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むち打ち症の特異なところ
むち打ち症というのは交通事故受傷でもっとも多くてかつある意味でもっともやっかいな傷病名だ。器質的損傷つまりいわゆる他覚的な所見がないことが多いため、患者は症状を訴えているものの、患者だけが痛い・痛いと言うだけで、医師にはそれが伝わらず、どれくらい痛いのかどころか、本当に痛いのかさえもなかなかわからない傷病名だからである。加えて、治療してもその効果が不明な傷病名である。
そんなしだいで、相手損保も、画像上問題がないし、症状は本人が訴えているだけだしで、ひょっとしたら詐病かもしれない、それとも被害者意識が強いためことさら症状を強く訴えているのかもしれないなどとついつい考えてしまいがちである。その治療にあたっている当の医者たちも、治療すればするほど長引くから治療しないのがいちばんの治療だと言い出すしまつなのである(注1)。プラセボ効果さえもないってことなんでしょうか。だったら治療なんかするなよと言いたくもなる。そんなことから、損保も事故被害者に対していきなり治療打ち切りという行為に出やすいことになる。
治療打ち切り時期について1か月・3か月・6か月と説明しているサイトはいっぱいあるが・・・
で、インターネットでその治療打ち切り時期について調べて見たのだけれども、他覚的所見のないむち打ちの打ち切り時期については1か月・3か月・6か月の3段階があると説明しているサイトはたくさんあった。しかし、それ以上に詳しく説明しているところは皆無だった。すなわち、1か月と3か月とでは3倍の開きがあるし、6か月と比較するとなんと6倍もの違いになるのだ。この違いはどこから来るのか。まさか、サイコロを振ってテキトウに決めているわけでもあるまい。それなりの目安というものが存在するのだ。
診療ガイドラインの位置付け
この場合、ふつう目安となるのが「○○○診療ガイドライン」とか言われるものである。
南江堂からシリーズものとして出版されており、私も旧版なら何冊か持っている。現在は情報公開が進んでおり、最新版をこちらから閲覧することができるようになったから、あえて買う必要がなくなった。
リンク先を見てほしいが、こんなにポピュラーな傷病名なのに、それに該当するガイドラインが存在しないのだ。むち打ち症(外傷性頸部症候群)の正確な病因・病態は医学的に未解明な点が多いため、はっきりした治療法が確立していない。そのためガイドラインの作成ができないのかもしれない。
診療ガイドラインは裁判で絶大な威力を発揮する
ところでこのガイドラインだが、裁判では絶大な威力を発揮するのだ。裁判の当否を判断するために、裁判官は基準を必要とする。医療についてのずぶの素人である裁判官にとって医学的判断を行う場合のその基準とは、この「○○○診療ガイドライン」がそうである。したがって、医師が診療ガイドラインの記載内容に従わずに事故が発生した場合、従わなかった「合理的理由」を証明する必要があることになる。
診療ガイドラインが作成された当初の目的は、医学的な根拠に基づく医療(evidence-based medicine)を実現することで、EBMを実現するための手段のひとつという位置付けだった。いわば助言的位置付けだった。ところが、裁判所が医学的判断を行う上での根拠、基準として扱うようになった。
宗像雄弁護士「診療ガイドラインの法的意義 -「診療ガイドライン」は誰のためにあるのか-」( 日本整形外科学会雑誌の第89巻所収)によると、裁判所が「診療ガイドライン」を事故時の医療水準を表現するものとし、医学的判断の根拠として扱うようになったため、ガイドラインに従わない医療行為をした場合は、従わなかったことの理由を証明する必要があることになり、立証できなければ医師側の過失と認定されるという。医療機関側で注意義務違反ないし過失が存在しないことを証明しなければならないというのかなりな負担になると、私は思う。
外傷性頸部症候群のガイドライン
ところで、むち打ち症(外傷性頸部症候群)については、日本整形外科学会による診療ガイドラインなるものが存在しないことは、さっき書いた。海外には、カナダ・ケベック州のガイドラインがある。しかし日本にはなく、ケベック・ガイドラインを参考にして、試案というかたちで、平林洌「外傷性頸部症候群の診断・治療ガイドラインの提案」(「外傷性頸部症候群診療マニュアル」Orthopaedics1999・1月号・P85-)という1論文が存在するのだが、日本ではこれが実質上のガイドラインとして扱われている。
詳細については同書で確認してほしいが、その論文中に、むち打ち症を医療調査する上で調査員には馴染みの表があって、その概要だけ書いておこう。
【患者用】
(A総合情報)
1.本日の日付
2.生年月日
3.性別
4.身長・体重
5.就労状況
6.主な仕事内容
(B事故情報)
1.事故日
2.通勤途上か
3.使用交通手段もしくは歩行者の別
(車使用の場合は4~9に回答)
4.車両への衝撃の方向
5.車両横転の有無
6.事故後、車両走行の可否
7.事故時の乗車位置(右ハンドル・左ハンドル)
8.シートベルト着用の有無
9.ヘッドレストについて
(C事故前の健康状態)
1.事故前の健康状態
2.事故前の症状(頭痛・腰痛・頸肩部痛)
3.過去の交通外傷歴
4.ある場合はその受傷部位
(D事故後の症状)
1.意識障害の有無
2.頭部打撲の有無
3.骨折部位
