有能な弁護士と無能な弁護士、有能な調査員と無能な調査員

相談

お尋ねしたい事があります。調査会社調査員が相手先に調査に伺う場合、あらかじめ聴取する内容をQ&Aのような質問用紙を準備しそこに回答を記載する事はあるのでしょうか?それとも自社のレポート用紙に対象者の発言を詳細に記入していくのでしょうか?

この度、調査会社契約社員に募集したいと思っていますが、速記に自信がなく迷っています。

調査の相手しだい

面談の相手によりますね。たとえばお医者さんなら、面談の制限時間はふつう15分ほどです。その間に聞きたいことを全部聞かないといけない。だから、「対象者の発言を詳細に記入していく」ような時間などそもそもありません。したがって、「Q&Aのような質問用紙を準備しそこに回答を記載する」ことになります。最初にアンケート形式にしてしまうのです。その実際の例は、「圧迫骨折による後遺障害確認の医療調査で、ぼくが使っていた質問状を公開」という記事で紹介しています。そちらを確認してみてください。

次に事故当事者についてです。こちらは時間が15分ということはありません。1時間でも、ときに2時間でも聴取可能です。したがって、時間節約のためのアンケート形式で聴取する必要はまったくありません。

面談時に面談内容をパソコンに打ち込むのが一番効率がいい

ぼくの場合はちょっと特殊なので参考になるかわかりませんが、ご紹介します。モバイルパソコンを面談時に持っていって、聞きながらその内容をその場で打ち込んでいました。面談が終わった後に自分の車に戻って、運転席に座ってからパソコンを開き、打ち込んだドラフトの手直しや推敲をし、報告書はそこで完成させていました。これだと、帰ってからいちいちあらためて報告書を作成する必要がなくなるため、仕事の能率が非常にあがりました。大幅に時間短縮ができていた。

ただし、調査員でそんなことをやっていたのはぼくだけでした。同僚たちは、面談終了後に会社に帰ってから夜遅くまでかかって面談内容をパソコンに打ち込むか、あるいは自宅に持ち帰ってパソコンに打ち込み報告書を仕上げていました。それでもおっつかなければ、土曜日曜を報告書作成のためにつぶしていた。ぼくのばあいは、締め切りに追われているときはともかく、通常は、平日の夜も土曜日曜も仕事をほとんどやった記憶がありません。仕事は平日の午後6時までと決めていました。

情報漏えい防止のためとかいって、今はできないかも

しかし、今はこれができないんじゃないでしょうか。ぼくが在籍していた最後のころは、パソコンは会社貸与のものしか使うなということになって、そのパソコンも重くてとにかくばかでかい。とても持ち運びができた代物ではありませんでした。情報漏えい防止のためらしいのですが、その結果、自分のモバイルパソコンの使用はかたく禁じられました。つくづくばかげたことだとぼくは思いました。もし自分のパソコンを使ってもいい会社でしたら、面談時に報告書もいっきに仕上げてしまうくらいの気持ちで、早く入力できるよう今から練習されることをぜひお勧めします。

こんなふうに書くと、ぼくは仕事に不熱心な怠け者だと思われたかもしれません。怠け者といわれればそうかもしれませんが、できるなら独立してやっていきたいとその当時から思っていましたので、夜は夜で、仕事関連の本をよく読んでいました。高価な専門書だって、きっと将来の役に立つのだと、お金に出し惜しみはしませんでした。したがって、年がら年中、頭の中は仕事のことばかり考える毎日でした。

速記ができなくても問題なし

ご質問にある「速記が苦手」についてですが、以上からあまり気にされる必要はないと思います。速記ができないなら、たとえば質問内容を最初からアンケート形式にするなど、それを克服するための手立て、創意工夫を考えればいいと思います。ただ、文章を早く書くことよりも、仕事自体の効率についてよく考えないと、1日中、土曜も日曜も仕事漬けになってしまう可能性が高いため、そこはよほど気をつけないと長続きしないと思います。

