石川真澄「人物戦後政治 私の出会った政治家たち」など、先月読み終えた本

【ラティモアの西域砂漠冒険時に撮影されたもの】

もう30年近くも前になるが、当時、私は朝日新聞をとっていた。いまもあるのか知らないが、当時の朝日新聞には編集委員制度というのがあって、記者の中でも特別に秀でていた人がなっているらしくて、私が好きな記者がそのなかに何人かいた。本多勝一とか高木正幸とか広瀬道貞とか。石川真澄もそのうちのひとりだった。石川真澄署名記事をみつけると、私は目を皿のようにして読んだものだ。

石川は国会担当の記者だった。石川はいわゆる派閥記者になることを警戒し、派閥記者にありがちな政治家とのベッタリの関係を嫌った。政治家とはつかず離れずの関係を保ったのである。そして、石川が在職中にあった個々の政治家のエピソードから虫瞰することを通して、戦後政治の全体像を鳥瞰したのがこの本である。

本書で取り上げられた政治家は、池田勇人、大平正芳、宮沢喜一、佐藤栄作、川島正次郎、河野一郎、三木武夫、田中角栄、竹下登、佐々木更三、江田三郎、河上丈太郎、成田知巳、石橋政嗣、西尾末広、佐々木良作、羽生三七、土井たか子、菅直人、武村正義、加藤紘一の21人。たとえばこういう記載はまことに興味深い。

莫大な金が飛び交うのが普通であった当時の自民党総裁選について、石井光次郎派の参謀であった灘尾弘吉氏と田中氏が次のような雑談をしたということを聞いたことがある。灘尾氏は金を議員らに配るのに当たって、相手が必ず石井氏に投票してくれるという心証を得ないと金を置いてこられないから、その見極めが難しいですなあ、といった話をした。

ところ田中氏は、そんなことは何でもないと答えたそうである。相手が佐藤氏に投票してくれそうでも、くれそうでなくても、とにかく金は置いてくる。相手が、いや私は佐藤氏には投票しないと断っても、「この金はこういうときでないと動かない金なんだから受け取っておきなさい、役に立つことがあるよ」という。その当時の総裁選に効き目なくとも、いずれ何かの機会に効いてくるから無駄にはならないというのが田中氏流であった。(P89-90)

 

私が社会党を担当するようになったころはまだ社会党の信用がまだ相当にあるころであって、「社会党の駄目さ加減」などといった言葉さえ使う者はなかった。「派閥」というものについても、社会党のそれは自民党とは違う扱いがされていた。

自民党の場合は理念や政策の違いによるものではなく、単に権力を奪い合う単位としての派閥であって、ヤクザさながらの親分・子分関係が軽蔑の対象でさえあった。それに対して社会党の派閥は、イデオロギー、政治方針、大衆運動の原則、労組との関係といった「次元の高い」問題についての考え方の相違に基づくグループであって、派閥という言葉を使うのさえ適当でないという空気があった。

実際、私が社会党の記事を書くようになって数カ月経ったある日、私は政治部の一人の先輩からこう忠告された。「君が書くようになって社会党はずいぶん派閥化した印象がある。社会党の派閥が自民党と同じではないことを忘れないように」(P108-109)

 

私は60年代に、かなり多くの(社会党)左派系議員に、少し親しくなると、本当に社会主義社会の実現を目指しているのかを尋ねてみた。たいていの人があいまいだった。そんなこと、できっこないよと、はっきり答える人もいた。中には、上着の左のポケットから「いこい」という大衆煙草を取り出し、右のポケットからは高級とされる「ピース」を取り出して見せ、前者は選挙区用、後者は東京用と笑ったうえで、社会党議員であることと社会主義者であることは使い分ける必要がある、と説明してくれた人もあった。(P122)

 

共産党は別の意味で余り接触のない党であった。というより、接触できない党であった。「商業新聞」には文字通り堅く門戸を閉ざしていたのである。東京・代々木の党本部へ入ろうにも入り口でチェックされ、事前の約束がなければ誰とも会えなかった。記者会見、発表などは選挙のときの公認候補発表くらいなもので、その時ばかりは本部の中に入れてもらえた。新聞などというものは、党の都合のいいときだけ利用するものであって、ふだんは敵であるといわんばかりであった。(P177-178)

