後退事故の過失割合

公道上の後退事故のネット情報がほとんど存在しない

「後退事故 過失割合」でネット検索した。後退事故については駐車場内の事故のひとつとして取りあげているサイトが主で、公道上の後退事故について取り上げているサイトはほとんどみつからなかった。その理由を、公道上の後退による事故はまれだからと説明しているサイトもあった。たしかにそうかもしれない。でも、ぼく自身、公道上での事故を目撃したことが何度かあるし、調査したことならさらに多い。

当記事で扱うのは公道上の後退事故

「寄与度と非典型過失相殺」(ぎょうせい)という本では、「後退事故」について以下の6つに区分している。

①誘導員などとの事故
②歩行者との事故
③バック車両に追突
④出合頭
⑤路外から道路に入る場合
⑥バック車が衝突


 
当記事では、このうちの、対歩行者や対誘導員との事故や、駐車場内の事故を除いたもの、すなわち、公道のなかの一般路上で起こった車両同士の事故について扱うことにしたい。

後退と逆走

さて、そもそもの話になるが、「後退」事故とはどういう事故のことをいうのだろうか。質問の意味・意図がさっぱりわからんと言われそうなので補足すると、たとえば3mバックしたら、後ろの駐車車両にぶつけてしまった。これは「後退」中の事故だといえそうだ。しかし、3mでなくて15mだったらどうだろうか。あるいは100mだったらどうだろうか。

15mだったら微妙かもしれないが、100mもだったら、「後退事故」にはならず、「逆走事故」と評価されるだろう。「後退事故」と「逆走事故」の大きな違いは、前者なら10~20%程度の過失加算されるだけですむ(注1)のに対して、後者なら100%の過失ありと評価されうる点にある。だから、この違いはたいへん重要である。だが、動きそのものに着目すれば、「後退」という動作の延長線上に「逆走」がある。どれだけ「後退」すれば「逆走」になるのか。そのメルクマールはどこにあるのか。
 

(注1)

前進車よりも後退車により多くの注意義務が課される理由。

「元来自動車は前進するのが普通で、構造上もそのようにできており、後退するのは特別の必要のある場合に限られるものであるから、歩行者、佇立者は自動車が突然後退してくることは通常予想していない。それだから自動車運転者が道路上で自動車を後退させるに当たっては、前進させる場合に比べ、更に格段の後方確認に注意すべき業務上の注意義務があり、後方に佇立している者を発見した時は、警音器を鳴らすなどして注意を喚起し、なお絶えず、その動静に注視しながら徐行しつつ後退すべき注意義務がある」(東京高裁・昭和42年2月14日)
(この判例は対歩行者の事故だが、前進車と後退車の特性に言及していたので引用した)

後退事故に特徴的なこと

後退事故に特徴的と思われる点を以下に列記する。

①後退は道交法上認められる。

②後退は死角の範囲が拡大する。

③後退車は回避行為が困難。

④前進車に比べて速度が低速である場合が多い。(そのため、後退車は低速なので、前進車が回避可能性が高くなるとの指摘あり。)

⑤後退車には事前の安全確認(後方の交通状況に特別の注意を払う必要があり、運転席から後方に死角が生じるばあいは、自ら降車して後方確認し、後退を開始すべき業務上の注意義務がある(東京高裁 昭和54年11月15日))や合図、警笛を鳴らすなどが必要。

⑥前進車側に停止主張がある場合は、破損部位の形状に注意すること。凹部か流れ損傷かで停止していたかどうかがわかるケースあり。

さて、最初の疑問に戻る。どこまでが「後退」で、どこからが「逆走」なのか。

このことを考える上での基本情報

後退車の左側部分通行の原則(道交法17条4項)

Ⅳ車両は、道路(歩道等と車道の区別のある道路においては、車道。以下第9節の2までにおいて同じ)の中央(軌道が道路の側端に寄って設けられている場合においては当該道路の軌道敷を除いた部分の中央とし、道路標識等による中央線が設けられているときはその中央線の設けられた道路の部分を中央とする。以下同じ)から左の部分を通行しなければならない。

「執務資料 道路交通法解説16訂版」」によると、
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第4項の「通行しなければならない」とは「この「法律上「通行」とは、必ずしも前進のみをいうのではなく、後退をも含むと解されている。したがって、後退が著しく長くなる(約100メートル)ときは、通行部分を変更しなければならないと解する(P182)。

 

さらに、

後退等の禁止(道交法25条の2)

Ⅰ車両は、歩行者または他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは、・・・後退してはならない。
Ⅱ車両は、道路標識等により・・・後退が禁止されている道路の部分においては、当該禁止された行為をしてはならない。

 

