝突で0.1秒、追突や側面衝突で0.2秒という実車実験の測定結果による。引用者注)より長いから、事故に遭った当事者でも正確に衝突のプロセスを述べることはできにくい。ましてその時の推定速度などについてはまったくでたらめな証言しか得られない。事故における自分の立場を不利にしないために故意に事実と違った証言をすることもあるが、多くの場合、その人の信じている事実そのものが怪しいから、一般には目撃者や当事者の証言は参考程度と考えた方がよい。(P21)。

 
とか、

(対人衝突について)「おとなと子供では、はねられた後の運動が異なることが認められる。・・・おとなが自動車にはね飛ばされると、まずボンネットの先端で腰を、バンパーの先端で脚を打つ。人間に加わる力は重心より下にあるために、人間は重心を中心として回転を起こしボンネットの上に乗せられる。その後ボンネットの上をすべり、頭をウィンドシールドにぶつけて、さらに回転を続ける。人間に加えられた回転および並進の運動エネルギーが全部ポテンシャルエネルギーとして消費されるまで重心の位置が上がり、その後はボンネットの上をすべって自動車の前方に落ちる。自動車がブレーキをかけない限りひかれることになる。

これに反し、子供は重心の位置が低いから、衝突によって子供に加わる力は重心の位置より高いか、または同程度である。したがって子供は・・・単にはね飛ばされて倒れ、ボンネットの上に乗ることはない。ごくおおざっぱに考えれば、子供に加わる衝撃力は重心に近いために回転を起こさない。おとなは回転を起こすから重心の加速度は子供に比べて小さい。回転してボンネットに上がっても、最終的には車速まで加速されるわけだから、加速度の合計は子供と同じになる。おとなはボンネットの上にはね上げられると、腰のほかに頭その他の部分を打撲するが、おのおのの打撲による加速度のレベルは小さい。

最後に地面に叩きつけられるときの衝撃はボンネットの上に上がって落ちるほうが大きいことは明らかである。子供はボンネットの上に上がらないで押し倒されるから、衝撃後地面に叩きつけられるまでの時間は短い(P113‐)

 
むち打ちについてもごもっともといえる記載がある。

追突における車の加速度は正面衝突に比してはるかに小さいから、頚に力を入れるとか、手を頭の後に組めば、頭が後方に回転することは十分防げるはずである。しかし衝突の継続時間が約0.2secと短く、人間の反応遅れと同程度、またはそれ以下であるために、追突されることがあらかじめわからない限り、体を緊張させることはできず、むち打ちを起こしてしまう。

 

したがって、同型の車の追突では、衝突車も被衝突車も減(加)速度の程度は同じであるにもかかわらず、追突する車の乗員は衝突を予期しているから傷害は少なく、被衝突車の乗員は予期しないからむち打ち症を被る。このようにむち打ちは、人間の反応時間の遅れ以内で起こるから、能動的な装置では効果を期待することができず、受動的な装置によって防ぐ以外に方法はない。(P125)。

 
私がこれまでに書いた記事(「むち打ち損傷に関する工学鑑定について」や、「車の損傷程度から衝突速度を推定する」という記事で主張したいことと同旨である。さらに、まだ完成していないが、「空走時間「0.75秒」は、どこまで正しいのか?」という記事を書くきっかけを与えてくれたのは、事故にあったことがある人ならだれだって知っている常識から「0.75秒」を疑うことである。「0.75秒」(あるいは~1秒でもいいが)では早すぎるし、仮に正しいとしても、若者も高齢者も一律に「0.75秒」を適用するのはまったくおかしい。

また、判例タイムズの過失相殺率基準本では、事故当事者の「過失」のみを対象にして、そのほかの車や環境要因は取り上げていない。その理由は、それらは事故原因にならない、万が一なったとしても無視していい存在ということらしい。そのような主張もかまわないが、そのためには根拠を示すべきである。江守本は、その点についても批判の書となりうる。

こういう「常識」「一般原理」がこの本にはいたるところに書かれている。交通事故を現にやられている先生方には必読の書だと私は思う。私が所持しているのは1974年発行の旧版で10年ほど前に購入した。その新版(1985年発行)も出ている。値段(現時点で2万円を超えている)が当時よりもさらに高くなった。私もあのとき、思い切って新版を買っておくべきだった。

この本にはこのように原理・常識が書いてあるから、古くても十分使えると思う。交通事故鑑定人の中にもこの書を推薦している方も多い。本当は新版がいいのだけれど、そのうち安くなったら私も買い替えるつもりだ。

最後に。著者も強調していることだが、「正しく事故を再現できるような資料を得るには、現場に居合わせた調査官が有効で適切な記録をしてくれなければ不可能である」。

ここでいう「有効で適切な記録」とはどういう種類ものを指すのか。
たとえば、信号のない交差点において、一方に一時停止規制がある。一時停止規制のあるほうから一時停止後当交差点を進入したと主張するA車が左方交差道路から進入したB車と衝突した。衝突地点は一時停止線から10mだったとしよう。A車の衝突時の速度が時速30㌔だったとしよう。問題は10mの間に時速30㌔に加速できるかどうかである。できなければ一時停止はしていなかったことになる。

時速30㌔に加速できるのかどうかを計算するために、江守氏は以下の計算式を本書であげている。

v=√0.65×9.8×10≒8m/sec=29km/h

 

「0.65」は新しいタイヤと乾燥・アスファルトの摩擦係数。
「9.8」は重力加速度の大きさである9.80m/sec^2 から。

以上の計算は可能な加速度の上限を与えるから、実際にはそこまで加速することはできない。車が停止したかしないか、または少なくともどのくらいの速度で交差点に入ってきたかというような問題は、このような簡単な計算で十分判定できるケースが多い(p36)

 
たとえ計算式の意味するところがわからなかったとしても、その基礎となる情報であるタイヤの状態や路面の状態などを調査する者が的確に記録すればいいということになる。その記録を「餅は餅屋に任せる」、すなわち交通事故鑑定人にひき次いでいただくまでが私ら調査員の仕事だった。調査員時代、このあたりの役割分担はかなり厳格で、私自身も、すぐにも消失してしまいそうな証拠を現場で記録して、その後、交通事故鑑定人に引き継いだことが何度かあった。そのあたりの役割分担はかなり徹底していた。

【追記・18・11・19】
交通事故の原因のほとんどはヒューマンエラーによるとの研究があることを知った。その代表例が「人間と交通社会」(長山泰久大阪大学名誉教授著)に書かれている大阪府下の昭和50年上半期・乗用車事故5540件の分析によるものである。他にも、私がよく引用するD・shynarも「インディアナ大学の研究が示すように、調査した事故の約95%までがドライバーのエラーが理由と説明され、車両や道路の欠陥が理由と説明される事故は少ない」(P302・「歩行者・人動車・道 路上の運転と行動の科学」)とされている。公平を期するため、名の知れた研究者による研究があることをお断りしておきたい。

これらの研究の結論についてはその研究の詳細が不明なため(いずれ入手するつもり)、現段階ではコメントできない。

【追記18・11・20】
マスコミはおろか、交通心理学の専門家までもが「交通事故の原因の9割はヒューマンエラーによるもの」と強調している。が、交通事故を5000件以上担当した私らの実感とどうしてもあわない。70%とか80%とかならたぶん疑問に思うことなく素通りしていたが、いくらなんでも90%はチト多すぎな気がするのだ。それが当初の疑問だったが、その「謎」が解けた。ははん、そういうことなのか。いずれ追記したい。

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