名登山家の遭難死とレーシングドライバーの事故の多さ

名登山家の遭難死

ぼくは登山についてほとんど何もしらないのだが、本多勝一の著書に登山に関するものがいくつかあり、その中に、名登山家といわれる人の遭難について言及していた文章があって、そこでは、いわゆる難所高所での遭難よりも、ふつうの登山好きでも登れそうな山で遭難死することが意外と多いのだという、とても印象に残る一文があった。だれも登れそうもないような山を簡単に登ってしまう人たちが、ハイキング気分程度で登れそうな山で遭難死している。

探してみたけれど見つけるのが大変なので断念したが、代わりに、武田文男「山で死なないために」という著書の中で、「穂高では下山中の事故が多い。それも、安全地帯にあと一歩、というのがほとんど」とか、「遭難のほとんどは登り終わりの寸前。一見、なんでもない場所で起きている」とかなどと、どういったときに遭難するのかが述べられている。

レーシングドライバーは交通事故が少ないのか

つまり、緊張の糸が緩んだり切れたりしたときが危ないということなのだ。このことは登山だけに限らない。動揺のことは、クルマの運転でもいえそうだ。

クルマの運転で高度の技術を持っているのはレーシングドライバーである。クルマの運転で、常人にはできそうもないアクロバット的運転技術を競う。それほどの高度の運転技術を持っているのだから、交通事故にあうこともさぞや少なく、そういう危ない場面に出くわしてもなんなく切り抜けられると思われがちである。しかし、実際はその逆なのである。

レーサーにまつわる神話

交通心理学者のシャイナーによると、

ウイリアムスとオニール(A.F.williams&B.Oneill)が1974年に発表したフロリダ、ニューヨーク、テキサスで登録されているレーシングドライバー達と、普通一般のドライバー達との事故傾向の比較を行った研究で、レーシングドライバーの方が、事故も違反も、両方ともハッキリと多いという結果が出ている、といっている。一般に、レーシングドライバーはその豊富な経験と高い運転技術とによって高度な「安全運転能力」を備えていると思われているが、これとは全く矛盾する結果が出たのである。

しかしこれは、訓練を積んで高度の運転技術を身につけているレーシングドライバーは、とかく普通のドライバーにはできないような曲芸的なきわどい運転をするためではなかろうか。一般にドライバーが自分の技術を超えるような難度の運転に挑戦するとき、非常に高い確率で事故に結び付くことを指摘したい、とシャイナーはいっている。(P30)


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シャイナーの説を自分の著書でこのように紹介した平尾収(=牛生扇)は、同書(P90‐91)で以下のようにまとめている。

シャイナーのいうように、安全運転は、運転技術が下手ならもちろん駄目、上手なだけでもまた駄目、ということは、要するに、ドライバーの技術レベルの絶対値が安全を保障するのではないということであって、ドライバーが発揮し得る技術レベルが、運転中に遭遇する交通の場面が要求する技術レベルに達しないときに事故が起こるということである。一般に、交通の場面が要求する技術レベルは速度と共に急激に高くなる。このことを利用して運転技術を競うのが自動車レースに外ならない。自分の技術レベルを超えた速度を出せばたちまちコースアウトの事故となる。

一般の道路を走る場合も同じことで、技術レベルを超える速度で突っ込むことになれば事故になるのであって、安全に走るためには、次々に遭遇する場面の状況から要求技術レベルをヨミとって、それが自分の技術レベルを超えないように、走行速度と進路を選ぶ必要がある。このとき、どの程度余裕のある速度・進路を選ぶのかという選択がリスクテーキングの問題である。

達人ほど緊張のレベルが低下する

平尾氏は速度の出し過ぎを、シャイナーは一般路においてもアクロバット的運転を嗜好する傾向にレーシングドライバーの事故原因を求めている。しかし、それは必ずしも正確でないとぼくは思う。平尾氏のように速度を出し過ぎていたことが事故の原因の場合もあるだろうし、自分の技術に酔いしれて「サルも木から落ちる」式に事故を起こすこともあるだろう。事故の原因としてはそういう場合もあると思うが、しかし、それだけでは、レーシングドライバーが一般の人と比べて事故が多いことの理由にはならないと、ぼくは思う。

達人と言われれば言われるほどに、緊張のレベルがますます低下することが事故原因の最大のものではないだろうか。

ぼくの別ブログでも書いたことだが、

ぼくたちは、年齢とともに記憶がおちてくるという実感がある。ごく常識的に考えるならば、それは脳が老化したということに落ち着いてぼくたちはそれで納得してしまいがちだが、ぼくは必ずしもそれだけではないと考えている。すなわち、記憶というものが年齢とほぼ比例してザツになってゆくのは、脳そのものの記憶力が衰えたことによるのかもしれない。しかし、さらに大きな理由として、外からの刺激にたいする反応が鈍化したことがある。すなわち、神経そのものが鈍化したのではない。刺激のくりかえしによって「なれ」が生じ、同じていどの強さの刺激では記憶への刻み目が最初の時のように深くはしるされないのだ。

外界の刺激に対する反応の鈍化。レーシングドライバーの一般路における事故が多いのは、速度の出し過ぎやアクロバット的運転を競った結果もあるだろうが、そうではなくて、緊張のレベルが低下していたため、たとえばふつうなら減速すべきところを減速しなかったことなどで起こるのだと思う。名登山家によるハイキング登山での遭難死にしても、並みの登山者ならリスクを感じるところをリスクを感じなくさせる反応の鈍化があったからこそ発生したではないのか。このように、生死を分ける極限状況を何度も経験した人たちにとっての緊張レベルの著しい低下。ぼくは、ここにこそ真の事故原因があるように思うのだ。

運転技術が高度なことと過失の有無とは無関係

そういえば、調査員時代に、A級ライセンスを持っていることを理由に、自分に過失がないことを立証しようとしていた事故当事者にあったことがある。コンマ何秒の世界で事故状況を再現しようとウソぽい説明をぼくに繰り返ししていたが、A級ライセンスがどれほどエライことなのかぼくはしらないし、コンマ何秒で事故を再現することがたとえ可能だったとしても、それと事故を起こすこととはまったく別問題なのである。
 

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突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

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その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にする。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。よろしくです。

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