「憲法学教室 第3版」(浦部法穂著)を読み返す

憲法改正ももう待ったなしに

本日、ネットを見ていたら、「安倍晋三首相 所信表明演説で憲法改正議論進展に意欲 第197臨時国会召集」というニュースをやっていた。憲法改正が具体的な政治日程になってきた。もう待ったなしだ。

日程にあがっているものの、まだ改正(改悪)されたわけではない。が、そういうぼく自身は半ばあきらめかけている。それじゃいけないと思う。2年半前に、出版されたばかりのある憲法書を旧サイトで紹介したことがある。2名の弁護士の方から「いいね」と賛意もいただいた。日本国憲法とはどういう憲法なのか。「押し付け」だの、「古臭い」だの、「翻訳調」だのと本質的でないところでぼろんかすに言われているが、実際のところはどうなのか。みなさん、この機会に憲法書を読んでみよう。憲法改正までまだ間がある。あきらめるのはまだ早い。そう思い、改めてその記事を紹介してみたいと思った。

浦部法穂の「憲法学教室」

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もう風前の灯火になりかけつつある日本国憲法。ぼくはすばらしい憲法だと思うし、ぜんぜん新しくもないのに、なぜだか「新」9条論とかいわれているものも含めて、改憲など決して許してはならないと強く思う。その、大切な日本国憲法への熱い・熱い思いそのままの憲法書がこのたび発売された。いや、今だからこそまさに発売された。浦部法穂の「憲法学教室」のことである。立場も明確、論理も明快.。だからすごく読みやすい。憲法改悪阻止のための知的反撃の書である。10年ぶりの大幅改訂版だということだったので、旧版は持っていたがさっそく注文することにした。

その浦部憲法書に対して、偏向しているとか、中立的でないとか、わけのわからん批判がある。そもそも偏向してない本、中立的な本なんてこの世に存在するのだろうか。存在するのだったら、ぜひ教えていただきたいものだ。

偏向とは何か

偏向とは何か、中立的とは何か。これらの言葉の意味するところについてちょっとでもまじめに考えてみたことがある人なら、安易にこれらの言葉を使っての批判などできないはずである。自分は偏向していない、中立の立場なのだとおめでたくも考えている人が多いようなので、そのイデオロギー性について、丸山真男が以下のように書いている。ご紹介しよう。

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。

「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

浦部憲法はむちゃくちゃ偏向している

浦部憲法は「公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない」という類の本である。そう、むちゃくちゃ偏向しているのだ。すなわち、庶民の立場に立って、為政者に対して憲法を守れと強く主張している。したがって、けっしていわゆる中立的な本ではない。世に多く出回っているような、為政者にも理解を示し、庶民にも理解を示すというような、一見中立的だが、どっちつかずで、どちらにもいい顔をしようとする。その結果、為政者への「しばり」になりきらない現状追認の本とは一線を画す。

どんなにひどい犯罪者集団であれ、どんなにむごい反社会集団であれ、かれらの犠牲者数は多くても数十人か数百人ていどである。が、歴史を振り返ると、為政者による犠牲者数はその数倍どころでない。数百万あるいは数千万に達するのだ。桁がそもそも違うのである。

「 権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」。この本は、このような為政者性悪説観にたって、その被害の途方もない大きさを二度と繰り返さないために、為政者からの最大の被害者である庶民の立場であることを著者は明確に示し、その上で為政者を縛るための論理を展開している。憲法が為政者を縛るためのものであるなら、立憲主義に立つことを徹底するなら、ぼくは浦部の立場を熱烈に支持する。そこが、たとえば芦部本との決定的な違いだろう。芦部憲法を1度読んだことがあるが、頭が悪くてメンドくさがり屋のぼくには、芦部本の、まわりくどくて、行間を読まないと理解しがたい難解さに、退屈きわまりなかった。
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うさんくさい「新」9条論

ここで、ついでに「新」9条論についても一言しておきたい。下記は、斎藤美奈子氏の新聞に公開されたエッセイで、公開当時非常に評判になった。「新」9条論のうさんくささの本質を突いていたからである。

ある所与の現実と、その現実に対応させられた言葉がある。ところがこの言葉自体は、現実そのものにではなく、現実にあてがわれた観念と組みあわさっている。この観念と言葉との関係はピッタリ一致するものではなく、実はうさんくさいものだ。憲法の文言だって同じだ。

「新」9条論を唱えている学者たちは、9条の文言をもっと厳密に規定しなおせば解釈改憲など起こりっこないと考えているらしい。しかし、どんなに厳密に規定しなおしても、憲法の文言もそれが言葉で形作られているかぎり、言葉一般の特性である観念と言葉との関係にあるそのうさんくささから逃れることはできない。斎藤美奈子氏はそのことを言っているのである。

