シートベルト不着用の過失相殺

保険調査員の仕事は警察回りから始まる

保険調査員は警察にしょっちゅう行く。私は交通課にもしょっちゅう行ったが、刑事課にもしょっちゅう行った。交通課に行くのは交通事故に関してである。刑事課に行くのは、異状死とか、盗難とか、火災とか、殺人とか、要するに事件に関してである。そういえば、調査員としての初仕事は警察での担当官からの事情聴取だった。私は日本の警察から嫌なことをされた思い出はいちどもなかったが、どうしてだか、警察が大の苦手だった。それでなかなか行けなくて、社内をうろうろしていたら、上司から大目玉を食らった。調査員初日のことだった。

シートベルト着用の有無も仕事のひとつ

交通課に行くのは、ある特定の交通事故に関する情報を入手するためである。入手したい情報とは、事故当事者の有効免許の有無とか、飲酒の有無、車の速度、信号の色とかいくつもあるが、その中にシートベルトを着用していたかどうかもある。

しかし、警察が答えてくれるかは担当官しだいである。たとえば、ふだんシートベルトの有無について「していた」と答えてくれる担当官。しかし、そのときだけ「いや、答えられない」ともし言ったら、それも立派な答えである。あ、あ、シートベルトしていなかったんだなあ。そう思ってたいていは間違いない。いつも「答えられない」で通す担当官だとこの推測は成立しないが、シートベルトを着用していたときは常に「していた」と答えてくれる担当官ならこの推測は成立する。こういう担当官のクセは日常的に警察に出向いていないとなかなかわからないものである。

しかし、このクセによる判断はあくまで調査員の推測なので、その裏をとるために、救急隊が出動していれば救急隊員に確認するし、もし死亡事案なら、検案医に確認する。事故現場にいたわけでない検案医に「シートベルトをしていたかどうか」を聞いてみてもしかたがないので、そのときは、シートベルトをしていたなら生じるであろう右肩から左腰にかけての線状の皮下出血の有無を確認する。あれば、事故時にシートベルトをしていたことがわかるし、なければシートベルトをしていなかったことになる。

座席ベルト装着者特別保険金

どうしてシートベルトを装着していたのかどうかを確認していたのかというと、今はなくなったようだが、かつて「座席ベルト装着者特別保険金」という保険特約があったからである。最新の「自家用自動車総合保険の解説」という本には「座席ベルト装着者特別保険金」が載っていなかったが、旧版(2002年版)にその解説が載っていた。それによると、「座席ベルトを装着していたにもかかわらず死亡した場合、通常の死亡保険金のほかに所定の座席ベルト装着者特別保険金を支払う旨を定めて」となっていて、「保険金額の30%(300万円を限度)」が支払われていた。

これは、シートベルトをしていなかったことを理由に、保険金が減額されるというのではなくて、シートベルトをしていたことがわかったら、「保険金額の30%(300万円を限度)」分多く支払われるというありがたい特約だった。

シートベルトの有無は過失相殺事由にもなりうる

だが、シートベルトをしていなかったために、たとえば頭部外傷の重症を負ったり、死亡したりしたばあい、シートベルト不装着と受傷との因果関係が認められるばあいは過失相殺ができる。すなわち、シートベルトの不着用は、損害の拡大を防ぐべき義務違反として、過失相殺事由になりえるからだった。このように、シートベルトを着用していないことが過失に認定される場合がある。その確認のためのシートベルトの有無の確認でもあった。

このように、シートベルト着用の有無は、かつては「座席ベルト装着者特別保険金」にかかわっていたし、現在は過失相殺事由になりうるわけである。問題は、どこまでの因果関係が存在すると、シートベルト不着用を理由に過失相殺できるのか。できるとして、どれくらいの過失相殺ができるのか。

シートベルトに関する現行法の規定

では、シートベルトに関する現行法の規定からみていくことにしよう。

【道交法71条の3】

Ⅰ自動車(大型自動二輪車及び普通自動二輪車を除く。以下この条において同じ)の運転者は、道路運送車両法第3章及びこれに基づく命令の規定により当該自動車に備えなければならないこととされている座席ベルトを装着しないで自動車を運転してはならない。ただし、疾病のため座席ベルトを装着することが療養上適当でない者が自動車を運転するとき、緊急自動車の運転者が当該緊急自動車を運転するとき、その他政令で定めるやむを得ない理由があるときは、この限りでない。

Ⅱ自動車の運転者は、座席ベルトを装着しない者を運転者席以外の乗車位置(当該乗車装置につき座席ベルトを備えなければならないこととされているものに限る。以下この項において同じ。)に乗車させて自動車を運転してはならない。ただし、幼児(適切に座席ベルトを装着させるに足りる座高を有するものを除く。以下この条において同じ。)を当該乗車装置に乗車させるとき、疾病のため座席ベルトを装着させることが療養上適当でない者を当該乗車装置に乗車させるとき、その他政令で定めるやむを得ない理由があるときは、この限りでない。