(症状の具体的内容と程度、その部位と圧痛点、発現時期)
略
【医師用】
(A脊髄検査)
1.検査日
2.頚椎の疼痛と制限
3.触診での圧痛の有無とその部位
(B神経学的検査)
1.異常の有無、部位と神経症状の内容
(C診断のための検査とテスト)
1.検査内容と所見
(D診断と分類)
1.挫傷or捻挫orその他
2.ケベック分類
3.土屋分類
4.その他に外傷があれば明記
5.その他の症状
(E治療計画)
1.安心感の保証
2.活動性
3.その他の治療
4.専門医への紹介
上記で出てくるケベック分類については、野原医師「外傷性頸部症候群の診断と治療」の論文があり、参考になったので、引用したい。
グレード 0 ~Ⅱまでがいわゆる「むちうち損傷」と一般には認識されている。
Quebec 分類を基準に治療法を考えると、 Grade Ⅰ、Ⅱにおいては、早期に正常の活動に復帰させるべきで安静の必要は無いとされた。
Grade Ⅲの場合は頚椎装具などによる頚部の短期間の安静と薬物療法が基本となり、長時間のテレビ鑑賞や読書は避けるべきとされ、 頚椎装具や消炎鎮痛剤、筋緊張緩和剤などの投与は3 ~ 7日程度の短期間のみ有効であり、長期治療は逆に有害とされている。特に頚椎装具は激しい頚部痛を自覚し頚部の運動制限が著しい時に、3日程度の装着が適当とされている。
Grade Ⅳは骨折や脱臼の外傷に対する治療が基本となり時に脊椎外科医による外科治療を要する。その他、温熱療法や牽引療法、運動療法などの理学療法が広く行われているが、治療効果のevidence が少なく、漫然と長期間の治療は行うべきではないという(も)意見ある。局所の痛みが強いときはトリガーポイント注射、椎間関節 由来の痛みが疑われるときは椎間関節ブロック、ときに肩や頚部の血流改善による鎮痛効果を期待して交感神経節ブロックが行われる事もある。
低髄液圧症候群と診断された患者さんに対しては硬膜外自家血パッチの治療が有効とされるが無効例も少なくない。整形外科、脳神経 外科、ペインクリニック、神経内科などの各診療科や理学療法、民間療法などの治療を駆使しても、症状の改善をみない患者が多く存在することも否定できないのが実際である。
ケベック報告については、加茂医師によると、
カナダ・ケベック州のガイドラインあるが、「ケベック州自動車保険協会」の要請のもとにつくられたもの。つまり研究費はそこからでている。
日本にもいくつかの診断マニュアルみたいなものがあるけど、たいがい損保がからんでいる。
こんなの信用できない。
今回の平林論文も(社)日本交通科学協議会(現・(社) 日本交通科学学会)からの助成をうけたと記されている。日本交通科学学会のHPを拝見すると、リンク先に「日本損害保険協会」があるから、加茂流にいうなら「こんなの信用できない」となりそうだ。が、ほかにガイドラインなるものが存在しないのだから(あったら教えてください)、この平林ガイドラインが損保の外傷性頸部症候群の診断・治療に対する医学的根拠として使われることが多い。
外傷性頸部症候群治療打ち切り時期の目安
以下は、業界のマニュアルによる打ち切り時期の目安について書いたものだ。平林論文を見ることができる方は比べて見ていただきたい(いずれ、平林論文の要旨を記事にして紹介するつもりである)。
実際の打ち切り時期は、症状の程度や治療内容、そして自賠責との関係であるていど決まってくる。この2つの要素の相関関係で治療打ち切り日を決めていると思ってもらったらいいだろう。以下に各打ち切り時期のおおよその目安について述べる。
軽症例。ほとんど症状なし。あったとしても、項部鈍痛・筋緊張感程度にとどまる。他覚的所見なし。検査所見に事故に直接起因する異常が認められない。
中等症例。頚項部の運動痛・安静時痛・圧痛、運動制限、嘔気、上肢倦怠感・痺れ感。他覚的所見なし。外来のみ。
なお、3か月のケースに入院(症状が強い場合は1W~3Wの入院)が加わったものについては、事故受傷を直接原因とするものは6か月までとし、それ以降は基本的には特殊因子(基礎疾患、経年性変化、心因反応、心因賠償性、社会復帰の不安因子など)を原因とすると考える。
以上が、他覚的所見のないむち打ちの治療打ち切り時期のおおよその目安である。他覚的所見のある場合の目安については、
重症例。頭痛、嘔吐、めまい、頚項部痛強度、運動制限強度、神経根障害や脊髄障害あり。他覚的所見あり。入院は3W以上。
ということで、むち打ち症で重症例であっても、基本的には治療は6か月までということになる。それよりも長期化する場合で、日常生活や就労に支障があるほどの症状を呈し、明確な神経学的所見が継続しているなら高度の医療機関で精密検査を実施し、ときには手術も視野にいれる。この場合については例外的に1年、あるいは1年超の治療を認める。
次に自賠責についてだが、自賠責は傷害につき120万円の限度額が存在する。軽症例はもちろん、中等症例についてもこの120万円の枠内にできれば収めたい。
以上はあくまで目安であることに留意してほしい。治療法自体確立したとはいいがたい現状があるうえ、個々の患者により治癒時期も変わってくるからである。各損保・共済によって多少の違いもあるとは思う。
竹内論文の要旨
打ち切り時期については、統計上の裏付けをもとにした有名な竹内論文の影響も無視できないだろう。ここに概要のみかんたんにご紹介しておきたい。
調査対象:損保各社が受理したむち打ち症事案の中から無作為に1000例を抽出。医証等を基に、データー処理した。
結果:
(追記予定)