後遺障害認定における面接を必要とするとき

後遺障害は書面主義だというけれど

自賠責に後遺障害を申請し、後遺障害を認定する際に面接を要する場合がある。インターネットで「自賠責調査事務所」「面接」で検索したところ、醜状障害の場合は面接が必要だと書いてあるのだが、それ以外の障害について説明しているサイトは、ぼくが確認した範囲では一つもなかった。「自賠責調査事務所の審査の方法は醜状痕の面接以外は「書面主義」です」としているところばかりだ。

そのように紹介しているサイトの中には、損害保険料率算定機構で後遺障害実務を担当していたという元職員の方もいて、専門家中の専門家がそういうのだからもう決まり、それで間違いないんじゃないのかと思いつつ、それでもやっぱり納得できないところがあったので、この際だからはっきりさせるために調べてみた。以下、どういう場合に面接を要するのかを、その理由もつけて書いてみた。

自賠責の後遺障害申請で原則として面接を要する障害

①眼瞼の欠損および運動障害
②耳殻の欠損障害
③鼻の欠損障害
④外貌(頭部・顔面・頚部)の醜状障害
⑤上・下肢の醜状障害
⑥露出面以外の醜状障害

 
④⑤⑥はいずれも醜状障害である。醜状障害が面接を要するのは、その認定基準が「人目につくかどうか」とか「醜状の大小」とかを計測するために面接が必要になるから、きわめて当たり前の話である。①②③の欠損障害は醜状障害ではないが、外貌の醜状障害と重なる部分もあるため、醜状障害にひと括りにするのもわからないわけではない(厳密にいえば違うのだけれど)。ただし、眼瞼の運動障害は醜状障害に含まれない。
 
mabuta
 
眼瞼の運動障害というのは「眼の障害」に属する。

眼瞼の運動は、上眼瞼を挙上する眼瞼挙筋と瞼裂を開大する上下の瞼板筋、瞼裂を閉じる眼輪筋によって行われる。また、眼瞼の運動は①まぶたを閉じる眼瞼閉鎖、②まぶたを開く眼瞼挙上、③閉じてまたすぐ開く瞬目運動の3種に分けられる。(「後遺障害等級認定と裁判実務」(P329‐)

 


 
眼瞼の運動障害というのは、開瞼時に瞳孔を完全に覆うものまたは閉瞼時に角膜を完全に覆い得ないものをいう。その確認のために、原則、面接を実施する。

面接を省略できる障害(レントゲン写真で確認できる)

体幹骨(鎖骨・胸骨・肋骨・肩甲骨・骨盤骨)の変形障害

 
たとえば体幹骨の変形障害については、後遺障害認定基準上、裸体になったときに、変形や欠損が明らかにわかる程度のものに限られているため、この場合も面接を実施する。詳しく言うと、裸体にならなくてもレントゲン写真で変形がはっきりしているものは面談を要しないが、レントゲン写真ではじめてその変形が発見しうる程度のものは面接が必要になる。面接して、ああ、たいしたことがないと判断されたら、後遺障害に該当しない。

脊柱の変形障害や上・下肢の長管骨の変形障害についても以前は面接を要するものとされていたが、その後認定基準が変更された。すなわち、たとえば脊柱の変形障害についていえば、現在レントゲン等画像で確認することに変更されているが、以前は面接調査を実施して服を着ても外部から変形が明らかな場合が認定基準だった。

レントゲン写真による確認を要する障害

①上肢および手指の欠損障害
②上・下肢の長管骨の偽関節
③下肢および足指の欠損障害

 
上記以外は面接調査は必要なし。

(「レントゲン写真による確認を要する障害」について、面接を要する部類に位置づけたけれど、ぼくが参考にした資料での位置付けをそのまま踏襲しただけである。画像だけで面接を要しないのではと思われた方もおられるに違いない。ぼくも実際の運用はそうだと思う。)

なお、胸腹部等の醜状障害で、裸にならないと判断できない場合は、カラー写真を提出することで、面接調査を省略できた。

あくまで調査員時代の話なので

ぼくが調査員時代は上記のような決まりというか規則があることが知られていた。もちろん、規則上の原則はそうだけれど、実際の運用は例外の適応をうけて面接を要しないということもあっただろうと思う。このあたりの正確な詳細については、ぼくは詳しくない。

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突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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