Ⅲ自動車の運転者は、幼児用補助装置(略)を使用しない幼児を乗車させて自動車を運転してはならない。ただし、疾病のため幼児用補助装置を使用させることが療養上適当でない幼児を乗車させるとき、その他政令で定めるやむを得ない理由があるときは、この限りでない。

 

シートベルト着用規定の変遷

シートベルトの着用については、昭和45年道交法改正により、高速自動車道等で自動車を運転する場合のみ法律上の努力義務として規定されたのが最初だが、その後、昭和60年改正で、すべての道路において運転者と助手席の同乗者に着用が義務付けられた。しかし、後部座席については、努力義務とされたままだった。

昭和60年改正当時、シートベルトの着用義務化に反対する意見もごく少数ながらあった。実を言うと私自身も、助手席側のシートベルト着用義務化には賛成だが、運転席のシートベルト着用の義務化にはたいへんな違和感を感じた。シートベルトを着用すれば運転者の交通事故死の可能性は低くなるし、大怪我のところを軽症や無傷ですむのだから、どうして反対するのかと疑問に思われたかもしれない。

たしかにそうだ。運転する側にとっては。しかし、歩行者などいわゆる交通弱者からみたらどうだろうか。日本はクルマ社会であるためなにごともクルマ中心に考えることに疑問を抱かない人が多すぎる。歩行者の立場になって少しは考えてみたらどうだろうか。

すなわち、シートベルトをつけることによって、少々の事故にあっても自分は大丈夫だという気持ちになる運転者が増え、クルマの高速化につながるのではないのか。その結果、交通弱者の交通事故死が増えたり、あるいは軽症のところを重症化したりする可能性が高くなるのではないのか。私はそう思ったので、改正には反対だった。しかし、そんな少数派の声など無視されて、昭和60年に法改正されてしまった。

現・規定は、平成19年に改正されたものであり、運転者に対し、後部座席シートベルト着用の義務づけと、高速道路における違反の場合の行政罰が導入された。その結果、後部座席のシートベルトの有無についても受傷との因果関係が疑われるばあいは確認しなければならなくなった。

後部座席でのシートベルト着用に関しての裁判官の姿勢

たとえば、「交通事故損害賠償実務の未来」(P142)では現役の裁判官がこう書いている。

後部座席でのシートベルト着用は一般にも周知されているものと考えられるから、義務違反については、運転席や助手席の場合と同様に、シートベルト着用義務違反と損害の発生あるいは拡大との間に因果関係がある限り、過失相殺として斟酌し、その割合も同様(注:5%~最大で20%)に解してよいであろう。

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次に、どこまでの因果関係が存在すると、シートベルト不着用を理由に過失相殺できるのか。そのことについては、「寄与率と非典型過失相殺」(ぎょうせい)で、以下のように書かれていた。

シートベルトの不装着に関しては、井上判事の指摘(注:判タ1033号)もあるとおり、①不装着が損害拡大をもたらしていない場合(因果関係が認められない場合)には、過失相殺事由とすることが認められない。

また、②因果関係の証明がなされない場合や、不装着の事実が証明されない場合にも不装着を理由とする過失相殺を行うことはできない。

ただし、③拡大したことが認められるが、その程度について立証上の問題が生じた場合については藤村判事は「控えめな認定とならざるを得ないが、その際は慰謝料の斟酌事由として考慮することも許されるのではないか」との指摘をする(昭和62年赤い本講演)。

・・・さらに、判例を分類すると、加害者側の過失があまりに大きい場合や、逆に、被害者側の過失が大きいため、別途不装着を加算したとはみられない判例がある。これは、民法722条の立法趣旨である衡平の見地からの対処であると思われる。(P372~373)

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シートベルトに関する判例紹介

最後に、どれくらい過失相殺されるのか、シートベルトに関する重要と思われる判例を紹介しておきたい。

①東京地裁 平成元年4月7日判決
被害者が交通整理の行われている見通しの良い交差点で、加害者運転の自動車と被害者運転の自動車との出会い頭の衝突により、被害者が車外放出されて死亡した事故では、シートベルト非着用等の被害者過失が認められ、80%の過失相殺が認められた。

 

②盛岡地裁花巻支部 平成2年10月5日判決
高速道路で仕事帰りに同僚の運転する被害車の助手席に同乗中、雨でスリップし 暴走した加害車に衝突され、車外に放り出されて死亡した事案につき、シートベ ルト着用を指示しなかった被害車運転者の過失は被害者側の過失として、また装着の重要性は周知で被害者自身の過失としても評価できるとされ、シートベルト不着用で2割の過失相殺が適用された事例。

