好意同乗と福永試案

はじめに

交通事故で運転者に過失があり、かつ同乗者が死傷したときは、好意同乗(無償同乗)という理由で同乗者が減額されることがある。同乗者に減額理由があるのかどうかを調べるために、上司から渡されたのが下に示した「無償同乗における福永試案」だった。この表のどれに該当するのか調査せよということなのだ。

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ところで、この「好意同乗」(無償同乗)って何なんだろう。

「好意同乗」とは

損害保険用語集の解説

「好意同乗」とは、同乗者が、運転者との人間関係に基づく運転者の好意で無償同乗することをいいます。

出典:自動車保険・医療保険のソニー損保

「好意同乗」という漢語表現を、ただ単に訓語表現に改めただけのひどい説明。好意同乗だとどうして減額になるのかという肝心要のことは何も書かれていない。

好意同乗減額に対する疑問

福永試案によると、同乗者がいた場合の事故について以下の4つに分類している。

  • 強要同乗
  • 無断同乗
  • 好意同乗
  • つれこみ同乗

最初の2つの、運転者に同乗を強要したとか、トラックの荷台に隠れて無断で乗っていたというような、運転者の承諾もなしに同乗していて交通事故にあった場合、同乗者に明らかな落ち度があるのだから同乗者が受けた損害のすべてを加害者である運転者に請求できず、減額事由にするのはわかる。しかし、単に好意に(あるいは無償で)同乗させてもらっただけで、同乗者に落ち度がなくてもどうして減額の対象になるのだろう。ただで乗っけてもらったというそれだけで、交通事故での全損害を請求できず、その一部を減額されるってどうしてなんだろう。ぼくはこの試案を見てそう思った。

福永試案を見ながら、ぼくの疑問はそこから始まったのだ。ぼくでさえ疑問に感じるのだから、好意同乗という理由で実際に減額されそうな扱いを保険会社から受けている当の事故被害者は、もっともっと理解不能なはずである。繰り返す。ただで乗っけてもらったというそれだけで、どうして減額されるのか。

好意同乗の存在理由

今回、好意同乗を記事にする際に、年来の疑問を徹底的に調べてみることにした。もっとも標準的な教科書である内田民法にはこう書いてあった。

津地判昭和58年2月25日(好意で預かった近所の幼児が水死、過失相殺の法意を類推して7割減額)や津地判昭和58年4月21日(ボランティアによる子ども会のハイキングで児童が水死、子ども自身の不注意と無償性を考慮して8割減額)を紹介した上で、

被害者の行為態様や素因、さらには加害者と被害者の人間関係といったファクターが、加害者の帰責性(過失・違法性・寄与度等の表現で表現される。有るか無いかではなく量的概念である)の程度に影響し、それが賠償額の縮減を要請するということである。より広くいえば、加害者はその損害に対する帰責性の度合に応じて賠償義務を負うということであり、いわゆる保護範囲に入るとされる損害についても、加害者の帰責性を減ずる要素があると、最終的な賠償額の算定について斟酌されるのである(帰責性の原理と呼ぶことにしよう)。

これは、いわば当然のことではあるが、民法の規定上は正面からは定められていないため、その法原理のひとつの表現である過失相殺の法理が援用されるのである。(「民法Ⅱ」より)

「被害者の行為態様や素因、さらには加害者と被害者の人間関係といったファクターが、加害者の帰責性(過失・違法性・寄与度等の表現で表現される。有るか無いかではなく量的概念である)の程度に影響し、それが賠償額の縮減を要請する」というのはよくわかる。

以下のような事例だと、この説明は極めて説得的である。

「危険関与・増幅型」事案

仮免許しか持たない者に運転を委ね、先行車の追い越しをすすめたことにより起きた側道転落事故の運転者に対する損害賠償請求につき、同乗者の被害者(死亡)に60%の過失相殺を認めた事例(宇都宮地判昭和56年5月29日)