調べることが好きでないとやってられない職業

ところで、調査員になりたいということですが、調べることが好きでないとやってられないと思います。会社によってその待遇は違うので一概にいえませんが、お金のことを重視されるのだったら、止めといた方がいいです。それと、面談相手は交通事故によるトラブルを抱えた人たちだし、モラル系の調査だと、やくざなんてふつうにあるため、ストレスが溜まりやすい。保険金詐欺の疑いのある人との面談はかなり疲れます。調査員の中には防弾チョッキを身につけて面談をやっていた者がいて、大真面目に「いざ」というときの対応を考えていました。不謹慎かもしれませんが、ぼくはその話を本人から直接聞いて笑ってしまいました。結局そういう人はいずれ辞めざるを得ません。神経質な人は向いていないと思います。ストレス耐性がどこまであるかも考えながら、やってみるかどうか、いつまでやり続けるかを検討されてみたらと思います。

文章力があるかどうかが重要

最後に、案外軽視されているのですが、もっとも大切なことをお知らせします。速記ができるかどうかなんてまったくの杞憂です。それよりもむしろ文章力があるかどうかのほうがよほど大切です。この点はほとんど強調されていないので、たぶん意外な盲点なのですが、大変重要だと思います。

有能な弁護士、無能な弁護士の見分け方

ぼくが説明しても説得力に欠けるので、まずは弁護士さんのブログから引用します。ブックマークしているsagaminami弁護士が書かれた記事からです。「弁護士:有能な弁護士?無能な弁護士?」。一部を引用します。

弁護士にとって最重要な技術、能力は「文章を書く力」です。文章を書く力がないと、裁判官にこちらの真意が、うまく伝わりません。裁判官は当事者の話を聞く機会はほとんどないので、事案を理解する上で、弁護士が書く書面が大きな手掛かりなのです。

・・・文章を書く力こそが弁護士の真髄ですので、弁護士の書く文章に触れてみて、弁護士選びの参考にしていただければと思います。

 
ぼくはこの記事を拝見するまでは、弁護士の有能無能の尺度は、丁々発止の議論ができること、立て板の水のごとく、弁舌がうまいことだと思っていました。実際の裁判を知らない人も同様に思っているのではないでしょうか。ところが、裁判で丁々発止の議論の応酬が行われるのはレアなケースであって、むしろ書面による応酬と説得のほうが重要なのです。せっかく長文の文章を書いたとしても、裁判官が最後まで読んでくれるとはかぎりません。読ませる文章とまではいかないにしても、読んでいて抵抗の少ない文章を書かないといけない。そうでないと、最後まで読んでいただけない。読んでいただけないなら、敗訴になる可能性がグ~ンと高まります。たぶん、そういうことなのだと思います。できるなら、リンク先で全文を読んでください。

もうひとつ引用します。別の弁護士が書かれた記事の一部です。大切なことだとメモしておいたところをそっくりそのまま引用しますね。

勤務を始めて衝撃を受けたのが、訴訟の相手方の書面の仕事としての完成度の低さでした。そして、それは明らかに、事実関係や法令の十分なリサーチが足りていないゆえでした。しかも、これは、キャリアの長短や準備期間の長短にかかわりなく、完成度が低い弁護士は、いつも完成度が低いのです。

おそらくそのような弁護士は、勤務を開始して数年の間、きちんとした指導を受けなかったか、(意識しているかどうかは別にして、)適当に仕事をしてきたのでしょう。また、キャリア開始数年できちんとした書面が書けるようにならないと、おそらくもう改善の見込みはないということでもあるのだろうと思います。

