自損事故によるガードパイプの破損

相談内容

知人が自動車で事故をおこしガードパイプ2スパン(1.6M、2.4M)、支柱3本を壊す自損事故を起こしました。保険にも入っていません。市から修理業者の紹介の書類がきました。まだ正式の見積などは出していませんが、40万以上は必要になると言われたそうです。

知人は、まだ未成年の為お金がなく親が責任をとらされるのだと思いますが、どうしたらいいか、なにかいいアドバイスがありませんか。

ガードパイプはこんなに高いのか

40万円??? 妥当な金額なのでしょうかね。ネットでガードパイプの公表価格を調べてみたら以下のようになっていました(これくらい自分で調べろよ)。
 
gaadopaipukakaku
「公表価格.com」より】
 
実際の取引価格はもっと安いはずですが、公表価格と比べてもやはり高すぎるのではないかと思います。

参考までにですが、ぼくの妻が雪のためスリップを起こし、ガードレールを破損させたことがあります。その時来た見積もりは、

支柱(土中用)1本、ビーム(3m)4本で施工費等を含め当初はピッタシ10万円でした。

 
【ガードパイプ】
gaidopaipu
 
【ガードレール】
ga-doreiru

ピッタシ10万円??? キリがあまりにいいので、どんぶり勘定なのがミエミエです。それに、ガードレールの支柱が地面からちょっと浮いただけだし、ビームのほうも2、3箇所傷ついただけです。道路管理者(県の土木事務所)に「おふざけですか」と言って、なんだったら、ぼくが現場へ行ってトンカチで支柱を叩けばすむのではないかと反論しました。

担当者は、いったん事故ったものは強度に問題があるかもしれず、取替えが基本だと説明しました。担当者の言い分ももっともかもしれないと思ったので、そこはそれ以上争わず、では取替えるとして、各費用項目の値段の詳細の説明を求めました。値段があまりにキリがいいのでと、再考を促したところ、同業他社の相見積もりをこちらがとることで再交渉することが可能になりました。ぼくがとった同業他社の見積もりでは6万円でした。その後交渉し、最終的には6万円(施行費込み)で決着しました。保険の等級があがるのと比較したら、6万円支払ったほうがいいと判断したのです。それでも高いよ。

ということで、この方面の知識がないので断定はできないものの、40万円というのはいかにも高すぎる気がしますね。金額が妥当かどうか、よく確認されたほうがいいですよ。

未成年者の不法行為責任について

あと、運転していたのは小学生だったのでしょうか。違いますよね。クルマの免許を持っている18歳とか19歳の未成年者ですよね。それなら責任能力者になるため、その未成年者本人に責任があり、保護者が責任をとることにはなりません。保護者に対しては、道義的責任はともかく、法的な責任は原則として問うことはできないのです。やらないとは思いますが、もし役所が保護者に請求してきたら、堂々と抗議すべきです。

ただそれだと中学生以上(実務的には中学生以上が不法行為能力ありと考えられている)の未成年者の不法行為により損害を被った被害者は救われないため、最高裁(昭和49年3月22日判決)は一定の条件をつけて被害者を救済しています。しかし、その条件が相当に厳しいのです。

ここでその条件の詳細については書きませんが、「結局、このように見れば、被害者からの保護者に対する損害賠償請求が認められる場面は、かなり限定されてくることがわかるかと思います。結局のところ、未成年者が非行を繰り返している場合や、犯罪歴・補導歴がある場合が中心になってきます」(『債権各論Ⅱ・不法行為法』P94・潮見佳男)。

通常は親に責任追求されることはありません。その知人が自分で支払うしかありません。損害額が妥当かどうかを確認するとともに、全額をすぐに払えないなら、親に立て替えてもらうか、それができないなら分割払いなどを提案してみたらどうでしょうか。

ガードレールってこんなにするんだ

ついでにガードレールの値段を調べてみて、ビックリこいた。
 
gaidopaipumitumori
 
こんなにするのだ。ガードレールの損害賠償額がこれほど高いとは知らなかった。損保さん、払いすぎじゃないの。ぼくのところは5分の1の価格でうまくいったけれど。でも、この記事を書いてよい勉強になった。

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突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ

hitininnno
その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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