 

③静岡地裁 平成4年5月18日判決
交通整理の行われていない交差点において、A車とB車とが衝突し、その衝撃でA車の助手席にシートベルト未装着の状態で同乗していた被害者が車外放出されて死亡した事故では、シートベルト非着用等の被害者過失が認められ、15%の過失相殺が認められた。

 

④神戸地裁 平成5年6月25日判決
センターラインを越えて対向車線にはみ出して走行した加害・普通乗用車と、対向普通乗用車の衝突事故。被害車の助手席に乗車し受傷した同乗者がシートベルトを着用していなかった。損害拡大に寄与したことを理由に、被害者に10%の過失相殺を認めた事例。原告(被害者)本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、被害車と加害車が衝突した際の衝撃のために、被害車助手席から投げ出されて座席の右前方に移動し、ハンドル等の内部機器に右半身を打ちつけたことが認められる。また、原告の本件受傷のうち骨折等の発生箇所及び本件後遺障害の存在部位がおおむね同人の右半身を中心としている事実を理由に、シートベルトをしていれば現実に発生したものより軽微なものですんだと推認できるとした。

 

⑤浦和地裁 平成11年9月14日判決
センターラインを越えて衝突された被害車の同乗者の怪我について過失相殺されなかった事例。原告(被害者)は当時、座席をリクライニングした状態で眠り、シートベルトをしていなかった。シートベルト不装着が傷害にどの程度寄与したのか不明なこと。加害者側の事故態様が、対向車線の飛び出しという重大な過失によることなどを考慮している。

 

⑥東京地裁 平成11年9月16日判決
信号のない交差点での出合頭衝突事故。シートベルトを装着していなかったことと、被害者の治療内容や治療期間に大きな影響を与えたこととの因果関係を否定して、過失相殺を認めなかった事例。

「反訴被告は、反訴原告がシートベルトを装着していれば、顔面や頭部をフロントガラスに突っ込んで頭部外傷等の負傷をすることはなかったので、シートベルト不装着を過失相殺として考慮すべきであると主張する。しかし、反訴原告が、車内のどこで裂傷を負ったのかは、・・・必ずしも明らかではない(フロントガラス及び運転席側の窓ガラスはいずれも破損していない)。したがって、少なくとも、頭部外傷については、シートベルトを装着していれば、負傷を負うことがなかったとか、負傷程度をもう少し軽微なものにできたとまでいえるかは必ずしも明らかではない。また、治療の遷延化の原因である腰痛については、シートベルトの装着により、これを防ぐことができたと認めるに足りる証拠がない。

そして、反訴原告が入院していたのは、頭部外傷を負ったことのみが原因でないことをもあわせて考えると、シートベルトの不装着は、治療内容や期間に大きく影響を与えるほどのものであったとまではいえない」。

 

⑦名古屋高金沢支判平成17年5月30日判決
原告は、本件事故当時妊娠34週目であり、シートベルトをしていなかったと認められるものの、妊婦が自動車の運転をしたことの一事をもって過失があるとはいえず、また、我が国では一般的にシートベルト着装が道路交通法上義務とされているものの(同法71条の3第1項本文)、妊婦についてはその義務が免除されている(同法71条の3第1項但書、同法施行規則26条の3の2第1項第1号)ことからすれば、シートベルトをしていなかったことをもって過失があるということもできない。

 

⑧名古屋地裁 平成24年11月27日判決
原告車にジュニアシートが設置され、(後部座席にいた)亡甲及び原告乙がシートベルトを着用していた場合、体感する衝突の衝撃は車体変形により減衰され、原告車が横転して車外放出を回避できた可能性は高い。
そうすると、亡甲及び原告乙がジュニアシートないしシートベルトを着用していなかったことにより本件損害が拡大したと認めるのが相当であり、ジュニアシートの設置が義務付けられていること及び本件事故日以前である平成20年6月1日に後部座席シートベルトの着用が義務付けられたこと(道路交通法71条の3第2項、第3項)をも併せて鑑みれば,同人らと身分上、生活上一体の関係にある母で、運転者の原告丙の過失として亡甲及び原告乙の損害につき過失相殺を適用せざるを得ない。
しかしながら、後部座席付近に2度にわたり強い衝撃が加わっていること等からすれば、亡甲や原告乙がシートベルトをしていたとしても、相当程度の負傷は免れ得なかったといえることに加えて、本件事故が赤色信号無視による被告の一方的過失に基づく事故態様であること、亡甲が死亡していることなどを考慮して、その過失は、5%を認めるのが相当である。

 

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