自転車は車道のほうが安全なのかそれとも危ないのか

わが国最初の自転車道。(日本自転車連盟・編「自転車運動綱要」(目黒書店、昭和13年、自転車文化センター資料より引用)

自転車は車道のほうが本当に安全?

クルマの運転をしたことがある人なら、たいていだれだって知っている。車道を走行している自転車がいかに危ない存在なのかを。交通量が多かったり、狭かったりする車道上で自転車を見たら、なんて命知らずな奴らなんだと、その蛮勇に私は驚いていました。

中学生のときに乗ったのが最後でそれからは乗らなくなった自転車。つい最近になって乗るのを再開してから、今度は自分の蛮勇に驚いています。

日本のお粗末な道路政策によって、車道は危険すぎて乗るのを避けたいのに、車道以外に走るところがなく、そこを走らざるを得ない悲しき現実。たかが自転車に乗ることがまさに命がけなのです。その危険きわまりない車道に自転車を走らせるよう強制するなんて、ほとんどイカレテイルとしか思えません。私はそう思うのです。

赤信号みんなで渡れば怖くないってことなのか

ところが、自転車は歩道よりも車道のほうが安全なのだ。自転車は本来車両なのだから車道を走らなければならないのだなどと、したり顔で、まさに、天地がひっくり返らんばかりの妄言があたかも真実であるかのように語られています。

いや、語られているというような上品なものではなくて、政・官・財・学・総出で、マスコミまでもが応援団(たとえば毎日新聞「銀輪の死角キャンペーン」)になっての大合唱です。赤信号みんなで渡れば怖くない―――つもりらしい。

自転車はどうして「軽車両」なのか

こういうときに常に持ち出されるのが、道交法の「軽車両」規定です。自転車は「軽車両」に該当するから、クルマと同じだという論理。そんなことあなたたちに念押しされるまでもなくわかっていますよ。私は自転車も含めて交通事故の調査で食っていたのだから。

問題は自転車がどうして「軽車両」にされ、クルマの仲間扱いにされたのかです。私の関心はもっぱらそちらのほうにあります。時速100キロも出て、1トンもある鋼鉄のかたまりのクルマと、時速でせいぜい20~30キロくらいしか出ない、しかも継続して出せない、0.015トンにすぎない自転車が同じ仲間だ―――と言われて疑問に感じるかどうか、かんたんに納得できるのかどうかですよ。

事故鑑定人の林洋氏は、「交通事故 過失割合の研究」(P250-251)という本でこう書いています。

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交通事故の対象として、自転車には、次の特徴がある。

第一に・・・
自転車は、行動半径が狭い。地域性が強い乗物である。それは、大部分が、持ち主の住居の近場の職場や学校への通勤通学、遠い通勤通学の場合でも駅までのアクセス・トリップ、地域内のショッピングセンターまでの買物トリップ、子供達の自宅周りの遊び等に使われている。長距離のサイクリング等もあるが、それは極く一部である。

従って、自転車の利用者は概してその地域の生活サイクルや交通事情を知悉していることが多い。この点では、「クリティカルな遭遇」に於いて、錯覚を生じ、交通事故誘発の能動的な役割を果たす確率は、比較的に少ない移動体であるということがいえる。

第二に・・・
年齢的な偏在が大きい。高齢側に偏る。自転車乗車中の交通事故死傷者は年齢構成をみると、・・・50歳代を越えると、高齢になる程犠牲者が増える。

高齢者は交通情況観察、認知の視野は狭くなり勝ちであり、交通予知、対応の能力は、当然に成年中央の母集団より劣る。これは交通事故の抑制面ではマイナスの特性である。

第三に・・・
メカニカルな特性として、速度の加減、操舵、安定性の維持の全てを人力に頼らなければならないから、それだけ、交通情況観察の為の知覚活動は制限される。知覚反応時間などは、乗用車のドライバー等に比べて長くならざるを得ない。これはマイナス面であるが、常にペダルを踏み続けていなくてはならないから、意識低下を起こすことはなく、増して、居眠り運転を起こすようなことはない。これは、プラス面である。