有能な調査員と無能な調査員

調査員も同じことが言えると思います。いい文章が書けるかどうかは技術上の問題もさることながら、それ以前の問題として、弁護士の「事実関係や法令の十分なリサーチ」にあたるもの、すなわち調査による情報量に左右されます。ブログの記事にしてもそうですが、下調べをよくやったものは文章が多少ヘンテコでも、自然といい記事になります。ところが、下調べが不十分なまま30分や1時間で見切り発車した記事はだれも惹きつけません。凡庸な記事に終わります。

文章力を磨くことも大切ですし、それと同じ程度に、いやそれ以上に、その報告書に盛り込む調査による情報量が大切です。文章力と調査による情報量。このふたつが両輪になって、報告書の「でき」を決定します。その人の書いたブログ記事をみれば、その力量がだいたいわかるような気もします。

ぼくはまだまだ両方とも修行が足りないと、記事を書くときによく思います。過去の自分が書いた記事を読み返すのがだからたいへんな苦痛です。ひどい文章だし、下調べも不十分だし。そのように思いつつブログ記事を修練のための場だと思って書いているのですが、それでもなかなか思ったほどうまくなりません。

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電話番号:090-1314-0234

電話・メールをされる前に、「お問い合わせ」欄を読んでくださいね。なお、メールについてはお返事に時間を要することもあるし、内容によっては、たとえば記事に書いてあることの再確認とか、あまり深刻とは思えないものについてはお返事しないこともありえます。電話ならその点確実です。

当事務所の立場

突然、交通事故にあわれた被害者は、怪我をされたり、車を破損などされたりして大変なことです。その損害の賠償をしてもらうために、これから、加害者そして加害者側の損保担当者を相手に示談交渉を進めなければならなくなります。しかし、交通事故は人生でそう何度も経験するわけではありません。なにをどのようにしたらいいのか途方に暮れてしまうのがふつうです。

ところが、事故被害者がまず相手にするのが加害者であり、そして、実際は加害者側損保の担当者です。損保の担当者はそのことで生計を立てているいわばプロであり、百戦錬磨で鍛えた知識と経験があります。かたや、知識も経験もほとんどない事故被害者。そんな素人がプロ相手にどのように交渉していったらいいのでしょうか。

交通事故に詳しい弁護士が知人にいるような幸運な方は別にして、たいていの方は途方に暮れてしまうことでしょう。一昔前は、素人とプロの交渉ごとということにふつうはなって、プロの思い描くストーリーどおりに押し切られるのがふつうでした。しかし、ネットが発達した現在、示談交渉を進める上での情報がネットを検索すればあふれかえっています。が、その情報は正しいものもあれば正しくないものもある。玉石混淆です。それらの情報に接した事故被害者にとって、どの情報が正しくて信頼できるのかがまずわかりづらいし、自分だけでは手に負えなくて、調査や交渉ごとをだれかに任せることも時に必要になってきます。が、ネット上には、われこそは事故被害者のためだと謳っているものばかりなので、実際にいったいだれを信頼したらいいのかわかりません。

知識とは中立なものであること

ここで注意してほしいのは、情報の正確さもさることながら、その情報(知識)そのものが中立なことです。

昔、東大卒が多い自民党が間違えるはずがないと豪語している自民党支持者に会ったことがあります。ぼくは苦笑するしかありませんでした。たしかに東大卒は勉強をいっぱいしているわけだから、その知識量も多くかつ正確だといえるかもしれません。ただ、知識それ自体はあくまで中立なものであり、どちらにも役に立つ武器なのです。したがって、その正確でたくさんの知識をどちらの側に使うかにある。わかりやすいたとえ話をしてみましょう。

知識は刀という武器と同じ


その昔、武士という職業が存在しました。この武士は帯刀を許された職業のことであり、刀の専門家です。殿様を頂点にして、殿様に雇用され、殿様を守るために武器である刀の技術を日夜みがいていた。

