フランスの、自賠法にあたるバダンテール法

フランスの交通事故法

以前、フランスに留学中に事故に遭われた方のご家族から相談があったことは、以前の記事で書いた。その記事で、フランスで日本でいうところの自賠法にあたるものについて調べてみたいと書いたが、そのままになっていた。遅くなったけれど、調べた結果を書いておきたい。

フランスには交通事故法がある。制定された当時の司法大臣の名前をとって、「バダンテール法(loi badinter)」と言われている。リンク先はフランス語で書かれていて、ぼくはフランス語がまったくわからないから、翻訳機能で日本語に訳してみたが、それでもよくわからなかった(苦笑)。フランス語のわかる方で、だれか全条文を訳していただけるとありがたいのだが。

ところで、バダンテールといえば、フランスの死刑廃止を実現した偉大な法学者・政治家で、むしろそちらのほうで有名だ。日本の野蛮な刑事司法関係者は、バダンテールの爪の垢でも煎じて飲めばいいと思う。以下、バダンテール法についてネット等で調べた結果を記す。

日本の自賠法との相違点

バダンテール法においては、

加害者は、人身事故・物損事故を問わず(日本は人身事故だけ)、すべての被害者に対して免責を主張できない。(日本とは違って)不可抗力の抗弁も第三者の行為を理由とする免責も主張できない。

 

日本の自賠法にはみみっちい財源規制(3000万円もしくは4000万円)があるが、バダンテール法は無制限である。したがって、損害額の全額が補償される。

 

過失相殺はすべての被害者の物的損害と自転車運転者の人身損害について適用される。が、運転者以外の、歩行者や同乗者、自転車搭乗者の人身損害には適用されない。ただし免責規定がある。

【免責事由】
①故意による事故招致
②faute(許しがたい過失)が事故の唯一の原因である場合。ただし、16歳未満や70歳以上の者、事故により重度後遺障害になった者についてはfauteがあっても免責にはならない。

 

faute(許しがたい過失)について

日本では歩行者の飛び出し事故とか信号無視事故は免責の可能性があるが、faute要件には該当しないため、フランスでは免責にならない。まったく信じがたい反社会的な行為(たとえば高速道路上の横断行為)に制限されている。

井の中の蛙

日本の交通事故関係者は、日本の自賠法をすばらしい制度だと評価していることが多いし、ぼく自身も必ずしも反対ではないが、ときに、何を寝ぼけたこと言っているのだろうと思わないこともない。井の中の蛙だなあとさえ思うことがある。今回調べてみて、フランスの交通事故法があまりにすばらしすぎて、それに比べ日本の自賠法があまりに貧弱すぎて、なおさらそう思った。ヨーロッパの各国の交通事故法制についても、ヒマなとき調べて記事にできたらと思う。

【参考資料】
松田真治「フランス保険法のfaute dolosive」
山野嘉朗「フランスにおける保険事業関係法改正の動向」
フランスの自賠責保険と被害者救済制度
 

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突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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