第四に・・・
これが最も大きな特徴であるが、自転車は、行動的には、最も歩行者に類似する移動体であるということである。主として歩道か車道の路側帯、車歩道の分離がない小道でも路側に寄って走り、交差点では歩行者と一緒に横断歩道か、横断歩道に沿って自転車横断帯がある場合には、そこを渡る。速度は、せいぜい、20km/h以下である。速度維持能力からして、もともと、自動車やオートバイが連なって走る60km/h台のメインストリートの車列の中に入ることは出来ない。

「過失割合テキスト」(引用者注:判例タイムズの過失割合本のこと)は、ここを大きく誤解して、自転車も単車(オートバイ)と同列に、つまり、自動車やオートバイと同じ車列の中に入ってメインストリートを交通する乗物として取り扱おうとしている。

それより前に、先ず、人力を動力とする「軽車両」の自転車を「車両」の一部とする道路交通法の無理解がある。この部分は、まるで産業革命以前の思想であるといわなければならない。

自転車の道路利用についての3通りの分類

分類は、ある意図をもとにした体系化である

分類は、いうまでもなく、ある意図をもとにした体系化であるから、意図が変われば同じ対象についてまったく異なる体系・分類が可能です。たとえば人間を男と女というふうに二大別することもできるし、大人と子供というふうに二大別することもできる。このように、分類自体は、ある意図をもった操作可能な、その意味できわめて恣意的なものです。

現代の日本では、自転車は「軽車両」である(道交法2条1項8号・11号)。「軽車両」なのだから、「歩行者」ではなくて、「車両」の範疇のひとつであり、要するにふつうの自動車の仲間というわけです。

しかし、意図が変われば、自転車を歩行者の仲間とすることもできるし、歩行者でもなくて自動車でもなくて、まったく別に分類化して独立させることも可能です。自転車は軽車両なのだからなどと、あたかもそれこそが不動の真理でもあるかのように考えている人が多いので、最初に一言したまでです。

自転車の分類のやりかた

自転車の分類には、3つのやりかたがあります。

①は、現行道交法の分類と同じで、自転車を自動車の仲間に分類して車道走行を強制するやり方。

②が、自転車を歩行者と同じ仲間に分類して歩道走行にするやり方。

③が、自転車を自動車や歩行者とは別に分類化して独自に扱い、車道とは別に物理的に分離された自転車道を推進するやり方。

自転車を歩行者と同じに分類する考え方は以前からあるものの、現在はほとんど支持されていません。現在は①の考えが主流です。その主張の端的な現れは、自転車の車道走行が歩道走行よりも安全だとし、車道の隅っこに色塗りしたら安全確保ができるとする視覚的分離による自転車レーン推進政策です。

しかし、それでは安全確保はできないどころかより危険であり、世界的レベルの安全対策からも外れているとして、③の立場から、自転車を独自に分類化して位置づけ、自転車と自動車の動線混在を防ぐための物理的分離である自転車道を推進すべきとしています。

この対立の違いは、従来の「クルマ優先社会」を維持するかどうか

この対立は、道路における自転車利用のあり方というような小さな問題ではなくて、けっきょくは、「人間のための街路」(注1)を創造するかどうか、憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という、いわゆる生存権を認めるかどうかの争いなのではないかと思います。

いや、もっと露骨にいえば、これまでのクルマ優先社会をこのまま維持したい側と、道路環境を改善することで都市住民の人間としての暮らしに値する空間に変えようとする側の争いなのだ。

それくらいに振り幅の大きな問題なのだと、私は考えています。だからこそ、たかだか自転車の道路利用の問題に、ふだんは無関心な政・官・財・学・マスコミまでもが総出で、遮二無二「自転車は車道が安全」なる妄言キャンペーンを張っているのです。

(注1)

「人間のための街路」の有名な一節。街路はエリアではなくヴォリュームである。街路は何も無い場所には存在し得ない。すなわち周囲の環境とは切り離すことができないのである。言い換えるなら、街路はそこに建ち並ぶ建物の同伴者に他ならない。街路は母体である。都市の部屋であり、豊かな土壌であり、また養育の場でもある。そしてその生存能力は、人びとのヒューマニティーに依存しているのとおなじくらい周囲の建築にも依存している。


