バイクの路側帯走行と過失割合

道路には歩道なども含まれる

道路というと、車道と同じ意味だと理解している人が多い。むしろふだんの会話ではそのような使われ方が一般的なのでそれでいいと思う。しかし、交通事故にあったばあいに頻出する道交法では、道路には歩道なども含まれるため、そこはきっちり区別したい。以下に、それをわかりやすく図示した。

道路とは(自研センター資料にもとづく)
自転車歩行者道路上施設
自転車道
歩道
植樹帯
側帯中央帯
路肩
車道停車帯交通島(車道施設)
副帯
屈折車線
変速車線
登坂車線
車線

路側帯と車道外側線の外

0324自転車イラスト2
(横浜交通局HPより)
 
歩道と車道外側線に囲まれた部分は「路側帯」ではない。歩道に付属している部分は「車道外側線の外」である。「車道外側線の外」は「車道」に含まれる。

他方、路側帯は歩行者や自転車が通るところなので、車道ではない。問題はどこまでが路側帯かである。このことが問題になるのはたとえば歩行者が路側帯にある車道外側線上を歩行していたときである。線上だと路側帯を歩いていたことになるのか、それとも車道を歩いていたことになるのか。過失割合に影響してくるのでたいへん重要である。ほかにも、広路・狭路を決める際に重要である。下の画像はネットでみつかったものだが、路側帯に車道外側線を含めていない。これは正しいかどうかというと、正しくない。路側帯には車道外側線も含まれるからだ。
 
batu
 
以上のことを図で示した。赤線が車道、緑線が路側帯である。車道外側線のどこまでが含まれるのか注意してほしい。
 
rosokutai02

道路の計測方法

dourokeisoku
 
ふつうは赤線のような計測をしている人が多いけれど、この計測法だと、1つの計測ミスが全体に及んでしまうためあまり勧められない。青線のように、基準を設定して計測するというのが一番いい。ただし、警察のように通行止めにして計測できるわけじゃないから、そのあたりは無理強いしない。いずれにしろ、後者が理想だということだけでも覚えておいてほしい。

なお、「路側帯」というのは、

①通常の路側帯(軽車両通行可。車両の駐停車可)
②車両駐停車禁止路側帯
③歩行者専用路側帯
 
rosokutai01
ヤフー知恵袋より拝借)
 
に区分される。

歩道がない場合は、一般的にはその代用としての③の歩行者専用路側帯である。なお、路側帯の幅には設置基準があるため、歩道がないからそれは路側帯だとは必ずしもならないことに注意したい。

バイクの路側帯走行について

前置きが長くなった。路側帯は歩行者や自転車が通るところだが、そこをバイクが通っていて車と事故になったばあい、バイクの違法行為が過失割合にどう影響するのか、これが当記事の目的だった。この種の事故は案外多い(たとえば車左折時の巻き込み事故)にもかかわらず、これに関する書籍もないし、ネット情報もない(あったら教えてください)。「バイクの巻き込み  過失割合」はいくつかヒットするが、そこに路側帯走行を加えるとまったくヒットしなくなる。事故としては決して珍しいものではなく、自転車の路側帯走行中の事故も含めると、きわめてありふれたものである。たとえばこういう現場だ。

sasetuji

バイク路側帯走行に関する判例

東京地裁 昭和61年7月24日判決
右折車線があるため、左側車線が路側帯へ食い込むような状態となっている箇所で路側帯寄りを走行中の原付自転車が幅寄せされた状態で加害小型貨物車に接触され、転倒したところを轢過されて死亡した事案につき、被害原付自転車に10%の過失相殺が適用された事例。

 
判決文では「路側帯」になっていたが、現場は歩道に隣接しているため、「路側帯」でなく、「車道外側線の外」である。つまり、車道上の事故である。しかし、判決文では路側帯だと勘違いしている。にもかかわらず、バイクの路側帯走行につき過失を認定していない。バイク側の過失10%は、右側に車が走行してくることによる注意義務の発生を根拠にするものであった。

バイクの路側帯走行はふつうにみられる。その事実を重くみた判決のようだ。

横浜地裁 昭和47年10月3日判決
路肩とは道路の主要構造部を保護し、または車道の効用を保つために、車道または歩道に接続して路端寄りに設けられている帯状の道路の部分をいい(道路構造法令等)これもまた道路の一部であることは明らかである。さらに、車両制限令9条は車道を通行する自動車は、その車輪が路肩にはみ出してはならない旨規定しているが、右禁止規定からは原動機付自転車は除外されている。そればかりか、車両通行帯の設けられていない道路にあっては、原動機付自転車は道路の左側に寄って通行しなければならず(道交法18条1項)、特に歩道、車道の区別のない道路で交通量が多くそのうえ道路幅があまり広くない道路においては、原動機付自転車が路肩部分に進入して通行することは通常予定されていることである。

 
こちらの判決では、原付の路肩走行を「通常予定されている」として認めている。

車両制限令

(路肩通行の制限)
第9条 歩道、自転車道又は自転車歩行者道のいずれをも有しない道路を通行する自動車は、その車輪が路肩(路肩が明らかでない道路にあつては、路端から車道寄りの0.5メートル(トンネル、橋又は高架の道路にあつては、0.25メートル)の幅の道路の部分)にはみ出してはならない。

 
 
(16・6・8追記)
横浜地裁 昭和47年10月3日判決を加えた。そのため、新たな疑問点が出てきたが保留にしたい。 
 
(16・9・11追記)裁定例を追加した。 
【福岡・第714号】
路側帯走行の自動二輪と第一車線から合図を出して左折し、路外駐車場にはいろうとした普通貨物車との衝突事故。自動二輪20対普通貨物車80。自動二輪の路側帯走行については過失認定されていない。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


事務所所在地・連絡先

ホームズ調査事務所:
石川県加賀市
電話番号:090-1314-0234

電話・メールをされる前に、「お問い合わせ」欄を読んでくださいね。

当事務所の立場

突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

【当サイトご利用上の注意】

当サイト内の情報を利用したことにより何らかの損害が発生しても、一切責任を負いません。自己責任でお願いいたします。また、記事を書いた後に、法律が変わったりするなど、現状を反映していないことがあります。その後の改正等についてはフォローしていくつもりですが、ご注意ください。

著作権にかかわることですが、当サイトの記事をコピーされる方が後を絶たない。公開した記事なので、コピーしていただくのはまったくかまわない。ただし、判例文のコピーによる引用は別にして、それ以外の文章の引用については、引用元を示したうえで、どこからどこまで引用したかも明示してください。

なお、当サイトは中国語でも対応可能である。電話でもいいし、メッセージでもよろしい。

本现场可以用汉语对应、如过在日本有遇到交通事故的无论是中国人还是台湾人、请随时商量、商量的时候、请在网上「留言」。

おすすめ記事

アーカイブ

カテゴリー

ページ上部へ戻る