流通を阻害する漢字混じり文は文明語としては失格じゃなかろうか

外国人は、介護士になるのに漢字という大きな壁がある

日本で看護士や介護士が不足しているから、外国にその人材を求めているという記事が昨日の朝日新聞に載っていた。

介護現場、人材確保に期待 言葉の壁に不安 外国人実習生拡大
2016年11月18日05時00分

外国人技能実習生の働く場が、人材不足が深刻な介護にも広がることになった。法案成立を見越して、早くも受け入れ準備を進めている事業所がある一方、言葉の問題で十分なサービスを提供できるか不安視する声も出ている。・・・

 
同じ朝日新聞の過去記事(2016/09/18)に、外国人技能実習生の実態についてこういうのもあった。

昨年末から夜勤リーダーの見習いが始まった。最初ははりきったが、期待はすぐにしぼんだ。日勤への申し送りは、15分間で入所者42人分の夜間の状況を口頭で伝える。「失禁があって全更衣しました」など日常会話では使わない言葉を早口で言う。発音が悪いと、「何を言っているか分からない」とダメ出しされた。

毎晩残って練習し、3カ月間の見習い期間の最後に臨んだ試験。5人分の状況を伝えるのに10分かかったところで、打ち切られた。

 

日本の国家試験が難しくて、それが壁になっていて、看護士や介護士を断念するインドネシアやフィリピンからの娘さんの嘆息されている新聞記事は、以前にも読んだことがある。猛勉強して、運よく試験に受かったとしても、介護や医療現場では耳で聞いてもすぐに理解できないことばが横行している。そりゃそうだろと思う。「褥瘡」(ジョクソウ)とか「誤嚥」(ゴエン)とかいう漢字の読み書きができないからといって、試験で追っ払っているわけだから。こんな漢字、日本人でも書ける人は100人中1人もいないだろうし、聞いてすぐに理解できる日本人もほとんどいないだろう。

日本人にだってすぐには理解できそうにないよ

「褥瘡」(ジョクソウ)で思い出した。医師面談をしたとき、この言葉をいきなりしゃべった医師がいて、ぼくの頭の中は大混乱した。「ジョクソウ」?。「女糞」(失礼)? それとも・・・、ぼくは自分の頭の中に登録されている単語を探し回り、頭の中を駆け回って、2、3分してようやく「ジョクソウ」が「褥瘡」らしきことがわかった。せめて、NHKのラジオのように、「政府のシサン、試みの計算では・・・」というふうに、資産との同音衝突による誤解をさけるため、大和ことばへの置き換えをやってくれたなら、「女糞」などという不見識な想像もしなかっただろうに。しかし、医師本人にそのことの認識がまるでないから、「ジョクソウ」などと言いづらい音を平気な顔をして発音するので困ってしまう。ぼくにこのことばの意味がわかるかどうか試したのかもしれないが。

ほかにもいっぱいある。たとえば、ソトガワというりっぱな大和ことばがあるというのに、わざわざガイソクという表現に言い換える。外界からの接触を拒むだけの効用しかないのだから、こんなくだらん言い換えはすぐにも止めてほしいものだ。

いっそのことローマ字式日本語にしたらと思うこともある

もし、本気で外国にその人材を求めるつもりがあるなら、こうした、音で聴いてもわからない漢語表現を試験から追放することから始めなければいけないと思う。もう、まったは許されないところまで来ていると、ぼくは思う。試験だけでなくて、この機会にいっそのこと、漢字を全部廃棄してローマ字式日本語に変えたらいいのにとさえ思うこともある。

こう書くと、外国人の便宜のために漢字を追放しろというのは暴論だと言う奴が決まっている。ぼくは外国人の便宜のためだけで言っているのはではない。日本人のために言っている。こんな、正書法もできない出来そこないの表記方法にいつまでも依存していたらダメだと思うからである。聞いたとおりに表記できないのは日本語表記の致命的欠陥である。そのことを下記の梅棹忠夫著「日本語の将来」という本で改めて強く思った。
 


 

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ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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