人身傷害保険におけるむち打ち症の労働能力喪失期間2年について

ある掲示板を拝見して

以前、ときどき訪問し、何度か書き込んでもいたサイトの掲示板にしばらくぶりで訪問した。掲示板には、交通事故被害者の方が人身傷害保険による後遺障害をふくめた支払予定明細を書き込んでいて、その額が妥当かどうか質問されていた。その中から一部引用すると、

>労働能力喪失率5%。労働能力喪失期間2年。

それに対して常連の回答者の方が、

>加入保険会社との交渉により、保険金額の増額を目指しておられるのだとしたら、そちらの方向性に見込みはないものとお考え下さい。人身傷害保険では、その金額が適正かどうかではなく、事前契約によって決められた金額が支払われるのが原則だからです。

約款にすべてが書いてあるわけではない

原則論としては正しいのかもしれないが、約款で一から十まで何でも決められているわけではないし、解釈の余地がある規定も存在する。しかし、相談者はこの回答を真に受けて示談してしまったようであり、もう後の祭り、It’s Too Late、もう手遅れなので、ぼくがいまさら書き込みをするのもどうかと思ったから、こちらに書くことにした。

人身傷害保険とは

人身傷害補償保険とは、人身に関する損害について、加入の任意保険会社から、約款に従った保険金の支払を受けることができる保険である。治療費、入通院慰謝料、後遺障害慰謝料、逸失利益、交通費、休業損害など一般的な損害項目に関して補償を受けることができる。支払い基準が約款で明確化されているものが多いことから、金額に関して争えないことが多いのも事実である。

たとえば労働能力喪失期間について

とはいえ、人身傷害保険の約款になんでもかんでもすべて、一から十まで記載されているわけではない。たとえば労働能力喪失期間についてである。相談者への提示は2年である。しかし、約款にそのように明記されているわけではない。約款には「「障害の部位・程度、被保険者の年齢・職業、現実の減収額等を勘案して決定する」とあるだけだろう。

むち打ち症による後遺障害14級の場合のこの2年がはたしてどこまで妥当だろうか。裁判基準なら2年から5年だと言われているため(注1)、2年が不当とまでは言えないと言われているが、やはり短いなあと思わざるえない。5年はさすがに保険会社も認めないだろうから示談では無理だろうし、裁判で争うしかないが、残存症状しだいでは3年くらいなら交渉の余地があったかもしれない。2年と3年とでどれくらい違うか。わずか1年の違いだが、もとが2年なのでかなりの額の開きがあるはずだ。

14級におけるむち打ち症の労働能力喪失期間について

大阪地裁が公表した算定基準(P44)では、むち打ち症の14級は2年~5年としている。また、佐久間邦夫判事は「5年程度」、大島眞一判事も同じく「5年」と判断していることが多いと述懐している(「交通賠償論の新次元」P58)。また、「交通事故におけるむち打ち損傷問題」という本では、裁判所が14級を認定した事案における労働能力喪失期間を集計した結果を公開しており、その結果は、「2年6%、3年30%、4年6%、5年以上58%」(初版P191)としている。

 


 
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労働能力喪失期間2年は6%の真実

2年というのは不当でないといわれているけれど、裁判例のわずか6%である。他方、5年以上は58%である。「以上」とある中には就労可能年齢である67歳まで認めた裁判例も存在する。損保の提示は、やはりどう考えても短いと思わざる得ない。保険会社はあえて短く労働喪失期間を2年とした自分に都合のいい判例をもとに算定しているといわれてもしようがないんじゃないだろうか。

労働能力喪失率も気になるところ

このように、人身傷害保険は契約で決まるものであり、その契約内容も約款で仔細について取り決めている。だから、提示された保険金額は争えないのだとよく言われる。ふつうはそうなのだろうけれど、そこで納得してしまって思考停止したらだめだと思う。支払明細の根拠を約款にどう書いてあるのかいちど当たってみること。それが大切だと思う。

労働能力喪失期間以外に、労働能力喪失率も気になるところだ。後遺障害に該当する傷病の中には、たとえば歯の欠損障害とか、醜状障害とか、ある種の変形障害とかなどが労働能力喪失率に影響を及ぼさないとも言われている。人身傷害保険でこれらの傷病がどのように扱われているのかぼくは知らないのだが、いちおうの注意が必要だと思う。

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ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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