エスペラントに再挑戦してみた。エスペラントに対するイメージとは

ヒマがあまりなくとぎれとぎれだし、すぐにあきらめてやめてしまうかもしれないけれど、エスペラントの勉強を始めた。

エスペラントという「人工言語」(注)を作ったのはザメンホフという人で、世界中のあらゆる人が簡単に学ぶことができるらしく(トルストイは2時間で習得したとかいうどこまで本気にしていいのかわからない話もある)、すべての人の第2言語としての国際補助語を目指している。ザメンホフの抱く理想に共鳴して学ぶ人が多くいる一方、理想よりも実用的に他国の人と会話したり、旅行目的で学ぶ人もいる。ぼくの場合は、あえてどっちかというと後者かなあ。

エスペラントを話す人の間には同志的つながりがあるらしく、「エスペラントを話す人なら無料で自宅に泊めます」という人たちのボランティア組織があり、名簿がネットでも公開されている。90カ国くらいから登録があるそうだ。見ず知らずの外国人をいきなり泊めるのだから、エスペラントを介しての信頼関係がどれほど強いものなのかをうかがい知ることができる。海外旅行に行くカネもヒマもありそうにないぼくだけれど、もし海外旅行ができてエスぺランチストの誰かにお世話になったら、こっちも一宿一飯の恩義に報いるために、ぼくも登録しようかと思っている。そのためには、日常会話レベルにエスペラントができないと話にならない。

(注)

「自然言語」に対する「人工言語」。「人工言語」というのも妙な表現だ。言語とはすべて人がかかわり、作り上げたものだから。そのため「計画言語」を推奨する人もいる。

 
エスペラントを学びたいと思った直接の動機は、田中克彦氏の「エスペラント」を読んで、ぼくのばあい、大いに啓蒙されたことが大きい。


 
エスペラントに再挑戦と表題に書いたけれど、実は大学を卒業したてのころに、エスペラントがどういう言語なのかを知りたくて、日本エスぺラント協会にエスペラントに関する小冊子を送っていただいたことがある。あのときは、何かと忙しくて挑戦できなかったから、あれ以来数十年ぶりの挑戦ということになる。年齢的にもうあとがない(涙)。

では、英語でなくて中国語でなくて朝鮮語でなくてフランス語でなくてドイツ語でなくて、スペイン語でもなくて、なぜエスペラントなのか。ベトナム語でなくて、モンゴル語でなくて、アラビア語でなくて、スワヒリ語でもなくて、どうしてエスペラントなのか。田中氏は先の本の「あとがき」でこんなことを書いている。

私たちは何か外国語を学んでみようと思いたつとき、どんなふうにかはっきりとは言えないが、その外国語が帯びているイメージにひかれている。ではそのイメージは、いったい何によってつくられるのだろうか。ことばそのものというよりは、そのことばが話されている国、そのことばで登場するファッションだの映画だのによるところが大きい。(P205)

 
エスペラントが喚起するイメージといえば、ぼくはエスペラントそのものについては何も知らないから、エスペラントを話す人にかかわるイメージになる。――①知的なこと。②国家主義者でなく民族主義者でもなく、その対立物としてのコスモポリタンなこと。③ことばの獲得には多大な時間を要するから、どっちかというと労働から解放されていること、つまりヒマ人だということ。④英語とかフランス語とかでなく、エスペラントをやろうというのは、どっか変わっていないとできないだろうこと、つまり変人だということ。⑤おカネにならないことに一生懸命になろうとすること⑥一説には絶滅危惧種と言われるエスペラントだが、あえてこんなのを学ぼうとするのは、役に立つことよりも役に立たないことに価値があるという人生観の持ち主だということ⑦夢想家⑧どちらかというと、資産家あるいは教育者⑨言葉の問題に関心のある人、というぼくなりの勝手なイメージがある。まだまだありそうだが、今思いつくものとしては、まぁ、こんなものだろう。

他にも、内的イメージによる動機付けがあるらしい。

エスペラントを学ぶ動機には、労働者の国際的連帯とか、世界の諸民族が、ことばの壁を乗り越えるためなどがあげられる。それらは外に向かって、いわば外に出て行くための外面的な手段である。ところが、そのような外に向かっての伝達の手段というよりは、むしろ、内に向って自らを言語的に解放するという内的な目的をめざすこともある。たとえば石川啄木がローマ字で日記をつけたのも、読者にローマ字を読む習慣をつけさせようという普及手段ではなくて、漢字やひらがなではなく、そこにかくれているオトそのものを露出させようという、内に向って日本語に、今まで気づかれなかった感性を開こうというそれ自体の目的をもって利用されたように。

そういう意味では、既存のしばられた言語のわくをはみだして、より自由な表現手段を求めようと願う詩人にとって、エスペラントは、他者と語りあうためというよりは、自らの意識の基層にひそむ、いまだ形をとらぬ言語に形をあたえようという内なる要求にもとづいて内化された言語だったのである。

