自賠責と裁判所の判断が相違したとき

【出典:ahoboawake】

相談

自賠責の過失割合と訴訟を起こした場合の過失割合についてお聞きしたいことがあります。

自賠責保険の場合、被害者の軽過失は考慮されないことは存じております。具体的には被害者に70%以上の過失がなければ過失相殺がされないとなっていると思います。私がお聞きしたいのは、自賠責で過失相殺がされていないということ、つまり、被害者の過失割合が70%未満であったとの自賠責の判断はその後の訴訟等で仮に被害者の過失割合に関して争点となっても、動かしがたいものとなってしまうものかということです。

例えば、死亡事故におきまして、被害者遺族が自賠責から満額の3000万円を受けたとします。そうすると、この場合、自賠責の手続きに関しては被害者の過失は70%未満とされているとして処理されていると思われます。その後、遺族の方は、自賠責から支払いを受けた3000万円を超える部分の損害の賠償を求め、加害者に対して訴訟を提起したとします。

この場合、加害者としては被害者の過失割合が例えば70%あったと考えても、自賠責では過失相殺がされていないため、過失割合は少なくとも70%未満であると裁判上でも判断されてしまうものなのでしょうか?それとも、過失割合については自賠責とは異なる判断をすることもできるのでしょうか?

個人的には自賠責の手続きをしている時点では刑事裁判等が起こっていない場合も多く、刑事記録などの入手が困難であるため、証拠関係をそれほど精査していないこともあると思われますので、被害者の過失に関して、自賠責の判断と訴訟での判断は異なって当然と思うのですが、いかがでしょうか?

自賠責と裁判所の過失割合の判断は同じではない

>過失割合については自賠責とは異なる判断をすることもできるのでしょうか?

できます。

自賠責は被害者保護の要請があるので、通常の過失相殺はぜず重過失減額のみ行うという決まりがあるからです。裁判ではそういう要請は働かず、被害者・加害者を対等の関係で判断します。したがって、過失相殺は厳格に行われます。

また、最高裁の判例(平成18年3月30日)では、自賠責の支払い基準に法的拘束力があるかどうかについて、裁判所はそれに拘束されることなく、独自に損害賠償額を算定し支払いを命じることができるとしています。ご質問のいわゆる過失割合の扱いについても当然そうなります。

裁判所が被害者に有利に判断した場合

ちなみに「Q&A 新自動車保険相談」(日弁連交通事故相談センター編)でそのことの詳細を確認してみたら、以下のようになっていました。

問:
自賠責保険の後遺障害認定に不満があったので、結局示談もまとまらず、訴訟をして、かなり私の言い分を認める判決をもらいました。このような場合に、自賠責保険から追加して払ってもらえるのでしょうか。

回答:
裁判の結果にしたがって、自賠責保険から追加払いをしてもらえるかはケース・バイ・ケースです。しかし、判決で、自賠責保険の支払額を超える損害賠償額を認定された場合には、その内容が適正なものであれば、判決内容を尊重して追加払いがされることが多いようです。ただし、内容的には自賠責保険実務が肯定しにくい内容の判決もあり得るわけで、そのような微妙な論点の判決を得る場合には、加害者のみならず、自賠責保険会社に対しても損害賠償額の請求訴訟を併合して起こしておくか、または訴訟告知がされていないと、追加払いは円滑には行われないこともあります。

 


 
わかりにくいかもしれなかったので、補足を加えますと、「内容的には自賠責保険実務が肯定しにくい内容の判決」というのは、たとえば欠席判決だとか、形式的に争われていても、たいした医学的立証も行われていない場合とかのことです。このようなら、自賠責だって納得できないのは理由があることです。

また、自賠責保険会社も訴訟当事者に引き入れろというのは、判決の効力は訴訟当事者に及ぶが、それ以外には、口頭弁論終結後の承継人や第三者の訴訟担当における本人などの例外を別にして、及ばないとする原則があるからです。相談者の例でいうと、判決の効力は被害者遺族と加害者を拘束しますが、自賠責は訴訟当事者でないため、訴訟上は判決の効力が自賠責に及ばないからです。したがって、せっかく判決をもらっても判決に拘束されず、自賠責は自賠責で独自の判断が可能ということになってしまいます。

裁判所が被害者に不利に判断した場合

「Q&A 新自動車保険相談」に書いてあった例は、裁判所が被害者に有利に判断した場合についてでした。では、裁判所が被害者に不利に判断した場合はどうなるかです。被害者にとって気になるのはむしろこちらだと思います。例をあげます。
 

「34歳男子の自賠責5級認定高次脳機能障害を意識障害なく画像所見からも否認して14級神経症状を認定した」(東京高裁平成25年2月14日判決,東京地裁平成24年2月23日判決;自保ジャーナル1893号)

 
高次脳機能障害で自賠責で5級認定されたが、訴訟ではそれが否定されて14級しか認定されなかったというものです。自賠責で等級認定をしてもらえれば、それを裁判所が尊重することが多いのですが、必ずしもそうはならないという裁判例です。

こういう判決が出た場合はいったいどうなるのでしょうか。すなわち、被害者請求をしていて自賠責は本来の支払額より多く被害者に支払っていたという場合など、その過払い分の返還を被害者に求めてくるのでしょうか。

このことに言及しているサイトがどこかにないかと探してみたものの、探し方が悪いのか、見つかりませんでした。先に参考にした「Q&A 新自動車保険相談」には、被害者に有利な判断を裁判所がした場合しか書かれてなかった。

