よりによって・・・
よりによって、どうして日本人に生まれてきたのだろうと思うことがある。そう思うのは、たいていの場合、サービス残業をこなして、わき目も振らず1日10時間以上も働かされているときである。
会社に行くと、定時になっても帰ろうとせず、周りを見渡して、仕事がなくてもだれも帰らないからだらだら残業をする。その奴隷根性の社畜どもを尻目に、若かりしときの私は、定時になったらさっさと帰ろうとした。そうすると、周りから白い目でみられた。「おう、もう帰るのか」。そういう言葉を何度もかけられると私もかんたんに帰れなくなった。人生限られているんだよな。これじゃ刑務所暮らしと変わらんじゃないか。そう思ったときから、カレンダーに退職日を記した。日本脱出のための資金がたまるまで、あと、458日だ。私は出所できるその日が来るまで、カレンダーに1日経過したら塗りつぶすことにした。あと457日・あと456日・あと455日・・・。
有給休暇の申請をした。自分の権利だからちゃんととってくださいなどと説明しておきながら、それを信じて、金曜日に有給休暇をとりたいと申請したら、翌日翌々日も休みだから3連休になる、そんなぜいたくは許されないと言われた。ドイツでは1か月間の夏期休暇が当たり前だというのに、こっちはたまたまたったの3日連続になっただけで却下されるわけである。何が先進国だ・経済大国だよ。お笑いだ(当時はそう思ったが、今の日本は先進国でも経済大国でもなくなった)。
ボーナス支給日のことだ。上司のAがすこぶる機嫌が悪い。どうしたんですか、と聞いたら、どうやら、同期入社のBより評価が低かったことが原因だった。いくら低かったのですか、と聞いたら、2000円ほどの差でしかなかった。カネの問題じゃない、私がBより評価が低いことが許せないのだときた。アホくさ。私に言わせれば、しょせんはタバコ銭ほどの差しかない。会社の評価なんてどうせテキトウなのだから、まじめに怒るほうがどうかしている。
私のかつての同僚たちときたら、パチンコかテレビくらいしか趣味のないやつばっかりだったから、休み時間になるとそんな話ばかり。やることが基本的にないのだから、会社に長時間いても何も疑問に思うふしがない。あああ、まっぴらごめんだ。こんな連中と定年まで同じ人生を送るくらいなら死んだほうがましだ。だから、会社を辞めた。
日本社会の日常的異常を異常と思わないイカレタ連中
長時間労働、社内のせせこましい順位関係での一喜一憂、仕事中毒・・・これが日本の社会の日常的異常風景である。多くの日本人はその異常さに気づこうともしない。私はきわめて正常な人間なので、こんなイカレタ連中にはついていけないだけである。
これだけ働いても貯金はたいしてできず、マイホームを購入しようと思ったら莫大な借金を抱えなきゃできない。それもうなぎの寝床のようなマイホームを買うためにだ。そうしてそのちっぽけで狭い家を持つと、まるでいっぱしの資産家にでもなったつもりになって、中流意識という幻想のとりこになる。それ以来、澱んだ空気のように変化を求めず、現状維持をただただよしとし、世間の目というやつを気にしながら生きなければならないという、この日本の息苦しさにもう嫌気がさしたからだ。
過労死に象徴されるように、日本人はまるでアリのようにせわしなく働く。のんびりした田舎の風景は、海外をほっつき歩けばごくふつうに見ることができるのだが、この日本では、とっくに消え去ったか、今まさに消え去ろうとしている絶滅危惧種の風景だ。こんなせかせかしたところにいると、こっちまで変になりそうだ。こんなひどい日本なのに、海外に一度も住んだこともない奴にかぎって、「やっぱー、日本はサイコっす」などとほざく。
北朝鮮ミサイル騒動で思ったこと
3日前のことだ。北朝鮮が日本の上空にミサイルを発射したといって、職場で大騒ぎしていた。バカらし。本当に危ないと政府が考えてたら、パニックになることをなにより恐れて国民にそのことを知らせたりは決してしないよ。フクシマ原発事故で、放射能がどっちの方向に流れたかをいち早く掴んでいた政府が情報を開示しなかったことからもそれはよくわかる。ちょっとは学習したらどうか。善意・純情な日本人にはあきれかえるばかりだ。「善意、純情の犯す悪ほど困ったものはない。第一に退屈である。さらに最もいけないのは、彼らはただその動機が善意であるというだけの理由で、一切の責任は解除されるものとでも考えているらしい」(中野好夫)。
ホリエモンっていうのは「聡明な悪人」〈注〉だけれど、銭ゲバなところがあって私は好きになれないが、このことでこんなコメントを残した。このコメントが炎上したらしい。
商売人の彼は、世の中がどんなふうに動いているのかを知ろうとするための自分の羅針盤を持っているから、回りに流されることなく自分で判断したのだ。ただのカラ騒ぎだと。それに引き換え、自分で考えず周囲に同調することしかやったことがない善意・純情の日本人は、このカラ騒ぎに気付かないし、始末に困るのだ。「始末に困る」というのは、たとえば岩月弁護士のこのような指摘がその例である。
さらにもうひとつ。9月5日付北陸中日新聞「こちら特報部」の「好景気「水増し」の構図」という特集記事についていた「デスクメモ」から。
同感。というか、私がここまで書いてきたことをうまくまとめてくれたかのようなデスクメモだ。ホント、日本人をやめられるならやめたくなるよ。
由来私の最も嫌いなものは、善意と純情との二つにつきる。考えてみると、およそ世の中に、善意の善人ほど始末に困るものはないのである。私自身の記憶からいっても、私は善意、純情の善人から、思わぬ迷惑をかけられた苦い経験は数限りなくあるが、聡明な悪人から苦杯を嘗めさせられた覚えは、かえってほとんどないからである。悪人というものは、私にとっては案外始末のよい、付き合い易い人間なのだ。・・・それにひきかえ、善意、純情の犯す悪ほど困ったものはない。第一に退屈である。さらに最もいけないのは、彼らはただその動機が善意であるというだけの理由で、一切の責任は解除されるものとでも考えているらしい。(中野好夫)
【17・09・04】岩月弁護士のコメントを追記した。
【17・09・05】北陸中日新聞9月5日朝刊から引用する。