「人間のための街路」という本の感想をこちらの記事で書きました。「人間が住むに値する都市」とはどういうものなのかについてそこで論じたつもりです。

「人間のための街路」、そして「人間のための都市」

破綻している車道走行安全論

自転車の車道走行安全論に対しては、多くの批判があります。その批判の内容については、最後にご紹介するリンク先で、もうこれでもかというくらいコテンパンにやられているので、ぜひ訪問してほしいです。

車道走行安全論者はそれにまともに答えることができないから、無視するか、正面から答えず、自転車道推進派の主張が正当であると認めつつも、自転車道は予算の関係上理想論だと一蹴する人もいます。

自転車道推進派は、なにがなんでも全線自転車道にしろと言っているわけではもちろんありません。財源についても、 年度末になると余った予算を使い果たすために余計とも思われる道路整備をやっていることなど地方では当たり前の風景です。ごく一部の富裕層のために税金をバンバン使っている分のごく一部を、こっちに回せと言っているにすぎない。要は、カネがないのではなくて、やる気がないだけです。

車道走行安全論なるものについて、交通事故を2000件以上扱ってきた事故調査員の立場(相棒の分も含めると5000件を下らないだろう)から見過ごすことはできないので、一言だけ言わせていただく。

自転車の歩道走行と比べ車道走行は、後続のクルマの視覚にはいるから、交通事故は少なくなるというのが安全論の大きな主張のひとつです(たとえば「歩道走行の事故率は車道走行の7倍」というまやかし)。

が、交通事故でもっとも多いのは追突事故なのです。それも突出してですよ。後続車には先行車の存在が視覚的には当然はいっているはずなのに、それでも事故は多発しています。それとも、自転車ならよく見えて、もっと大きなクルマだと見えなくなるわけでしょうか。

私たちの経験からいえば、車道走行安全論なるものは大ウソなのだ。したがって、このまま「自転車は車道」という政策がまかりとおるなら、自転車の死傷事故がかなり増えることが容易に予想されます。多年にわたって交通事故処理をしてきた私たちは確信をもって反対しているのです。

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(損害保険料率算定機構HPより)

自転車で自転車専用レーン(ナビレーン)を走っていて事故になったら

よく見かけるのがこういうケースです。

自転車専用レーンで駐停車しているクルマ。それを避けるために道路中央寄りに進路を変えたところ、後続車と接触した事故。ありそうなケースです。この場合に、この駐停車している車に過失が問えるかです。

答え。問えない。その可能性が非常に高い。

理由。この色塗りしただけの分離されていない自転車専用レーンあるいはナビレーンは4輪車の走行面と地続きであり、分離されていないため、4輪車が立ち入ることはしょっちゅうだし、法的にも禁止規定は存在せず、さらに駐停車も禁止されていないからです。したがって、後続車との共同不法行為に、それらの事実だけではならないと思ったほうがいいでしょう。

自転車道推進派の代表的サイト紹介

私の経験による判断だけでは足りないので、③の立場の代表的サイトをみなさんにもご紹介したい。交通工学についてまったく無知の私にとって、大変参考になるすばらしいサイトです。車道走行安全論が砂上の楼閣であること、ただの虚妄にすぎないことを理論面から詳しく説明しています。いずれのサイトも当サイトでリンクを貼ってありますので、ぜひご覧になってください。

とりわけ、①の主催者であるろぜつさんが、長文の意見書を書かれているので、ぜひ一読してほしいですね。

① perfect comes from perfect

② サイクルプラス「あしたのプラットホーム」

③ ランキング日記

④大阪交通news

「ランキング日記」さんが、道路色塗り政策後の状況について興味深い記事を書かれておりましたので、貼り付けておきます。

クルマ離れ、そして自転車の活用は始まっているの?(前編)自動車利用の動向
クルマ離れ、そして自転車の活用は始まっているの?(中編)自転車利用の動向
クルマ離れ、そして自転車の活用は始まっているの?(後編)むしろ危惧される自転車離れ

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