 
石川氏は小選挙区反対論者としても有名だった。1990年代、ほぼ孤立無援の状態で、小選挙区制の問題点を指摘していた。当時のテレビ出演で、小選挙区制の問題点を話し始めようとしたとき、小選挙区推進論者として当時テレビに引っ張りだこだった福岡政行氏が横から大声でまくしたてて、石川氏に話をさせまいと露骨な干渉をしていたのをみたことがある。そのとき、石川氏は不快な顔をされていた。当時から「無理筋」だったのだ。そして、当時、小選挙区制の旗振り役の中心にいたのが、今でもリベラル界隈に大人気の山口二郎氏である。その山口氏がこんなツイートをしていた。 

おい、おい。他人事みたいに言うなよ。あなたが「無理筋の議論」をしていた張本人のひとりじゃなかったのか。私は、こういう「知識人」が大嫌いである。
 

医学書なんて読んでもよくわからんことだらけだし、面白くもないし、たいくつだし、第一、高価だ。交通事故に関する本もはっきり言うとたいして興味があるわけでもない。こんなサイトを運営しているてまえ、どちらかというと義務的に読んでいるにすぎない。カネにもならんし、夢も与えてくれない。

そこへいくと冒険記・探検記は、自分の知らない世界の追体験ができるだけでなく、自分に勇気を与えてくれるのがいい。中国史で知られるオーエン・ラティモアだが、ラクダによる西域砂漠冒険記を書いた冒険者としても知られる。この本は、隊商を組んでの近代的装備でかためた探険隊という趣でなくて、9頭のラクダとラクダ曳きらで行った放浪者の旅行記だ。ちょっとの勇気と好奇心と想像力があれば私にだってできるかもしれないという期待とか夢とか、少なくともそう思わせる幻想を与えてくれる。今回は再再読で、途中まで読んだところだが、西域砂漠冒険記はいくつか読んだものの、この本はそのなかでも特筆しておもしろい。ふだん交通事故にまつわるトラブルのこととか書いているから、本当の関心事である冒険とか探検とかに関する本を読むと、心が洗われるんだよね。
 

戦前、赤紙(徴兵の知らせ)によって国民が徴兵されていた。それがどのようにして選考されているのかを暴露した本。著者である松本清張の体験に基づくもので、自伝「半生の記」でも、

17年の12月に私に召集がきた。赤紙には、「教育召集」と書いてあるが、当時は、その名目で戦場に持っていかれる場合が多かったので私も覚悟した。指定された日に検査場に行くと、ほかの招集者から見ると年配者のほうになっている。係が私の顔と令状とを見比べて、おまえ、教練にはよく出たか、と訊いた。あまり出ていないというと、ははあ、それでやられたな、とうなずいて言った。この一言は今でも耳に鮮やかに残っている。

この体験に基づくものだ。アマゾンのレビューでは、徴兵事務を担当する出先機関の小役人に教練に出なかった「不真面目な、けしからん奴だ」と睨まれて戦場に行かされたというような偶発的・懲罰的意味で解説しているものがあるが、それだけではない。要は、カネ・コネで徴兵を逃れた者たちの代替という意味があったのだ。
 

著者の清水潔は、ジャーナリストしての評価の高い人だが、これまで氏の本を読んだことがなかった。積読状態だったが、数時間で読み終えるほど、読みやすかった。氏がこれまでに行った調査報道の舞台裏を紹介しており、ちょっとした疑問をとことん追求する清水氏の調査報道の執念には舌を巻いた。一流と言われる人と普通の人との差は、ちょっとした差なのかもしれないが、そのちょっとした差を埋めるための実行力や想像力をもつことがどれほど困難なことなのかとも思い知ったしだい。
 
ザ・クラッシュのロックに関する過去記事でこの本に言及したことがあったので。追記できればと、再読した。
 
裁判員裁判について調べていて、この本も役に立つかもしれない、読んでおかなきゃと思って再読した本。
 
脊髄損傷の相談があったため、改訂版が出るのを待ちきれず購入した本。新書の大型版くらいの大きさで、ページ数も262しかなく、それでいて、4600円+消費税は高すぎる。脊髄損傷に関する標準的な記載と図が網羅されており、全体をコンパクトに鳥瞰するのに便利である。保険会社に対する反撃の資料として活用できないかなと思って買ったしだい。
 

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