「一流」とかいわれているらしい学者やマスコミ人たちがこぞってそのことが理解できないらしく、どんなに批判されても撤回する様子がまったくない。蛙のツラに小便。どうしてわざわざこのタイミングに、政府与党の違憲行為を追認するかのような「新」9条論なのか。自分たちが唱えている「新」9条論が自民党の憲法改悪論議に収斂されてしまわないのだろうかと、どうして思わないのか。自民党の改憲が成就するときがかれらのお役御免の時期なのだろう。

そんなうさんくささ満載の「新」9条論に、どうして同意できるのか。

国連は国際間の紛争解決にどれだけ寄与しているのか

あわせて、新9条論の中には、紛争解決請負人とか称する人物が国連中心主義を唱えている。理念はともかく、実際の国連がどうなっているのか。ぼくの印象では、国連は国際紛争の解決に役立つためという理念とは裏腹に、国際間の紛争をかえってこじらせているという印象がある。ぼくの印象のどこまでが正しくてどこまでが正しくないのかを知りたくて、「国連を支配するアメリカ」という本も参考のために買った。

目次
1.国際連合―その創設者たちと歩み
2.中心的な舞台―ワシントンのイラク戦争における国連の役割と権能
3.誰が国連を支配するのかー国連内民主主義の闘い
4.平和維持、介入、そして全く新しい世界
5.ワシントンがしがみつく「自分たちのための平和」
6.戦争に突き進む「平和維持」
7.世界の注目を集めて
8.中東・パレスチナ問題は例外
9.結論―新しい国際主義の下での国連

2005年発行と古いが、目次をみるだけで、国連の理念がいかに捻じ曲げらたのかがわかるだろう。唯一の超大国であるアメリカが、どのように国際連合を自国の「外交政策の道具」として扱い、国連創設時の高邁な理念・理想をゆがめてきたかについて記述してある。書き出しからいきなりこうである。

2003年8月19日、米軍占領下のバクダッドにあるキャネル・ホテルに設置された国際連合イラク本部の外で、トラックに積載された巨大な爆発物が炸裂し、国連職員22人が死亡しました。これは、国連が無理やり米国の戦略的支配に服従させられるとき、どんな代償を支払わなければならないのか、そのことをすさまじい形で私たちの面前に突きつける事件でした。・・・(P13)

国連中心主義のうさんくささもここにある。

以前は中古でも高くて買えなかったが、今だと1円で買える。郵送料込でも258円だ。

今からでも遅くない。一家に一冊、日本国憲法書を

さあ、みなさん、この機会に憲法書を読んでみましょうよ。大部の浦部本(636ページ)でなくて(それでも3、4日もあれば読めると思う)、たとえば下記の新書でもいいから、とにかく、食わず嫌いで日本国憲法に悪い印象を持っている方、よく知らない方にはお勧めである。


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当事務所の立場

突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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なお、当サイトは中国語でも対応可能である。電話でもいいし、メッセージでもよろしい。

本现场可以用汉语对应、如过在日本有遇到交通事故的无论是中国人还是台湾人、请随时商量、商量的时候、请在网上「留言」。

【推薦図書】

これまでに購入した中で、特に役に立った図書です。アマゾンから購入可能なものに限定しました。アマゾン以外からの購入図書については、こちらこちらの記事をごらんになっていただきたい。

(事故調査)

1⃣
林洋氏の代表作。定番教科書である。現場調査に欠かせない視点を提供してくれる。

 

2⃣
江守一郎氏の代表作。新版(と言っても1984年)あり。これも定番教科書のひとつと言われている。

(過失割合・賠償の範囲に役立つ本)

 

2⃣
交通事故訴訟をリードする東京地裁民事27部の裁判官が参加している。裁判所の判断の傾向を知るのに有用。

 

3⃣
道交法の定番教科書。

 

4⃣
「信頼の原則」という記事を書いた際に、たいへん参考になった。この本なくして「信頼の原則」の記事の信頼度は無きに等しい。

(保険を知るのに役立つ本)

1⃣
これ一冊あれば、任意保険のたいていのことはわかる。

 

2⃣
自賠法条文の解説書。

(後遺障害を知るのに役立つ本)

後遺障害をやるのだったら、これは必読書である。参考文献の紹介も豊富。

 

8⃣
先に紹介した弁護士本をたぶんに意識した本である。つまり、高野他本に載っていない遷延性意識障害とかPTSDとかを積極的にとりあげている。

(交通心理学に関する本)



類書はたくさんあれど、外国の調査研究が宝庫のように詰まっている。

(特殊分野編)
いいもわるいも特殊分野の本なので、これを見るしかないという本。

1⃣
旧版(第2集)は持っているが、その後の判例の展開を示した新版の第3集あり。全損賠償の決定版。

 

 

 

4⃣
上の3著の著者・海道野守氏が一般向けに書かれた物損請求書。古いが、わかりやすくてすごくいい本である。

 

5⃣
これも休業損害分野の唯一の本。毎年のように改定されている。ここの先生は休業損害だけでなく、実は休車損の調査もやられていたから、休車損の本も書いていただけるとありがたいのだが。

(交通事故を考える上で、最初に読んでおきたい本)

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