こうなると、最後の手段、つまり、当の自賠責に確認するしかありません。で、やってみた。以下が、その質問と回答です。
 

質問。
自賠責に被害者請求をして自賠責保険金をすでに支払った場合で、その後、裁判所が自賠責の判断を否定し、自賠責が支払ったよりも小額で判決が出た場合、自賠責は被害者に払いすぎた分の請求をしているのか。

 

回答。
していない。

理由。
裁判になっているかどうかなんて自賠責にはわからないから。

 
これが事実だとすると、というか、事実なんだけれども、自賠責を共同被告にした場合、裁判になっていることが自賠責に知れるだけでなく、共同被告にもなるわけだから、払いすぎていた分があれば当然回収してくるのでないかということが考えられます。しかし、自賠責は自賠責の独自の判断ということも可能です。このあたりまでつっこんで質問すればよかったのだけれども・・・。

ぼくの結論

ということでぼくなりの結論を書きます。

自賠責に被害者請求をした場合は、相手損保を蚊帳の外にしたわけだから、たとえば後遺障害等級などで相手損保から裁判で争われる可能性があります。ただし、被害者請求をすると先に保険金を回収できるので、あとで自賠責から返せとは言われない。ただ、保険会社にもし既払金があった場合 (被害者請求をいつしたかによります。初めからしたのなら既払金がありませんが、後でしたのなら既払金が発生します)は、相殺してくるでしょう。

任意一括の場合は、相手損保は事故被害者からその手続きを一任されたため、自賠責の判断を尊重する。自賠責で認定された後遺障害等級が気に入らなくても、否定するような運用はされていないはずです。だから、そもそも裁判にはならない。(損保査定から聞いた話です)。

いずれにしろ、

既払金の額<後遺障害による保険金の額

 
なら、後遺障害の認定を受けて、先に保険金を回収ができる被害者請求のほうがいいということになります。

よほど悪質でないかぎり返してくれとは言わない

最近購入した「民事交通事故訴訟の実務Ⅱ」という本の中に、これまでに述べたことに関わることが書かれているのを発見しました。書いたのは佐久間豊弁護士です。自賠責保険・共済紛争処理機構紛争処理委員の方です。

ただし、機構の判断や認定に拘束されないということは、訴訟の結果被害者に有利になることもあるし、不利になることもあるということです。もっとも、例えば、自賠責保険の被害者請求をしていて14級が認められていたのが、訴訟に踏み切ったらそもそも14級もおかしいという判決になってしまったとします。この場合、自賠責保険でもらっていた保険金を返すのですかと、時たま聞かれることがあるのですけれども、これは返さなくてもいいのです。よほどの故意の詐欺みたいなことがない限り、自賠責保険の保険金は返さなくてもいいのです。ただし、既払金として、損害の算定から控除されてしまいます。(P180・赤字強調は引用者による)

 

ということで、弁護士ならとっくに知っているような問題なのかもしれませんが、ネットのどこを探しても書いてなかった。新たに見つかった佐久間弁護士が述べていることとも矛盾していないので(回収するのは、詐欺など相当に悪質な場合に限られるようだから)、特に改める必要はなく、「ぼくの結論」はそのままでいいものと判断しました。最終的なご判断は読者の皆様にお任せします。もし間違いがあるようでしたら、ごめんなさい。教えてください。
 

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


事務所所在地・連絡先

ホームズ調査事務所:
石川県加賀市
電話番号:090-1314-0234

電話・メールをされる前に、「お問い合わせ」欄を読んでくださいね。なお、メールについてはお返事に時間を要することもあるし、内容によっては、たとえば記事に書いてあることの再確認とか、あまり深刻とは思えないものについてはお返事しないこともありえます。電話ならその点確実です。

当事務所の立場

突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

【当サイトご利用上の注意】

当サイト内の情報を利用したことにより何らかの損害が発生しても、一切責任を負いません。自己責任でお願いいたします。また、記事を書いた後に、法律が変わったりするなど、現状を反映していないことがあります。その後の改正等についてはフォローしていくつもりですが、ご注意ください。

著作権にかかわることですが、当サイトの記事をコピーされる方が後を絶たない。公開した記事なので、コピーしていただくのはまったくかまわない。ただし、判例文のコピーによる引用は別にして、それ以外の文章の引用については、引用元を示したうえで、どこからどこまで引用したかも明示してください。

なお、当サイトは中国語でも対応可能である。電話でもいいし、メッセージでもよろしい。

本现场可以用汉语对应、如过在日本有遇到交通事故的无论是中国人还是台湾人、请随时商量、商量的时候、请在网上「留言」。

おすすめ記事

アーカイブ

カテゴリー

Count per Day

  • 1343現在の記事:
  • 681079総閲覧数:
  • 248今日の閲覧数:
  • 1006昨日の閲覧数:
  • 8815先週の閲覧数:
  • 20531月別閲覧数:
  • 474326総訪問者数:
  • 156今日の訪問者数:
  • 636昨日の訪問者数:
  • 5759先週の訪問者数:
  • 13356月別訪問者数:
  • 800一日あたりの訪問者数:
  • 5現在オンライン中の人数:
  • 2016年5月2日カウント開始日:

ピックアップ記事

2016.5.31

後退事故の過失割合

公道上の後退事故のネット情報がほとんど存在しない 「後退事故 過失割合」でネット検索した。後退事故については駐車場内の事故のひとつとして取…

ページ上部へ戻る