「交通事故の原因の9割は人為的ミスによるもの」はどこまで本当なのか。

問題の所在

ぼくの記事に噛み付いてくれた方がいた。まずそのコメントから紹介する。

無題
参考文献が1962年ってなめてんのか
そのころとは自動車技術も道路状況も全然違うだろ
最近の日本に事故につながるほどの道がどの程度存在してるっていうんだよ
あ 2016-08-01 09:30:14

アクセス解析で調べてみたら、某大学の工学系らしき研究室から発せられていた。研究者なんだから、もうちょっとは研究者らしい書き方ってあると思うのだが。

日本の道路環境はそんなにすばらしいのか

それはともかく、「最近の日本に事故につながるほどの道がどの程度存在してるっていうんだよ」というご指摘。これは日本人の一般的な理解なのだろう。「事故原因の9割は人為的ミスによるもの」という言説がまことしやかに信じられているのだから。だったら、この機会に、しっかりと反論しておく必要があると思った。

別ブログの記事に対するコメントだったので、そちらでコメントをしようかと思ったが、かんたんな説明では足りないと思ったこと。交通事故の記事はこちらのサイトで書くよう統一したかったことから、当サイトで反論を書くことにした。

問題にされた記事紹介

さて、噛み付かれた記事はこちらである。

数日前のこと、朝日新聞をみていたら、クルマの自動運転に関する記事が載っていて、そこでは交通事故の原因の9割は人為的ミスによるものだから、クルマの自動運転という技術が実用化されたら、交通事故の9割が減ってしまうというようなことが書いてあった。それが本当ならすごくいいことだ。交通事故で食っているわけでないから、今のところオマンマの食い上げになるわけでもないし、将来そうなったらなったで自分にできそうな次の何かを無理してでも探すしかないなあと思った。

しかし、この事故原因の9割は人為的ミスによるもの、つまりヒューマンエラーによるものという説をよく耳にするし、疑いもなく信じられているほどに一般的だけれど、どこまで本当なのか。

言うまでもないが、交通事故は、「(人-車-道)システムの欠陥によって起こる」(「路上の運転と行動の科学」シャイナー著・P22)ものである。先の説が正しいなら、交通用具たるクルマや道路環境は足しても事故原因の1割程度にしかならないことになる。

う・う・ん。この説は間違っていると調べたわけでもないからそこまではいうつもりはないけれど、ぼくの実感とはちょっと違うような気がする。実感が常に正しいわけではもちろんないが、実感にあわない言説については、それを唱える人物がいくら偉くても、ぼくはとりあえず疑ってかかりたい。

と思っていたところ、最近読んだ「道の文化史」シュライバー著・岩波書店)という本の中にこういう一節があるのを発見した。

大いに功績のある専門家たちが事故の原因に関して最新の統計を作成しており、それぞれ国際的な概観にもとづいているのに、おたがいにあきれるほど矛盾していて、一つをたてれば、もう一つが成り立たなくなるというありさまである。

「あらゆる交通事故の原因の総計約90%を占める7つの主要な事故原因をくわしく観察すれば、そのすべてが交通関係者のもっともかんたんな交通法規違反であることを結論せざるを得ない」

と、ボンの連邦交通監督局はそのパンフレットの一つでぼやいているが、「道路と高速自動車道路」という雑誌にはまた次のように書かれている。

「EECの内陸運輸委員会は、西ヨーロッパ14か国の統計局の報告から、・・・次のような結論に達した。つまり、運転者の過失が20%、自転車と歩行者の過失が5%、自動車の損傷(=技術的欠陥)5%、道路の欠陥70%という百分比が事実に相応する」というのである。(P405-406)

道の文化史―一つの交響曲 (1962年)/岩波書店

日本の場合は、なんでもかんでも事故当事者という個人の注意不足に原因を求めたがる。自己責任論が大好きな国民だからなあ。そういうのがバイアスになっていないのだろうか。どうなんだろう。

(追記)
ネット検索したら、参考になりそうな論文が見つかった。
所正文著「交通事故の発生要因と運転行動のメカニズム」

ぼくが引用したシャイナーについても言及されている。

 
今回は問題の指摘だけにとどめ、次回、ぼくなりの反論を試みたいと思う。もし、コメント氏が主張するように日本の道路環境がすばらしいというか、問題のないものなら、それはそれでたいへんけっこうなことである。自分の無知を反省しなければいけないと思う。

「道の文化史―一つの交響曲」をとりあげたわけ

なお、1962年作の「道の文化史―一つの交響曲」の中の一節を取り上げたことに対して、そんな古いものが参考になるのかよというご指摘だが、この一節をとりあげたのは統計の矛盾の例として適切だと思ったからだ。すなわち、ボンの連邦交通監督局の統計では事故原因の90%は事故関係者のヒューマンエラーが原因だとしている(日本の「交通事故の原因の9割は人為的ミスによるもの」と同じ比率である)のに対し、EECの内陸運輸委員会ではまったく結論が違っていて、ヒューマンエラー以外の要素で75%事故が発生するとしているからだ。どうしてこれほど結論が違ってくるのか。統計の取り方しだいで結論がずいぶん違ってくるのだなあ、自明のものと思われていることでもひょっとしたら事実と違うのかもしれないなあと、注意を喚起するつもりでとりあげたまでである。古いも古くないも関係ないだろう。
 
16・10・19追記
この記事に限らないが、道路管理者など行政側の責任追及を云々するような記事を公開すると、とたんに圧力がかかる。それも1件ではない。ここにあるコメント氏のようなかわいらしい中傷だけでなく、具体的なことは書かないが、それ以上の圧力をかけてくる。警告、一種の脅しである。それも複数から来る。

本文のところで「しっかりと反論しておく必要がある」と書いたまま、その後反論記事を書いていない。脅しに屈したわけではもちろんないのだが、疑問を呈しただけのことを書いてこれなのだから、本格的な反論を公開したらどんな反響があるのだろうかなどと思ってしまう。

反論として書いたわけではないが、参考になりそうな記事をこれまでもいくつか書いてきたし、このあともいくつか書いた。そのうちの代表的な記事を以下に示す。参考にしていただければと思った。これらを読んだうえで、反論してよね。

「道路の欠陥による事故の過失割合」

「自転車は車道のほうが安全なのか」

「「人間のための街路」、そして「人間のための都市」」

「能登で起きた部活バス衝突 中学生2人死亡事故」

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交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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