助手席に同乗中の被害者が運転者に話しかけて、その注意をそらす結果をもたらしたとし、好意同乗をも考慮して、被害者に30%の過失相殺を認めた事例(福岡地判昭和57年11月9日)

若者だけの仲間による深夜ドライブ中、同僚車を追い越すにあたりハンドル操作を誤り発生した死亡事故につき、被害者が定員超過、かつ、加害者が終始1人で運転し疲労していたことを知り、またスピードを楽しむ雰囲気の醸成に関与していたと25%減額(東京高判平成2年3月28日)

以上を「危険関与・増幅型」という。同乗者自身に事故発生の危険性を増大させるような状況を現出させた事情がある場合である。たとえばスピード違反を煽った場合とか、定員超過の場合など。

次のはどうだろうか。

「危険承知型」事案

好意同乗者の損害賠償額につき、暴走族の集会地まで加害車両の運転者の黙示の承諾のもとにこれに乗り込み、ついで他地へ暴走族仲間とともに加害車両で行くことに一因をつくり、法定速度をはるかに超える高速運転を制止したり、注意することもしなかった被害者に20%の減額を認めた事例(盛岡地判昭和56年5月25日)

飲酒居眠り運転の加害車に同乗中、事故により死亡した被害者について、加害車運転者とともに飲酒し、飲酒運転の危険性を認識して同乗した事実を斟酌し、15%の過失相殺を認めた事例(東京地判平成10年12月22日)

以上を「危険承知型」といい、事故発生の危険性が高いような客観的事情(運転者の無免許、薬物使用、飲酒、疲労等)が存在することを知りながらあえて同乗した場合である。

以上のふたつの型は、いずれも同乗者に明らかに責められる事情があることで共通している。

では、これはどうか。

「単なる好意同乗・便乗型」事案

被害者である21歳の女性が1週間前に加害運転者と知り合い、事故当日の深夜に、加害者の運転する乗用車に同乗してドライブ中、加害車両が道路左側に乗り上げ横転し、被害者が死亡した事例。判決では「この無償同乗事故については、被害者に危険の素因ならびに倫理的素因として、事故発生の危険性につながる、生活行動ないし道をみずから選んだ点に、社会一般の若い女性としての羞恥心と節度の標準を逸脱した事情が認められ、損害発生の潜在的要因を問われてもよく、また全額を請求することが公平を失するといってよいから、被害者の過失に準ずるものとして」、30%の過失相殺を認めた(東京地判昭和44年9月17日)。

いわゆる「単なる好意同乗・便乗型」である。被害者自身は事故原因を作出したなど責められる事情がまったく存在しないか極めて希薄なため、このケースではさらに倫理的な非難を加えて、被害者である単なる同乗者に対して減額している。

要するに、過失がある加害者の運転者とはまったくの他人だったわけでもないし、運転者の好意や無償でクルマに乗せてもらったのだから、たまたま事故にあったからといって、その矛先の全部を運転者に向けるべきでないという主張だ。このような主張は、ぼくにはまったく理解不能だ。

現在の裁判所の対応

現在の裁判所は、「危険関与・増幅型」「危険承知型」については過失相殺の規定の適用(または類推適用)により賠償すべき金額を減ずる取り扱いがされている。しかし、「単なる好意同乗・便乗型」については減額しない取り扱いなのである。
【参考】 「交通損害関係訴訟」P97~98

福永試案の問題点

では、改めて福永試案をご覧になっていただきたい。ぼくが調査員だった数年前に使われていたから、今も使われていることだろう。この福永試案の問題点は、何の落ち度もない「単なる好意同乗・便乗型」についても、「頼まれ」「誘い合って」「誘って」で下位分類して、落ち度もないのに減額の対象にしていることである。(詳細は試案を参照)。

