軒を接するような生活路上で子供があそぶことがあってもいいのではないかという趣旨のある人のツイートに対して、おおくの連中が攻撃し、炎上中なのをみつけました。当初は道路で子供をあそばせるのは危険だからという常識的な反応だったものが、その後、誹謗・ 中傷へとかわり、あまりに一方的な意見ばかりになってきました。その人のツイートの内容(生活路で子供をあそばせること)に私も基本的に賛成だったし、1人の人に多数がおそいかかって悪態をつくのはあんまりだとおもったので、 よせばいいのに、その人に加勢したツイートをいれてしまったわけです。
「加勢した」といっても、もうすこし頭をひやして議論できない ものかとおもい、その連中を一切非難せず、歴史上、車よりも人を優先させる法律があったという事実をのべただけです。
こういうツイートです。
「道は車のためにあったものではない。もともとは人のためにあったものだ。この視点(社会的費用の内部化)で立法化されたのがイギリスの赤旗法、アメリカの類似法である。日本でも明治初期、違式詿違条例が施行され、当時の車にあたる人力車や馬車は、歩行者の通行を邪魔してはならぬとされた。」
すると、 今度は私にも攻撃してきた。その後、私のかいた一文に対して、想像をめぐらせ、飛躍してああだこうだと非難する。事実と 自分の想像との区別がつかない連中なのです。彼らにとってはどこまでが事実でどこまでが自分たちの解釈・想像なのかはどうでもい いのでしょう。議論してみようという姿勢など当初からまったくないようでした。
さらに、ツイートの内容とはまったく無関係な、「昭和世代だから」どうとか、「無学だから」どうとか、「車ができる前は道は人のものだった。お前は原始人か」などと、まあ、いいたい 放題です。自分たちにさからったことがどうにもゆるせないようです。そのツイートのフォロワーたちが来襲して多数の「いいね」をおしまくる。多数でおそいかかってすべてをくいつくすその風景は、まさにイナゴの大襲来をおもわせるものがある。 ツイートでの炎上というのはこういうことなのかとわかったしだいです。
ツイートは短文なため意をつくせず、感情の応酬になりがちです。私はあまり粘着質じゃないし、 こんなことにエネルギーをついやすのはまっぴらごめんなので、先の一文をいれたあとは、とくに反論もせずに、すぐに退散しました。こういう場合はそれ以上にかかわらないのがいちばんよろしいかと。
同感です。
議論や論争の次元にないヘイト対してに時間を割くのはたしかに不毛ですね。
とはいえ、ヘイトを野放しにするもの社会を悪くするので、個人で線が引ける範囲ならよいのですが・・・。
そうした方々は、自身や身内は決してその社会問題で被害者にならないと思っているのか、幼い子どもの自動車事故にそこまで無関心でいられるのか・・・。そういった人たちの「思考パターン」の「秘訣」を知りたいくらいです。
木下さん、せっかくコメントしていただいていたのに、申し訳ありません。
当サイトの運営ができない状態だったため、コメント遅れてしまいました。
同感です。群れることで、思考が停止しているのです。同調圧力というか、
仲間の世界だけで生きているからああなるのかと。