タスマニア人の民族丸ごと滅亡とニーメラーの警句

【最後のタスマニア人】

会計士? その職業は必要ない

以前、BSで「ディファイアンス」という映画を見たことがあります。

1941年、ドイツ軍がベラルーシを占拠し、ナチス親衛隊と地元警察がユダヤ人狩りを始めます。その難から逃れるため、ユダヤ人がリピクザンスカの森に逃げ込み、そこでユダヤ人たちは武装し、生き延びるためのコミュニティを作るという話です。

難を逃れて集まってきたユダヤ人たち。職業はさまざまですが、戦時体制化のコミュニティで必要とされるのは武器を扱える人だったり、牧師や医師や看護士、大工、タイル工、農民など、人の生命や衣食住に直接かかわる職業の人たちです。中に会計士さんだった人がいました。コミュニティで会計士という職業が何かの役に立たないかと申し出るものの、映画の中では、「会計士? その職業は必要ない」と言下に否定されてしまう場面があります。

戦争中は弁護士だって食えなかった

>かつて、食えない弁護士というのは、想像もつかなかった。

ある弁護士のブログにあった一節です。

果たしてそうでしょうか。小田実の父親は弁護士でしたが、戦争になったとたんに食えなくなったと小田はどこかで書いていました。

そう。弁護士をはじめとして、保険調査員といわれる職業もそうですが、市民社会に奉仕する職業というのは、平和を前提として成立する職業なのだろうと思います。戦火で逃げまどう世の中にあって、市民社会に依存する職業など必要としません。市民社会はすでに崩壊しているからです。

民族が丸ごと自滅したことなど歴史上枚挙にいとまなし

現在の日本の社会は、一見すると平和そうに見えます。少なくとも自分の身辺に平和を直接目に見える形で脅かす存在は、まだ見えていません。しかし、最近の日本のありようは、民族まるごと自殺の方向へ進んでいるとしか私にはみえません。

「民族まるごと自殺の方向」と言ったら嗤われるかもしれませんが、歴史上はごくふつうにあったことだし、これからもふつうにありえることです。世界のありようがそれを示しています。

たとえばタスマニア人

たとえば、かつて、オーストラリアの東、タスマニア島にタスマニア人という1民族がありました。タスマニア人の最後の1人・トルカニニが亡くなってタスマニア民族が絶滅したのが1876年のことだから、たかだか140年ほど前のことです。彼らが絶滅したのは、凶暴な白人入植者が移住してきて虐殺され、隔離され、伝染病を移されたりしたからです。最初の白人入植者が上陸した1803年、タスマニア人の多くは歓迎の意を表します。まさか、その後に民族丸ごと絶滅させられるとは、民族危機の予兆を見たごく少数の例外を除けば想像だにしなかったことでしょう。しかし、タスマニア人は確実に絶滅したし、ジンジャントロプスもオーストラロピテクスもイースター島民も確実に絶滅した。日本人だけが例外だとするのはただの幻想です。
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タスマニア・アポリジニ

タスマニア島に居住していた原住民。白人との接触以前のタスマニアの人口は3000~4000人と推定されている。最初の入植者がタスマニアにはいったのは1803年で、その後、白人とアポリジニのあいだに土地をめぐって闘争がおこり、アポリジニは殺戮されていった。とりわけ、1830年、白人の軍隊による「ブラックライン作戦」の結果、生存者はわずか135人を残すのみとなり、南東部のタスマニア半島に追いこまれた生存者はバス海峡のフリンダース島に集められ、文明化とキリスト教化が行われたが、環境の違いと、絶望、ホームシックのため次々と死亡していった。1845年には45人となり、1876年、最後の生存者が死亡し、純血のタスマニア・アポリジニは絶滅した。(「文化人類学辞典」弘文堂刊より)

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おかしいと思ったときにそのことを公然と言える社会でないと

では、「民族丸ごと自殺の方向」に進む内部的要因とは何でしょうか。その大きなひとつに、少数意見の圧殺というのがあると思います。

絶滅させられたタスマニア人の中には、そうなる前に、民族危機の予兆をとらえた例外的少数の人たちがいたに違いありません。しかし、あの西欧文明による圧倒的武力、圧倒的冷酷、圧倒的悪魔的所業を前にしてなすすべがなかった。これが運命だと自分たちの置かれた境遇を呪うしかなかったことでしょう。しかし、日本の場合はどうでしょうか。西欧文明による圧倒的武力や圧倒的冷酷、圧倒的悪魔的所業を前にして立ちすくんでいるわけでは決してありません。日本の人々は自ら進んで自滅の方向に向かっているように、私には思えます。

おかしいよ、そう思ったときは、言うべきことは言わないと。おかしいと思ったときにそのことが言える社会でないと。

少数意見の大切さ

少数意見は、状況が変われば多数意見になることもあります。ところが、少数意見がそもそもなければ変わりようがない。別の言い方をすれば、ある集団がこのやり方ではまずいと感じ始めたとき、少数意見の存在を許容する集団なら、それが逆転して、昨日の少数意見が今日の多数意見になる。したがって、別の方向への軌道修正が可能です。ところが少数意見を圧殺した社会だと、状況が変わってきて、やばいよ、そろそろ全体の方向を変えたほうがいいのではと考えたとしても、そのまま進むしかありません。そのまま進んでいくと大変なことになるかもしれないと思っていても、あとは惰性で進まざる得ない。

初めから2つの意見が内部にあれば一方の意見から他方の意見に移ることができるが、初めから1つの意見しか存在しない社会では、新たに別の意見を作り上げる「種」そのものがない。この惰性力をとめるのは外からの圧力か内部での自己崩壊すなわち破局しかなくなる――というのが歴史の示すところです。
 
当サイトでは政治的趣の話題は極力取り上げないようにしているつもりなのですが、ときどき禁を破らざるえないほどに、今の世の中はどうかなっている。が、私のブログの読者には士業関係者も多いというのに、この方々からはそういう危機感がほとんどまったく感じられなくて、今日は日ごろの不満をつい口にしてしまいました。自分は政治的発言をしていないから例外、嵐の外にいられる――とでも思っているのでしょうか。甘いなあ。

ニーメラーの警句


 
ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。それからナチは社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、まだ何もしなかった。ナチはついに教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。そこで自分は何事かした。しかし、そのときはすでに手遅れであった。「現代政治の思想と行動」より(丸山真男著)
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