「欠陥車と企業犯罪」(伊藤正孝著)


【lemon-carとは、欠陥車のこと】

伊藤正孝氏は大好きなジャーナリストのひとりだった

この本、昔読んだことがあるんですよ。欠陥車問題に興味があったからでなくて、著者の伊藤氏に興味というか、大好きなジャーナリストの1人だったので読んでいました。当時は保険調査という仕事に就くまえのことだったからかその内容をほとんど覚えておらず、改めて読み返しましたが、新鮮な驚きの連続でした。

ユーザーユニオン事件

アメリカのラルフネーダーなどが脚光をあび消費者運動が盛んだった1970年ころ、ユーザーユニオンという組織が欠陥車問題を大々的にとりあげ、メーカー側と交渉していく。だが、そのメーカーと検察によってつぶされていく過程を、あのホンダN360の欠陥問題を軸にまとめている本です。

ユーザーユニオンとは改めて何だったのか。ネットで調べてみたら、ウィキペディアで「ユーザーユニオン事件」としてとりあげられていました。ただし、あまりにひどいとりあげ方ですね。そこでは、ユーザーユニオンとはただのタカリ屋です。ソースは同じ伊藤氏の著書だけなのに、この本を素直に読めばそんなふうには決してならなかったはずです。
ユーザーユニオン事件」(Wikipedia)

もし私がとりあげていたら、これとは印象がまったく違う内容になっていたことでしょう。こんな取り上げ方をされたら、著者である伊藤氏が存命なら、きっと怒り狂っていたにちがいありません。

保険調査では「車」は聖域扱い

言うまでもありませんが、交通事故は、「(人-車-道)システムの欠陥によって起こ」ります(「路上 の運転と行動の科学」シャイナー著・P22)。保険調査では、そのうちの「人」だけが取り上げられ、「車」や「道」が取り上げられることはほとんどありません。すっぽり抜け落ちています。この本でも同じようなことが書かれていました。

新聞は熱心に交通事故キャンペーンをやってきた。しかし車の構造が原因の事故は、全部整備が悪かったとして、運転者のミスにしてきた。もともと自動車の性能や強度は、新聞社や警察にとって一種の聖域になっており、設計の悪い車がかつて指摘された例はない。

そうすると、警察も新聞も、無実の運転者を罪人におとしめたのではなかったのか? 朝日新聞社に入社以来、ずぅと警察を担当してきた私は、無数の交通事故の現場に立った。事故を起こした運転者の何人かが「ブレーキがきかなくなった」「ハンドルのぐあいがおかしかった」と訴えるのをみたことがある。交通警官は即座に冷たくいう。「機械が急に悪くなるものじゃない。きょう車に乗る前に点検したかね」。運転者はうなだれる。新聞記者も「人をはねておきながら、車のせいにするとはふといやつ」と、ことさら意地悪な質問を運転者に浴びせる・・・。(P70-)。

私自身どうだったでしょうか。「車から急に火が出まして・・・」と事故の説明をする運転者がいたのを思い出しました。ウソつけ、お前が火をつけたんだろうと、内心思いながら、ことさらに意地悪な質問を運転者に浴びせていました。保険金詐欺の要素の強いモラル調査という事情もありました。

しかし、たまたまそうだったのかもしれませんが、この1件くらいしか思い出せません。メーカー側の味方をするつもりはありませんが、正直にいうと、交通事故を2000件くらい扱っていたにもかかわらず、車の性能や強度に疑問を投げかける事故当事者にこれまでほとんど遭ったことがありません。

私自身にその視点が欠けていたのかもしれませんし、保険調査員にその種の調査が来なかっただけなのかもしれません(保険調査は人の「過失」の有無が調査対象だから。車の欠陥は調査対象ではない)。ほとんど記憶にありませんね。

過去はいざしらず、日本の車は優秀なんですよ。そのあたりは著者である伊藤氏の体験とはやや違いますが、今でも日本の車は比較的優秀だろうと私は思っています。ただ、その根拠は・・・と問われれば、経験的なものだとしか答えられません。

欠陥車は「経済性と安全性の均衡が破れるときに発生する」

伊藤氏によれば、欠陥車は技術上の問題で発生するのではなくて、経済性と安全性の均衡が破れるときに発生するとしています。ここはこの本のキモなので、引用します。

技術者たちが経験を積み、自信をつけるにつれて、安全を値切るようになっていった。部品の工程と品質を落とせば、安全性は低下する。それでも事故につながらない程度まで、ぎりぎりの綱渡りをめざすのである。

たとえばエンジンを開発する場合、品質のいいのと悪いのと2種類用意する。両方とも実験をパスすれば、品質の悪い方が採用される。メーカーは「不必要に品質が良ければ、単価があがってかえってユーザーの不利益につながる」という。しかし、「不必要に」という判断は綱渡りの思想に支えられているのであり、一歩踏みはずせば墜死である(P202)。

ウィキペディアは信頼できない

ところで、今回に限らず、もともと、ウィキペディアにはいい印象がありません。私は、執筆・編集の個人責任が不明瞭であるウィキペディアに懐疑的です。細部に誤りが多く、ソースも示されないことが珍しくありません。

ソースが示されていても、今回のようにそのソース(伊藤氏の本)の言いたいことにはまったく触れず、ねじまげて、真逆の方向に持っていこうとする。仮にも「事典」と名乗っている以上、何よりも客観的な正確さと学術的な専門性が必要なはずですよね。

池袋暴走事故について思うこと

当局(捜査機関)の要請とはいえ、問題となっている事故車両をつくったメーカー自身が、当該車両の欠陥の有無を調査するというのは、あまりにも公平性を欠くのではないでしょうか。万一、車両に不具合があった場合、メーカーも『事件の当事者』ということになるのですから……」(柳原三佳氏の記事より)

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