この武器である刀自体は殿様を守るためにも使えるし、農民に加勢して殿様に刃向かうためにも使えます。しかし、悲しいかな、現実は殿様を守るために使われた例が圧倒的に多く、農民に加勢するために使われた例など不幸にしてきわめて少なかった。ごく稀に後者のような武士が現れますが、こういう武士こそ庶民にとっての英雄であり、「七人の侍」はまさにそのようなタイプの武士たちでした。

利益が一致しているか相反しているかが重要

したがって、問題はその使い手自身にあります。使い手がどちらの側に立つかで知識もそれぞれの側の武器になる。そして、その使い手がどちらの側に立つかは双方の利益が一致するか相反するかでふつうは決まってきます。

この、肝心要のことを説明したサイトが皆無といっていいほどにみあたらないのは不思議なことです(というか、あえて否定しているサイトさえいくらでもみつかるくらいです)。

記事を読んでいただければたちどころにわかることですが、当事務所は「立場」を鮮明にしております。あえて鮮明にしているのは、人間や社会に対する見方は、その人自身の立場から自由にはならないからです。中立を装うことは考察を浅くし、論旨を不明確にし、自己を無責任な立場に置くことになる。「立場」のない「立場」などありようがない。当事務所の立場は、ぼく自身が社会的弱者であるため、弱者の立場に徹することです。ぼくのような弱虫は「七人の侍」のようには決してなれないけれど、せめてその心意気だけでも真似して、社会的強者に阿らないようにしたい。そういう気持ちで当サイトをたちあげました。丸山真男のことばを最後に引用しておきます。

丸山真男から

ゲーテは「行動者は常に非良心的である」といっておりますが、私たちが観照者、テオリア(見る)の立場に立つ限り、この言葉には永遠の真実があると思います。つまり完全にわかっていないものをわかったとして行動するという意味でも、また対立する立場の双方に得点と失点があるのに、決断として一方に与するという意味でも、非良心的です。にもかかわらず私たちが生きていく限りにおいて、日々無数の問題について現に決断を下しているし、また下さざるを得ない。純粋に観照者の立場、純粋にテオリアの立場に立てるものは神だけであります。その意味では神だけが完全に良心的であります。

私たちの社会というものは、私たちの無数の行動の網と申しますか、行動の組合せから成り立っております。社会がこうして私たちの行動関連から成り立つ限りにおいて、私たちは行動あるいは非行動を通じて他人に、つまり社会に責任を負っています。その意味では純粋に「見る」立場、ゲーテの言う意味での完全に良心な立場というものは、完全に無責任な立場ということになります。

したがってこの点でも神だけが、完全に無責任でありうるわけであります。認識することと決断することとの矛盾中に生きることが、私たち神でない人間の宿命であります。私たちが人間らしく生きることは、この宿命を積極的に引き受け、その結果に責任を取ることだと思います。この宿命を自覚する必要は行動関連が異常に複雑になった現代においていよいよ痛切になってきたのです。

世のなかには一方では、認識の過程の無限性に目をふさぎ、理論の仮説性を忘れる独断主義者もいれば、またそもそも認識の意味自体を頭から蔑視する肉体的行動主義者がいます。しかし他方その半面では、物事はそう簡単にはイエスかノーかきめられないのだ、もっとよく研究してからでなければなんともいえないという名目の下に、いつも決断を回避することが学者らしい態度だという考え方がかなり強い。

あるいは対立する政治的争点に対して、あれももっとも、これももっとも、逆にそれを裏返しとして、あれもいけない、これもいけないということで、結局具体的な争点に対して明瞭な方向性を打ち出すことを避ける態度をもって、良識的であるとか、不偏不党であるとか考える評論家やジャーナリストもかなりいるようであります。

たびたびゲーテの言葉を引いて恐縮ですが、ゲーテはこういうことをいっています。「自分は公正であることを約束できるけれども、不偏不党であるということは約束できない。」今申しましたような世上いわゆる良識者は対立者に対してフェアであるということを、どっちつかずということと混同しているのではないでしょうか。
「現代政治の思想と行動」丸山真男 P452-454

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