好意同乗に対する裁判所の考え方の推移

かつて、何の落ち度もない「単なる好意同乗・便乗型」についても減額の対象とする判例がいくつも存在していた時代があった。そして福永試案はそういう時代の産物なのだ。その過去の遺物を、自分たちに有利だからといって、その当時の古くさい判例とともに、今も後生大事に示談交渉で使っているのが損保なのである。現在の裁判ではもう通用しないにもかかわらず。

このことについて詳しい情報がないかどうか調べていたら、あった。以下のサイトが大変参考になったので、引用したい。

【参考】「好意同乗に関する判例の研究」

「好意同乗に関する判例は昭和40年代後半から昭和50年代前半にかけて、無償同乗で大幅に減額する判例があったが、その頃でも無償同乗では減額しない判例も多数みられた(昭和51-4、52-7、54-2事例など)。

そして年代が経つにつれて、無償同乗で減額を認めない判例が増加し、平成からは、無償同乗で減額しない判例が大勢を占めるにいたった。昭和51年から平成7年までの20年間において、好意同乗要素だけで減額を認めるか否か判示した判例は54件でその内、好意同乗で減額を認めた判例は20件(37%)、減額を認めなかった判例は34件(63%)であったが、平成元年から平成7年までの最近判例では、減額を認めた判例は3件(18%)、減額を認めなかった判例が14件(82%)と好意同乗による減額を否定した事例が多い。

昭和50年代の前半では、好意同乗による減額を認める立場の判例とこれを認めない立場の判例が拮抗していたが、近年はこれを認めない立場に立つ判例が著しく増加し、判例の流れを見ると、この傾向は将来に向かってさらに進展するものと考えられる。

しかしながら、示談の実務では(損保側は)古い判例を参考に、無償同乗を大幅な減額事由として取り扱う傾向があり、最近の判例の傾向と示談の実務との間には大きな格差がみられ、被害者の公平な救済が得られない状況にある。

まとめ

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好意同乗についてサイト検索すると、中に、交通事故被害者のためと謳っておきながら、「単なる好意同乗・便乗型」についても減額できるとしているところがあった。注意してほしい。

なお、最近の事情を知る上での参考文献としては先に挙げた「交通損害関係訴訟」。執筆者は東京地裁民事第27部(交通部)に籍を置いた裁判官であり、この第27部は日本の交通事故訴訟をリードしていることで有名である。
 
(16・5・12追記)
ブックマークしている sagaminami弁護士のプログ記事によると、

>従前はこの②の好意同乗(無償同乗)の問題は、運転者・同乗者間の問題であったわけですが、同乗者の落ち度自体を考慮するようになり、被害者の過失として評価することもできるので、相手方との関係でもこの問題が生じうるのでは?(①のケースも考えられるのでは?)という論点が出てきています。

とのことです。青本に書いてあるそうです。こういう論点もあるようなのですが、ぼくにはむずかしくてわかりません。詳しくはsagaminami弁護士のブログで確認されてください。

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コメント

  1. 好意同乗について、深く考えたことがなかったので勉強になります。

    福永試案は、確かに理解に苦しみますね。

    でも、現在、単なる好意同乗は減額なしということで落ち着いているのであれば、裁判官も少しは普通の人の感覚に近づいてきているのかもしれません。

      • りゅうた×2
      • 2014年 7月 02日

      田尻さん、コメントどうもです。

      福永試案については、最初見たときどうして減額できるのかわからなくて、わからないままに放置していました。記事にしてみて、どこがおかしいのかようやく理解できたわけです。

      保険調査員は、裁判基準なんて知らない人のほうが多いし、自分もそのくちだったので、気をつけないといけないなあと思っています。

      新ブログをやり始めて4か月。その作りがあまりに素人ぽくて、まあ素人なんだからしかたないのですが、もう少しすっきりしたものにならんのかと、記事を書くよりもそっちのほうによほど苦労しています(苦笑)。

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突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

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交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にする。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。よろしくです。

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