言語はときに「コミュニケーションの手段」などという、うすっぺらな表現ではとらえられない、それをこえた動機を内に秘めている。絶滅に瀕した小さな民族の言語がしぶとく残りつづけるのとはまた異なった、ことによるとそれに優る動機がエスペラントにはそなわってきたのではないかと思われる。その動機を発見し、生命をあたえるものこそ、詩的な衝動と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。(P151-)

 
目のうろこが落ちた。詩人ではないぼくにはこういう内的イメージや欲求はないけれど、こんな動機でエスペラントをやる人もいるんだ。

他にも、このような実際上のメリットがあるらしい。

エスペラントをやってみた人は、だれでも、やっぱりそれだけでちょっと得意な気持ちがしてうれしくなってしまうかもしれない。というのも、それはまるで、ヨーロッパの諸言語から、いろいろな面白そうなところを集めて詰め込んだ宝石箱のような感じだからである。そして、この宝石箱を開く鍵はすべての人に与えられている。メイエがいみじくも言ったように、エスペラントをやれば、「すでにヨーロッパ諸言語に半ば進み入った」のはたしかだからである。

英語が面白くてしようがない人も、もうそんなものにはうんざりだという人はなおいっそうのこと、この宝石箱をちょっとでものぞいてほしい。(P203‐)

 
さて、先のところに戻ろう。そのイメージを形作ったのは具体的には何だったか。

エスペラントは「そのことばが話されている国」というのがない。いや、どこぞの国にもエスペランチストはいるだろうから、エスペラントを話す人はいるだろうけれど、いわゆる公用語として採用している国は、世界のどこにもない。エスペラントで登場するファッションなんてあるのか知らないし、エスペラントの映画や文学作品もこれまでに見たことも読んだこともない(読めないが)。そもそも、エスペラントを話す方にお会いしたことがない。いや、まったくないこともない。海外のほっつき歩きの道中で、偶然にもエスペランチストにお二人お会いしたことがあったからだ。でも、ぼくは「こんにちは」にあたるエスペラント「Bonan tagon!」(ボーナン ターゴン)くらいしか知らなかった。ぼくが「Bonan tagon!」としゃべると、相手はそのあと何かをしゃべったが、ぼくにはさっぱりわからなかったので、あとが続かなかった。

ぼくのエスペラントの具体的イメージの形成に大いにかかわったのは、たぶん梅棹忠夫氏だと思う。直接お会いしたことがなかったけれど、大学生のころ、氏の著作はだいたい読んでいたから、その著作を通してエスペラントのことを知った。梅棹氏というフィルターを介してエスペラントへのイメージを形成したように思う。著作にどんなことが書いてあったのかまったくといっていいほど思い出せないが(大本教に関連して何か書いていた程度)、たぶんそんな気がするのだ。それ以外のエスペラントとの接点は、ぼくにはなかった。

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交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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【推薦図書】

これまでに購入した中で、特に役に立った図書です。アマゾンから購入可能なものに限定しました。アマゾン以外からの購入図書については、こちらこちらの記事をごらんになっていただきたい。

(事故調査)

1⃣
林洋氏の代表作。定番教科書である。現場調査に欠かせない視点を提供してくれる。

 

2⃣
江守一郎氏の代表作。新版(と言っても1984年)あり。これも定番教科書のひとつと言われている。

(過失割合・賠償の範囲に役立つ本)

 

2⃣
交通事故訴訟をリードする東京地裁民事27部の裁判官が参加している。裁判所の判断の傾向を知るのに有用。

 

3⃣
道交法の定番教科書。

 

4⃣
「信頼の原則」という記事を書いた際に、たいへん参考になった。この本なくして「信頼の原則」の記事の信頼度は無きに等しい。

(保険を知るのに役立つ本)

1⃣
これ一冊あれば、任意保険のたいていのことはわかる。

 

2⃣
自賠法条文の解説書。

(後遺障害を知るのに役立つ本)

後遺障害をやるのだったら、これは必読書である。参考文献の紹介も豊富。

 

8⃣
先に紹介した弁護士本をたぶんに意識した本である。つまり、高野他本に載っていない遷延性意識障害とかPTSDとかを積極的にとりあげている。

(交通心理学に関する本)



類書はたくさんあれど、外国の調査研究が宝庫のように詰まっている。

(特殊分野編)
いいもわるいも特殊分野の本なので、これを見るしかないという本。

1⃣
旧版(第2集)は持っているが、その後の判例の展開を示した新版の第3集あり。全損賠償の決定版。

 

 

 

4⃣
上の3著の著者・海道野守氏が一般向けに書かれた物損請求書。古いが、わかりやすくてすごくいい本である。

 

5⃣
これも休業損害分野の唯一の本。毎年のように改定されている。ここの先生は休業損害だけでなく、実は休車損の調査もやられていたから、休車損の本も書いていただけるとありがたいのだが。

(交通事故を考える上で、最初に読んでおきたい本)

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