車の損傷程度から衝突速度を推定する

車の損傷程度から衝突速度を推定すること

前回の記事で、車の損傷程度から衝突速度がわかる資料をふたつご紹介した。繰り返しになるが、再掲する。

ひとつめ。
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そこでは、「車の損傷程度から追突速度の推定」ができるばあいとして、あくまで追突の例に限定して記事としてとりあげた。あくまで追突事故だということに注意していただきたい。

衝突速度が推定できるのは限られている

実をいうと、追突や正面衝突のようないわゆる一次元衝突については多くの実験結果があるので、衝突速度の推定が可能だからである。しかし、出合頭事故など、衝突によって横滑りや回転が生じた場合は、車両が平面運動することから二次元衝突といわれるが、そういうばあいの衝突速度は不確定要素が多いため、計算が困難だと言われている。つまり、衝突速度がわかるのは多種多様な事故の中でも限定されたケースなのである(注1)。これは事故調査を行なう上での基本的な知識だから覚えておいてほしい。

(注1)たとえば自研センター発行の藤田光伸「衝突速度の推定」論文

もう少し詳しく説明しよう。

一次元衝突とは

【一次元衝突、二次元衝突、三次元衝突】

衝突前後の運動が一直線上に限られる衝突が一次元衝突である。X軸方向だけの議論になる。追突はおおむね一次元衝突である。

衝突前後の運動が一平面に限られる衝突が二次元衝突である。交差点での出合い頭衝突は二次元衝突である。一平面内のX軸方向および直角なY軸方向の直線運動と、右または左回りのヨー回転(垂直軸回りの回転)運動が重なった運動になる。

自動車の衝突前の運動はほとんど直線運動であるが、衝突後は回転運動を含んだ二次元衝突になることが少なくない。

自動車の衝突は大部分が一次元または二次元衝突である。

衝突の結果、前後、左右だけでなく、上下の運動もする。また、ヨー回転(垂直軸回りの回転)だけでなく、ピッチング回転(左右軸回りの回転)やローリング回転(前後軸回りの回転)もすると、これは三次元衝突である。互いに直角なX、Y、Z軸方向の直線運動およびX、Y、Z軸回りの回転運動の合成運動になる。

(「実用 自動車事故鑑定工学」林洋著・P31)

側面衝突は考察の対象外になっている

さらに同書では、

側面衝突は、大部分が交差点で起こる。

①出合い頭衝突
②右折側突
③左折側突

等は交差点事故である。

そして、単路で起こるのが、

④車線変更側突

であるとして、明確に区別している。そして、衝突速度の推定をしているのはこのうちの交差点内の「直角側面衝突」だけである(P161-167)。

それ以外は推定が困難だからだと思われる。したがって、単路上の車線変更型では「直角側面衝突」は起こらないから考察の対象外になっていた。

もうひとつの資料の追加説明

もうひとつの資料も一次元衝突である追突事故のものだが、
sokudosuitei02

「事故解析技法」という本(P119)からの抜粋である。その説明では、「図では前部と後部の損傷とに分けられているが、どちらも車体部品の修理発生率が50%を超えるときの有効衝突速度である。修理協定見積の内容から求めたものである」(P120)としている。

ある損保顧問弁護士のこと

余談だが、過日、損保の顧問弁護士をやっているという触れ込みのおっさん(失礼、おっさんと表現したがぼくよりも若いけど)にお会いした。交通事故が得意だということで、クルマの損傷内容から衝突速度がわかるのだとまでおっしゃっていた。ぼくは、思わず、えぇ、そうなんですかとつぶやいてしまった。それに対して、そうですよ、わかるのですと断言された。

その顧問弁護士に相談した事故とは車線変更側突型の二次元衝突事故なのである。どのようにしたら速度の推定が可能なのか。交通事故鑑定人ならひょっとしてできるのかもしれないが、自動車工学にとくに詳しいとも思えなかったし、敷居の高そうな方だったので、それ以上聞き返す気にぼくはならなかった。

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交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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