弁護士なんかに任せられないとして、本人訴訟を準備されているお三方へ

我に正義があるなら

ネットに接続できる時間が限られているので、他の方のサイトを訪問することはほとんどありません。しかしそれでも例外があります。どんなに時間がなくても、下に引用する東本高志さんのブログだけはほぼ毎日訪問しています。その東本高志さんが最近発した言葉です。

もちろん大方の人もそうでしょうが裁判というものを私は好みません。しかし、ゆえあって、私はこれまで5件の民事裁判を経験しました。本人訴訟が3件、弁護士に依頼しての訴訟が2件。勝敗は2勝3敗。そのうち本人訴訟は2勝1敗、弁護士に依頼しての訴訟は0勝2敗。なにゆえに素人である私が本人訴訟をもっぱらにしたのか。

その理由の第1は弁護士は信頼できないという私の思いがあったからです。不正義は相手方にある。この裁判は決して負けるわけにはいかない、という思いで私は裁判に取り組みましたが、ある意味当然というべきでしょうが私の思いは弁護士には伝わりません。弁護士がはじめに口にするのは勝訴の見込みがあるかどうかの問題です。正義か不正義かという問題と勝訴の可能性の問題はまったく別の問題です。当然、私の依頼した弁護士はものごとの本質を真摯に見つめようとしない。結果として弁護士に依頼しての訴訟は私の場合0勝2敗ということになったのです。

本人訴訟でやるしかない場合もある

東本さんほどの人物が信頼し、選任した弁護士でもこのテイタラクなのです。

身内がもし交通事故に遭い、それが深刻であればあるほど、この裁判は決して負かるわけにいかないという思いが強ければ強いほど、ぼくも弁護士なんかに任せられないと思うことでしょう。自分でやるしかないときっと思うことでしょう。そして、全身全霊をかけて、寸暇を惜しんで、そのことだけに集中し、徹底的に調べる。調査する。調べまくる。勝つためだったら、事故現場に10回どころか50回でも100回でも行く。裁判でわからないところは、自分が理解できるまで弁護士のアドバイスを何度でもうける。参考になりそうな入手可能な資料にはすべてに目を通す。肝心の裁判を他人任せにしない。

交通事故に精通し、裁判経験も豊富な弁護士に委任したとしましょう。その弁護士にとっては、数多く依頼された案件のなかの1件にすぎません。案件を首尾よくこなそうと思うのでしたら、どこか事務的に、流れ作業的にならざるをえないでしょう。集中度も、10件の依頼があるなら10分の1、数十件の依頼があるなら数十分の1にしかならない。しょせんは他人事だから、集中度はそれ以下になることでしょう。これはだれにも避けられないことです。

だったら、自分でやれるものなら自分でやってしまったほうがいい。

押し込んで、押し込んで、しつこく押し込んで

ここでぼくがよく訪問する森川文人弁護士の一文を引用したい。

私は弁護士として、公権力は、鋭く法的に正しく、かつ、事実を正確に突き付ければ、こちらの意向通りに動かすこともできる、という感覚はあります。

しつこく、諦めずに、首根っこを掴んで、揺さぶれば「わかってくれる」場合もあると思っています。それはそれで、そういうものだし、そんなもんだろう、という感覚です。例えば、刑事裁判で無罪を争う場合には、裁判所に無罪を書いてもらいやすいように「材料」を準備してあげる、のではなく、放っておけば平気で有罪の判決を書く裁判官に、目を覚まさせ、ちゃんと真面目に仕事をするように脅しをかけ、「ちゃんと仕事をしないとただではおかないからな!」的なプレッシャーを与えてあげられた場合、無罪=つまりちゃんとした仕事をさせてあげることができる、という感覚です。

なので、今日も権力を握っていると思っている(民事)裁判官に「きちんと証拠に基づいて判断せよ!」という当たり前の「圧力」をかけてきましたが、押し込んで、押し込んで、しつくこく押し込んで、やっと公権力に「真面目に、まともに」仕事させるのが弁護士の仕事、なのだと思います(メディア等で、あたかも裁判所が無罪を自分で・書いた・みたいに報道されると「チャンチャラおかしい」と思っている刑事弁護人は多いと思います)。

 
押し込んで、押し込んで、しつこく押し込んで・・・そのための調査を徹底的にやるだろうと思います。ぼくなら。

エールだけでも送りたい

いま、ぼくのところに本人訴訟をやっているか、その準備をされているお三方の相談をうけています。中にはかなり深刻なものもあるのですが、ぼくにとってはしょせんは他人事だし、無料奉仕のことなので、自分の仕事のことや家族のことなど優先すべきことがいくつもあって、優先順位が落ちてしまいがちです。それで、ついついそういうことは弁護士に任せたらと言ってしまうことが多いのです。軽微な事故で過失10%とかの争いだったら、弁護士特約があるならなおさらそういう気持ちになります。弁護士特約がなければ、10%とかで争うほどのことなのか、妥協もしかたないだろうとなってしまいがちです。金銭的評価に還元してしまう悪いクセがぼくにはある。

しかし、お金の問題ではない。自分の方にこそ正義があると戦おうとしている方に対しては、ぼくにはたいした助言ができるわけでもありませんが、ときにエールを送りたい。正義を共有するのはむずかしい。であるなら、自分が主体的に裁判にかかわるという視点は大切なことだと思います。ついつい金銭的評価に傾きがちな自分にとって、大切なものが何かを教えてくれるものだと思いました。

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当事務所の立場

突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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