そうじゃなく、弱いモンの味方せえよ。 そやなかったらお前らの存在意義は何なんや?ちゅう話でね。(上岡龍太郎の言葉)

【上岡龍太郎の言葉】

はたから見てたら羨ましく見えるんやろうね。
自由な時間に好き勝手やってエエ思いしてるように見える、
そやから変に嫉妬する連中が出てくる。つまり、見栄えが悪い子供の教育に悪い。
何より朝から晩まで働いてる俺の胸糞悪い。僕ら芸人は良いですよ、末路哀れは覚悟の上、
そんなもん畳の上で死ねん、親の死に目にも遭えんと思ってますよ。そやけど人生で身動きとれん様になった人に救いの手を差伸べんと、
変に迫害する連中が居るのには呆れる、それも政治家。政治家とか言う連中は何の為に存在するのか分ってない奴が多すぎる。
政治家で強いモンの味方する奴なんか最低ですよ、強い奴はほっといても生きていけるんやから。
そうじゃなく、弱いモンの味方せえよ。
そやなかったらお前らの存在意義は何なんや?ちゅう話でね。

上岡龍太郎は知性を漂わせる話し方をされる人だったと記憶していたけれども、それに加えて、反骨精神がこんなに旺盛な芸人だったことを知ったのは上岡が芸能界を引退した後のことだった。上岡はオカルトを嫌悪し、論理を重んじ、権力者におもねらず、弱きを助け、強きをくじこうとした。上岡は庶民に対するやさしさに満ち溢れていた。

もし、上岡が芸能界を引退していなかったなら―――という仮定で語るのはなんだかむなしすぎるけれども、もし今も芸能界で健在だったなら、たまにつけるとテレビでよく見かける、でかい声だけしか能がない、強いものになびいてばかりの恥知らずな電波芸者どもをあんなにはびこらせることはなかったかもしれない。

下の動画は横山ノックが亡くなったときの告別式での上岡の献杯の言葉。その天才話術とあふれるほどのやさしさ。私は自分の気持ちが揺らいでいるとき、落ち込んでいるときにこの動画を見る。

しょせん、人間なんてちょぼちょぼやしなあ、えらくなったってなんぼのもんやい。人生一度きりやしなあ、やれることは限られているけれども好き勝手にやってみたい。それでも人に対するやさしさだけは忘れるなよ、自分より弱いモンを踏みつけにして嬉々としているサイテーの連中にだけはなるなよと、上岡の声が聴こえてきそうな気がしてくる。

そんなふうに叱咤激励されて、当サイトで記事を書いている。内心はこんな記事ばっかり書いていたら敵ばっかりつくってしまうなあ、もうやめとこうかなあ、そんなふうに心が揺れるのをなんとか抑えて。

みなさんも、ぜひ上岡の献杯の言葉を聴いてください。

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