後退とは、車両が向きを変えないで、直後方又は斜め後方へ退行することで、一時停止後だけでなく、駐車後に後退しても、やはり本条(25条の2)の後退に当たると解される。

後退は前進と同様、通行の概念に含まれると解されるので、道路の左側にあって、後退をしても、その距離が長くなると右側通行になるので、その場合は、後退進行方向に向かって道路の左側部分に移行して通行しなければならないことになると解される。この場合どのくらいの距離を後退すれば右側通行違反となるかについては、固定的、一義的に決めることは困難である。しかし、実際の問題としては、後退の初期段階において、本条1項の規定が適用されることになり、右側通行違反を問題とするということはないであろう(P245)

 
100mなら「逆走」だけれど、それよりも短い距離については回答を留保している(判例には38.8mで「逆走」としていた)。いずれにしろ、こういう判断は「固定的、一義的に決めることは困難である」として、あくまで評価の問題であるとしている。

なお、一方通行路での後退については、一方通行路(→)を後退(←)すると一方通行違反だが、後退(→)しても、一方通行違反にならないことに注意したい。

後退事故に関する判例紹介

①秋田地裁大曲支部 昭和49年8月20日判決
駐車場に進入しようとして、後退左折中の加害・普通乗用車と、被害・後続直進原付の衝突事故。前方注視を怠った被害・原付に50%の過失を認定。

 
jiko01
 

②富山地裁 昭和57年9月6日判決
T字路交差点において、突き当たり路からの後退進入してきたA車と、直進B車との接触事故。A車とB車の過失割合を70対30とした。

 
jiko002
 

③名古屋地裁 昭和60年8月30日判決
片側4車線の国道を進行中に、行き過ぎたため後退していたA車。片や、幅員5.5mの一時停止標識の設けられている道路から国道に向けて直進中のB車との衝突事故。A車に後方安全確認不足、B車に、一時停止違反並びに進路左方の安全確認不足があった。よって、50対50の過失認定。

 
jiko003
 

④東京地裁 昭和62年3月31日判決
路地上のT字路交差点内の事故。突き当たり路側からの後退車に直進路側走行車が衝突した。後退車に漫然後退させた過失と、直進車側の前方不注視により、80対20とした。

 
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⑤大阪地裁 平成3年5月13日判決
夜間、路上にスペースがなかったため、右後方を0.6mはみ出して斜めに駐車していた普通乗用車に、後退普通乗用車が衝突した事例。駐車禁止規制なし。駐車車両の右側端から道路右端まで3.5m以上の通行スペースがあった。夜間照明もあり、駐車車両の発見が困難とはいえない状況だった。よって、駐車車両の無過失を認定。

 
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⑥大阪地裁 平成3年7月11日判決
中央寄り車線からバックで工事現場に入ろうとしたダンプカー後部に普通乗用車が衝突した事故。普通乗用車に減速徐行義務違反、前方不注視の過失ありとして、80%の過失を認定し、工事現場管理者に対して、道路管理義務違反による20%の過失を認定した。

 
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⑦東京地裁 平成3年11月29日判決
廃油の積み下ろしのため、路外側道へバックで進入しようと、第一、第二車線を遮って停車中の加害大型貨物車に、速度超過で走行してきた被害二輪車が大型貨物車右側面後部に衝突した事案。被害者に前方不注視、速度超過で40%の過失相殺を認めた事例。

 
jiko007
 

⑧大阪地裁 平成5年1月20日判決
夜間に、国道に至る一方通行の側道から後ろ向き逆走(38.8m)した軽四貨物自動車と、導流帯を無視して国道を走行して衝突した自動二輪車の事故。逆走車に90%、自動二輪に10%の過失認定した。

 
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⑨大阪地裁 平成6年8月25日判決
道路外後退進入車と直進原付の事故。見通しがよく夜間でも明るかったにもかかわらず進路前方に対する注意を怠ったことを理由に、50対50と認定された。

 
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⑩大阪地裁 平成9年1月23日判決
見落としの悪い、信号のない十字路交差点を時速5キロで後退中の貨物自動車に、交差道路側からの進行・進入自転車が衝突した事例。自転車側の前方不注視による30%の過失を認定した。

 
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⑪神戸地裁 平成11年10月6日判決
駐車場からバックして道路に出ようとした軽四貨物車と、道路進行中の普通乗用車が衝突した事例。普通乗用車側のドライバーが、事故現場をよく通っており、駐車場からの出入があることを知っていたにもかかわらず、徐行せず時速20~30キロで走行しつづけた過失により、10%の過失を認定した。

 
jiko011
 

【補足説明】
以前書いた記事に若干の加筆を行っただけだが、関係資料をもう一度確認した上で、不十分なところやさらに判例等を加える予定である。とりあえず現状で公開したい。

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突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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